旅レポ
富山の魅力が満載「“アート&文化”お勧め おでかけ とやま旅」後編
和歌から漫画の富山文学、そして歴史の息づく岩瀬
2017年4月21日 00:00
富山県文化振興課が「“アート&文化”お勧め おでかけ とやま旅」と銘打ったプレスツアー。2日目の朝は、前夜の雨から一転して快晴だった。宿泊したホテルの前には富山城址公園があり、朝の散歩にちょうどよいと散策に出かけた。昨日訪れた富岩運河環水公園とともに市内の桜の名所とされている松川べりから城址公園へと向かう。
地図で見ると、松川は蛇行していた神通川の名残で、築城時の富山城は天然の要害である神通川を背にして建てられていたことが分かった。戦国時代には佐々成政が拠点とした城で、神通川の水に浮いたように見え「浮城」とも呼ばれていたという。
現在、城址公園にある城は、1954年に行なわれた富山産業大博覧会のときに旧本丸の鉄門(くろがねもん)跡の石垣に建てられた模擬天守だ。博覧会終了後には、郷土博物館として活用され、2004年に戦災復興を代表する建築物として国の登録文化財に登録されている。
「千歳御門」は、富山藩10代藩主 前田利保が隠居所として造営した「千歳御殿」の正門で、1849年に建築された。同一の建築様式を持つ城門は「東大の赤門」として知られる旧加賀屋敷御守殿門など数少ないことから、全国的に見ても貴重な存在だ。
コンパクトシティ化の成功例として知られる富山市を2日間にわたってめぐったが、岩瀬などを除けば、頑張れば歩いて行ける範囲である。道路は整備され、バス路線は充実し、観光用の周遊バスなどもあり、天気のよい日は「シクロシティ」という自転車(コミュニティサイクル)でめぐるのもよいだろう。シクロシティは駅や公園、美術館など主要施設20カ所にステーションがあり、どのステーションでも返却できる。利用券の有効期間内なら、24時間いつでも使えるのが便利だ。
「富山市内軌道線」という路面電車もあり、中心部を環状にめぐる系統と、富山大学へ向かう系統、南富山に向かう系統を持っている。将来的には、岩瀬浜から富山駅北までの「富山ライトレール」(ポートラム)とつながる予定だという。立山や神通川など自然にあふれ四季折々の姿を見せる富山を、さまざまな交通機関を使って旅するのもわるくない。
万葉集、ドラえもんのふるさと「高志の国文学館」
富山県は、万葉歌人・大伴家持が越中国の国士として赴任している間に223首もの歌を詠んだ越中万葉ゆかりの地で、堀田善衛や源氏鶏太、角川源義といった作家や、滝田洋二郎、本木克英、細田守などの映画監督を輩出し、漫画では藤子不二雄A、藤子・F・不二雄らを生んでいる。
高志の国文学館では、富山に関係の深い小説、短歌、詩などの文学から、映画、漫画、アニメまで幅広い分野の作品の魅力を紹介している。
高志の国文学館という名前の由来について、富山県生活環境文化部の川淵貴氏は、「高志は“こし”と読み、奈良時代より少し前の北陸地方全体の呼び名です。高い志と書く場合もあれば、越前、越中、越後の越という字で書く場合もあり、その頃から富山の文学の歴史が始まっていることから、高志の国文学館という名前を付けました。
その時代の文学では誰かというと、現在企画展を行なっている万葉集の歌人・大伴家持です。大伴家持は、日本でもっとも古いといわれている歌集『万葉集』の編さんに携わった人物で、746年に越中の国の国士として、高岡市の伏木というところで5年間暮らしていました。
万葉集には約4500首の歌が残されていますが、そのうち473首が家持の歌で、その約半分の223首が5年間滞在した越中で詠んだものです。その家持の時代から現代までの文学を紹介しているのが、この文学館です」と話し、高志というゆかりのある地名と高い志を大切にしていきたいという思いや、富山はアルミ産業が盛んなことから、外壁や内装にアルミをふんだんに使用し、旧知事公舎の増改築を行なって、2012年に「高志の国文学館」として開館したことを解説した。
常設展示室に入ると、万葉集の写本などが並べられ、富山にゆかりのある作家の本や原稿などが展示されている。奥の壁には「立山曼茶羅」の絵巻があり、川淵氏から「ここにあるのは、立山博物館で修復作業を行なっているものの複製です。この絵巻は江戸時代に書かれたもので、立山の信仰の世界を全国に布教するために使われました。このような絵巻は複数作られていて、現在でも40点ほど残されています。
日本三霊山の1つである立山は、江戸期に入ってから男性が夏場の2カ月のみ入山が許されるようになりました。こうした絵巻は、男性は立山に登り、女性はふもとでお参りをすることで身が清められる、ということを布教するために作られたのです」と解説があった。
漫画家のコーナーに移るとドラえもんを中心としたパネルが目に飛び込んでくる。ここで藤子不二雄A、藤子・F・不二雄についての解説が行なわれ、「富山県を代表する漫画家ということで藤子不二雄A先生、藤子・F・不二雄先生の紹介をしております。F(藤本弘)先生が高岡市の出身で、A(安孫子素雄)先生が氷見市の出身です。
2人は同学年で小学5年生のときに出会い、お互い絵や漫画を描くのが好きだったということで意気投合しました。彼らが中学2年のとき、そんな2人のために今でも高岡市にある『文苑堂』という書店の店主が手塚治虫先生の『新宝島』を取り寄せました。それを読んで2人は手塚治虫先生のようになりたいと漫画を描き、高校卒業後、1954年に上京します。
『トキワ荘』の手塚先生が出られたあとの部屋を借り、手塚先生が残していった机を並べて漫画家になりました。最初は少女漫画などを書いていましたが、1964年に描いた『オバケのQ太郎』がアニメ化されるなどして有名になったのです」とサクセスストーリーを紹介した。
常設展示室のネーミングにはすべて“ふるさと”が付いており「ふるさと文学の蔵」が3室、企画展示室が1室あり、それらをつなぐ廊下を「ふるさと文学の回廊」としている。富山県は多くの文化人を輩出しているという土地柄からか、前編で訪れた県営の「富山県美術館」「富山県水墨美術館」とも、ふるさと富山にゆかりのある文化人のスペースが多くある。この文学館はより富山に特化しているが、富山に関係の深い文学資料を集めただけでもこれほど多くのものがあると知らしめる場になっている。
この文学館はまだ新しく、デジタル技術をふんだんに使って子供も楽しめる作りであり、また県営の美術館/文学館は小中高生は無料であることなど、特に子供たちに文化に触れる場を提供し、そのなかで富山のよさをもっと知ってもらいたいという思いが伝わってくる。
高志の国文学館
開館時間:9時30分~17時
休館日:火曜日(祝日除く)、祝日の翌日、年末年始
入館料:
・本館 一般200円、大学生160円(※小中高生は無料)
所在地:富山県富山市舟橋南町2-22
TEL:076-431-5492
日本有数の日本刀コレクション「森記念秋水美術館」
高志の国文学館から歩いて行けるくらいの距離に「森記念秋水美術館」はある。秋水といえば漫画「ワンピース」のゾロがそんな名前の刀を持っていたようなと、文学館で漫画コーナーを見ながら思っていた。
学芸員 澤田雅志氏によると「秋水とは中国で生まれた言葉で、中国では字のとおり秋頃の澄んだ水のことを指します。これが平安時代頃日本に伝わると、澄み切ったものが転じて日本刀の研ぎ澄まされた刃を指し示すようになり、現在では秋水とは日本刀のことを指すようになりました。この美術館は全国でも珍しい刀剣をメインに展示しています。2階と3階に展示室があり、2階は刀剣専用に作られていて、200振りある収蔵品のうち30振りほどを常時展示しています」と説明があった。
日本刀が並べられた2階展示室内に入り、「日本刀が美術品と認識されだしたのは鎌倉時代あたりからで、日本刀の目利きがいて、手柄のあった家臣に褒美として渡すといったようなことが行なわれました。これは武器としての側面もありますが、日本刀が美しいものであり、美術品としての価値があったからだという経緯があります。
刀剣を見るポイントとしては、展示方法で刃が上にあるものと下にあるものがあり、上を向いているのが『刀』で下を向いているのが『太刀』となります。平安時代から戦国時代まで多く作られていたのが太刀で、刃を下にして腰帯から吊るすように使用していました。戦国時代以降、刃を上にして腰帯に直接挿す刀に置き換わっていきます。この違いは、鉄砲伝来による戦い方の違いによるもので、騎馬戦で一騎打ちの多かった時代から集団戦に移り変わったことを示しています。
日本刀を見るポイントは2つあります。1つは『刃紋』で、刃にある白く霞んだようになっているところに光を当てるとより輝く部分があり、これを刃紋と言います。この美術館ではライトの当て方などを工夫して刃紋がよく見えるように展示しています。
もう1つは『肌』で、黒い部分に木目のような模様があり、これは鉄を何回か折り曲げて研磨しながら打つためできる模様で、これを見ればいつの時代でどこの誰が作ったかを絞り込むことができます。ここに展示されている刀は名のある武士や大名が持っていたもので、実戦で多く使われていたような刀は『束刀』と呼ばれ、現存するものはほとんどありません」と、日本刀の美術品としての価値や仕様などについての説明があった。鉄の種類や刀匠、時代によって変化し、太平の世であった江戸中期に入ると美術品としての仕様が多くなったことなど、多くの解説があった。
日本刀の展示は年4期に分けて行なわれ、所蔵品のなかには日本刀のことをまったく知らなくても聞き覚えのある「正宗」や「村正」、宮本武蔵が使っていた刀などがある。最近では女性も多く来館するようになり、開館から閉館まで刃紋や肌などを細かくメモを取りながら過ごす熱心な人もいるという。3階では日本の近代美術を中心とした、絵画や陶芸などの企画展が行なわれている。
森記念秋水美術館
開館時間:10時~18時
休館日:月曜日(祝日除く)、祝日の翌日、年末年始
入館料:
・本館 一般1000円、高校生500円(※中学生以下無料)
所在地:富山県富山市千石町1-3-6
TEL:076-425-5700
創業明治44年の老舗「磯料理 松月」
昼食の時間になり、「富岩運河環水公園」から出る富岩水上ラインの終点である「岩瀬」へと向かう。岩瀬大町、新川町は旧北国街道に面しており、北前航路が最盛期の明治初期に建てられた廻船問屋が立ち並ぶ歴史的な街並みで、その一角に創業から106年経つ老舗「磯料理 松月」は佇んでいる。
最初に松月女将の黒田笑子さんが軽快な口調で「今日は遠路お越しいただきまことにありがとうございます。今日は岩瀬名物の白エビをお一方260匹召し上がっていただきます。まず、50匹をお配りいたしますのでどうぞ数えてからお召し上がりください。白エビは海の貴婦人ですどうぞゆっくりとおあがりください」と挨拶した。
まず、こちらも富山名物の「ホタルイカの酢味噌かけ」と小さな白エビを手むきした「白エビの造り」が出された。小さめのガラス小鉢に、透き通るような白い身がこれで50匹分なのかと思えるほどかわいらしく入っている。とても数えられそうにないが、この大きさをすべて手むきで調理するのはかなり大変な作業だと思われる。
「赤エビ、イカ、ヒラメの昆布〆造り」と10匹分の「白エビの唐揚げ」が出された所で、「世界で松月だけのお料理でございます」と威勢のよい女将の声が響き、火鉢に乗せられた「福団子」が登場する。これは手むきした200匹の白エビをすって団子にしたもので、竹串に刺して出される。1年中食べられるのかという質問に「福団子は1年中食べられるように努力しています。白エビは4月1日から11月いっぱいまでで、世界で営業的に食べられるのはここだけで、非常に珍しいエビとされています。駿河湾でも採れますが、桜海老と一緒に採れるので白エビだけを食べるのは大変だと思います」と答えた。
「カニの白雪かけと甘エビ」「カニの寄せ蒸し」「カニの甲羅揚げ」「アンコウと紅白の餅」などの品々が並べられ、お昼にしてはと思えるほどの量だったが、どれも食べやすく美味しく平らげた。料理は5000円から1万5000円の間で、時期に合わせた料理が出される。
磯料理 松月
営業時間:11時30分~21時
定休日:不定休
所在地:富山県富山市岩瀬港町116
TEL:076-438-1188
廻船問屋「森家」と岩瀬の街並み
江戸時代初期から日本海を行き来する北前航路が生まれ、江戸期から明治期にかけて日本海沿岸には廻船問屋が多く営まれていた。岩瀬では江戸初期に港町としての形ができあがり、北前船で米や木材などを大阪や江戸などに運んでいた。
明治に入り大火でそのほとんどを焼失したが、当時、廻船問屋業が全盛期を迎えていて、その財力で岩瀬独自の家屋様式「東岩瀬廻船問屋型」などの家屋として再建された。現在の街並みには、その当時の建物が多く残り、独自の建築様式の姿を見ることができる。
昼食を食べた松月の女将が、「岩瀬筆頭の大金持ちが、馬場はるさんという方で、その方が旧制高校をポンと寄付なさいました」という話があり、調べてみると現在の富山大学文理学部の前身となった旧制富山高校設立に100~150万円寄付を行なったことが分かった。現在のお金で数十億といった金額をポンと寄付できるほど、明治期の岩瀬の廻船問屋の資金力があったことがうかがえる。
明治時代の情緒漂う岩瀬の街中で土蔵や洋館などを見て回り、東岩瀬廻船問屋型町家の「廻船問屋 森家」にたどり着く。森家は岩瀬でも有数の廻船問屋で、前の通りは旧北国街道。江戸時代加賀藩だったこの場所は、加賀藩の殿様が参勤交代のために通ったところで、道幅は当時と同じ7.2mある。
1873年の火災で焼失し、5年後に京都の東本願寺を立てた宮大工が3年かけて再建し、1994年に国の重要文化財に指定された。間口は14.4m、奥行きは45mと縦長の建物で、これは当時の税金が間口の広さに対してかけられていたためで、建物裏には当時は神通川が流れており、船着場があったことなどが森家 作田館長から説明された。
森家の所有していた北前船の模型があり、北前船について作田館長は、「実物は長さ25m、幅9mで、船は当時長さで税金がかかりました。当時のお米で千石積んだので、これは千石船です。お米は1俵75kgで2000俵積みましたので、150tの今では小さな船ですが、当時の大型船です。乗組員は13名で、当時は今では3日間の北海道往復が50日、今では1週間の大阪上方には100日かけて往復しました。
北前船とは日本海で海運をしていた船の総称ですが、岩瀬では『バイ船』といいました。それは、行き帰り往復でのこぎり商法、各地で動く総合商社で、売ったり買ったり買ったり売ったりで倍々と儲けていたので『バイ船』です。一般的な、お客さんの荷物を預かって運賃を稼ぐ船を『賃積み船』と呼んだのに対して、船主が品物を売買する船を『買積み船』と言いました。
この千石船、年間の航海は4月から10月までの7カ月間だけです。冬の日本海は波が荒れて航海できませんでした。最盛期、森家は千石船と五百石、三百石合わせて10隻持っていて、その7カ月間で千両、今のお金で5000万円を稼ぎました」と当時の様子を解説した。
北前船廻船問屋 森家
開館時間:9時~17時
休館日:12月28日~1月4日
入館料:大人100円、中学生以下50円
所在地:富山県富山市東岩瀬町108
TEL:076-437-8960
電柱などを置かず、当時の姿を残している旧北国街道の街並みを抜けて東岩瀬駅に到着。東岩瀬駅は、旧富山港線時代から残る唯一の駅舎で、富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業した当時の姿を残している。富山ライトレールへの運行移管後も休憩施設として利用され、旧ホームは駅舎側が保存されている。
富山ライトレールは岩瀬浜から奥田中学校前までを旧富山港線の鉄道を利用しており、奥田中学校前から富山駅北までを新設して開業したもの。車両は虹色の7色あり、愛称は一般公募で付けられた港のポートと路面電車のトラムを合わせた「ポートラム」となっている。東岩瀬駅から富山駅北までライトレールに乗っての移動中に「赤いポートラムに乗ると恋が叶う」という話を聞き、下車後確認すると緑色。残念ながら恋が叶うことはなさそうだが、無事2日間の日程を終えて富山駅から帰路に就いた。