旅レポ
統合型リゾートから世界遺産までいろいろな見どころがひしめく街「マカオ」を紹介(その3)
マカオ半島の世界遺産を楽しめるウォーキングコースを辿る
(2015/8/7 00:00)
前回の記事の冒頭でも紹介した通り、マカオこと中華人民共和国 マカオ特別行政区は、中国本土と隣接した「マカオ半島」、離島である「タイパ」と「コロアン」、そしてタイパとコロアンの間を埋め立てた「コタイ」地区に大別される。前回は、このうちIRの開発が進む「コタイ」について紹介したが、残りの地域は、ポルトガル統治時代の旧来的な洋風の雰囲気が残っていたり、いかにも中華系の人が多い地域らしい混沌とした雰囲気が入り交じった、文化的に興味をそそられる風景がある。
マカオ観光局が実施した視察ツアーでは、同観光局がモデルケース的に紹介している“ウォーキング・コース”に沿って、「マカオ歴史市街地区」として世界遺産に登録されている遺構を見て回ることができた。3回目となる今回は、マカオ半島内で体験した世界遺産を巡るウォーキング旅をお伝えしたい。
マカオ半島南端の「媽閣廟」から「セナド広場」へ
今回のツアーで最初に歩いたウォーキング・コースは、マカオ半島の最南端にほど近い「媽閣廟」からスタートし、「港務局」~「リラウ広場」~「鄭家屋敷」~「聖ローレンス教会」~「聖ヨセフ修道院及び聖堂」~「聖オーガスティン広場」(および周辺の「聖オーガスティン教会」「ドン・ペドロ5世劇場」「ロバート・ホー・トン図書館」)~「民政総署」~「セナド広場」と順に訪ねるルートだ。マカオ観光局が提案しているウォーキングコースの「東西文化の交差点」をほぼ逆に辿った形になる。
ルートそのものは1.5km前後で、各ポイントをゆっくり見て歩いてもおそらく2kmちょっと程度の歩行距離だと思われる。休憩を挟みながらでも半日もかからずに楽しめる、お手軽なルートだ。
ちなみに起点となる「媽閣廟」は、英語では「A-Ma Temple」と表記されるが、現地の言葉では「マーコーミュウ」と表現される。航海の女神を祀ったマカオ最古の寺院であるとともに、ポルトガル人が「マーコー」の言葉を耳にしたことから、この地が「マカオ」と呼ばれるようになったという逸話も残る。地名の点ではマカオ発祥の地といってもよく、散策のスタート地点として、それだけで趣もある。
この媽閣廟には、いくつかの御殿があって、それらを巡ることができる。参拝する人はすべてを回るようで、階段はちょっときついが、それぞれの御殿に独特の味わいがあるので、観光目的であってもすべて見ることをお勧めしたい。また、御殿には、くるくると螺旋を描いた独特の線香が吊るされており、これも印象に残る光景だ。
媽閣廟を見学したあとはマカオ半島を北上し、「港務局」を経て「リラウ広場」へ向かう。港務局は、イタリア人設計者の手による、アラブ様式の影響を受けたレンガ造りの建物。もともとはインド人警察隊の宿舎だったものが、港務局の庁舎として使われている。
リラウ広場は、ポルトガル人がマカオへ植民を始めた初期に居住した地域にある小さな広場。「リラウ」はポルトガル語で「山の泉」(Mountain Spring)を意味しているといい、人はやはり未知の土地において、まず水があるところに集まるということなのだろう。
媽閣廟からリラウ広場へ至る道を歩いていても、洋風の建物やオブジェがある一方で、数歩進むと部屋数の多そうなアパートが密集する、いかにも近世的な中国文化を感じる風景へ移り変わる。2つの文化が融合しているというよりは、“同居”“併存”をしている空気が興味深い場所だ。
このリラウ広場の近くにある「鄭家屋敷」は、清時代の文豪・思想家の鄭観應の邸宅で、多くの部屋を持つ中国風の大邸宅に、西洋風の装飾が取り入れられた独特のデザインが特徴だ。この邸宅には文化の“融合”を感じる。最盛期には数百人がここに居住していたという。
ちなみに、この邸宅は鄭氏が屋敷を手放したあと荒廃していたそうだが、西洋と東洋の文化が融合した建造物としての歴史的価値からマカオ政府が修復。2010年に再公開されている。
続いて訪れたのは「聖ローレンス教会」。東洋にキリスト教を伝えたことで知られるイエズス会によって立てられた教会だ(ただし現在のものは建て替えられたあとのもの)。ここは聖堂が大変美しく、黄色の壁と天井のターコイズブルーの上品さが印象的だ。
この聖ローレンス教会に続いて訪れたのもキリスト教に関連した施設「聖ヨセフ修道院と聖堂」。混沌とした街の中にそびえ立つ建物で、修道院ということもあってか、先の聖ローレンス教会よりも厳かな雰囲気だ。
また、この聖堂には、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの右腕が祀られており、日本人としては訪れておく価値が高い場所といえるだろう。
実際に歩くルートは少々迂回する必要があるが、地図上では「聖ヨセフ修道院と聖堂」の裏手にある「聖オーガスティン広場」と、その周辺にある「ドン・ペドロ5世劇場」「聖オーガスティン教会」「ロバート・ホー・トン図書館」が次のポイントだ。
「ドン・ペドロ5世劇場」は今回は時間の都合で外観だけの見学。黄色系統の外壁が多いマカオの洋風建物にあって、エメラルドグリーンの外観が印象に残る。
その隣にあるのが「聖オーガスティン教会」。外観からはそれほど大きさを感じないものの、中に一歩入ると、これまでの教会以上に広々とした空間が作り出されており、大ホールのような聖堂が印象に残る作りになっている。
その前に、ちょっと面白い石畳のデザインが特徴の聖オーガスティン広場。そして、ポルトガル人の住居を香港人のロバート・ホー・トン氏が買い取り、同氏の没後に公立図書館として供されている「ロバート・ホー・トン図書館」と、見所が集中している。
次が、このウォーキングコース最後のポイントとなる「民政総署」と、その向かいに広がる「セナド広場」だ。
民政総署はポルトガル時代の建築物を政府機関の地方自治局が使っているところ。1階のギャラリーや中庭、2階の図書館などは、特にチェックもなく立ち入ることができ、シックな空気感を味わえる。
向かいのセナド広場は、洋風建築物に囲まれた広場で、周囲には飲食店なども多く、観光客で賑わっている。その脇に建っている郵便局の建物も、中世ヨーロッパを感じさせる重厚な作りに魅力あるものとなっている。
以上が、マカオ半島南端に近い「媽閣廟」から北上して「セナド広場」へと至るルートだ。世界遺産登録という形で価値を認められているマカオの遺構のなかでも、ポルトガル時代の雰囲気を残す建物が多いことが特徴のルートといえるだろう。
「三盞燈」から「セナド広場」へ
さて、マカオ半島南側の「媽閣廟」から北上して「セナド広場」へのウォーキングコースを歩んだ翌日は、逆にマカオ半島のやや北寄りにある「三盞燈」(サンチャンダン)から「セナド広場」へ向かうルートを歩いてみた。こちらのルートにも教会や庭園などポルトガル時代の遺構も残るが、むしろ中華圏としてのマカオの魅力も堪能できるメリハリの利いたルートなのが特徴だ。
このコースは、マカオ観光局が提案しているウォーキングコースの「古廟と教会を訪ねて」のほぼ逆順路となる。おおまかに紹介すると、「三盞燈」~「新橋花園」~「蓮渓廟」~「消防博物館」~「鏡湖醫院」~「プロテスタント墓地」~「カーザ庭園」~「聖アントニオ教会」~「恋愛巷」~「聖ポール天主堂跡」のルートとなる。ただ、途中コースを逸れたりしたので参考程度にしてほしい。聖ポール天主堂跡からセナド広場へは、人が集まる商店街を抜けるとたどり着くことができる。
スタート地点である「三盞燈」は、周囲に飲食店が多い円形の広場で、家族連れやお年寄りなどのくつろぎスペースとして和やかな空気に包まれている。
ここから南に向かって歩いて行くと、そこは中華圏の文化そのものの光景が広がっている。また、近くの「義字街」は露店や商店が並んでおり、台湾や香港でも見られる、混沌としつつも活力にあふれた空間がそこにはある。
さらに、中国式の庭園「新橋花園」や同じく中国風の古廟「蓮渓廟」といった中国文化らしい建物を巡っていく。いずれも、上記で見てきたような洋風の建物とは違い、赤を中心とした鮮やかな色使いが映える一方で、どこかノンビリとした空気も感じさせる独特の味わいだ。
続いて訪れたのは少し毛色が変わって「消防博物館」。マカオでは19世紀半ばから消防署が設置され、活動を行なっている。博物館に足を踏み入れると、2台並んだ消防車が目に留まるが、周囲に並べられた古い消火器具も見所。日本の江戸時代から戦前を感じさせる道具が並んでおり、どこの国もこのような時代を過ぎてきたのだと、改めて考えさせられる展示物だ。
この消防博物館は「連勝街」という、ちょっと気分がよくなる名前の道路沿いに建てられているのだが、そこを西方向へ進むと、現在の中国建国の父といわれる孫文が医師として赴任した「鏡湖醫院」がある。そして、さらに進んだ先にあるのは「カモンエス公園」で、この周囲に「プロテスタント墓地」や「カーザ庭園」がある。
プロテスタント墓地はマカオのプロテスタントの記録が残されており、イギリス人宣教師であるロバート・モリソンの名を冠した「モリソン礼拝堂」が建てられている。本稿でも何カ所か紹介した“聖ナントカ教会”とは異なるシンプルな礼拝堂や、聖書が描かれたステンドグラスに、カトリックとプロテスタントの思想の違いを汲み取ることもできる。
そのプロテスタント墓地の脇に建てられた「カーザ庭園」は、18世紀に建てられた豪商の邸宅で、白とピンクを基調とした建物と池のある庭園を持つ、豪奢な雰囲気の空間が広がっている。現在は東方基金会という財団が利用しているという。
このカモンエス公園の南側すぐのところにある「聖アントニオ教会」が次の目的地だ。現在の教会の建物は1900年代に入ってから再建されたもの……と聞くと、世界遺産巡りとしては若干興ざめするところもあるのだが、ここはマカオで最初のキリスト教礼拝堂が建てられた由緒正しき場所であり、美しい聖堂は厳粛なムードも漂っていた。
続いては「恋愛巷」と呼ばれる小路を訪ねた。ここは西洋風のポップな色合いの建物が並ぶ小路なのだが、そこからは、このルート最後の目的地であり、マカオの世界遺産の象徴的存在でもある「聖ポール天主堂跡」が顔を覗かせている。写真好きな人なら、いろいろなカットにチャレンジしたくなるフォトジェニックな場所だ。
そして、このウォーキング旅で最後に訪れたのが「聖ポール天主堂跡」だ。マカオの観光地といって、この聖ポール天主堂跡が真っ先に思い浮かぶ人も多いであろうこの建物。もともとは先述した聖アントニオ教会の礼拝堂であったというが、何度かの火災に遭った結果、現在は正面の壁と階段だけを残すのみとなっている。
そんな壁だけの姿ではあるが、これまでに見てきた教会や礼拝堂と比べても圧倒的なスケールで、壁の彫刻も見事。焼失した部分には思いを馳せるしかないが、さぞ美しい建造物だったのだろう。焼失した部分は確かに惜しいが、火災に遭いつつも生き残った部分という点には価値がある。その佇まいは力強さや荘厳さを感じるとともに、どこか悲しげでもあり感動すら覚えた。「必見だ」とここで述べるまでもない定番スポットではあるが、さすがは定番であり、個人的にも一番オススメしたいスポットだ。
ちなみに、この周辺の丘の上には「マカオ博物館」や、オランダ艦隊の侵攻を防いだという大砲がある「モンテの砦」といったスポットがある。今回は時間の都合で、丘の途中までしか上れなかったのだが、別の角度から見る聖ポール天主堂跡も存在感があって面白い。
ウォーキングコースからちょっと離れて「ギア灯台」へ
さて、今回の視察ツアーで回ったマカオ半島内のウォーキングコースは上記2ルートなのだが、それとは別にどうしても見たいと思い、帰国日の早朝に足を向けた場所がある。それが「ギア灯台」だ。マカオ半島の南東寄りにある「ギアの丘」にある。
ギアの丘は17世紀に作られた要塞で、当時の軍事用隧道(トンネル)が今も残り、(今回はあいにく早朝だったため閉じられていたが)内部を見学することもできる。このギア要塞がある丘に、「ギアの聖母教会」と並んで建てられているのがギア灯台だ。ギアの聖母教会は17世紀の建立で、ギア灯台は19世紀から稼働を開始した灯台となるが、どちらもデザインがかわいらしい。
ちなみに、ギアの丘を登るルートは、丘の北西側からのアクセスが一般的でロープウェイも用意されている。ただ、現在は丘の南東部にエレベータが設置され、こちら側からもアクセスしやすくなっている。
丘の南部から南東部にかけては、「ウィン・マカオ」「MGMマカオ」「グランド・ラパ・ホテル」「サンズ」といった有名なカジノホテルがあるほか、丘の南東部にはマカオの象徴である蓮の花のオブジェが飾られた「蓮の花の広場」や、「マカオグランプリ/ワイン博物館」もある。これらをハシゴしながら巡る、自分なりのウォーキングコースを作ってみるのも楽しそうだ。