旅レポ
いで湯に浸かって文学と歴史に触れる! 兵庫県豊岡市で1泊2日の旅♪(その3)
いよいよコウノトリの郷へ
2017年2月27日 07:30
44年の時を経て復活した明治時代の芝居小屋
兵庫県豊岡市の旅レポ最終回は、城崎温泉から南に22km、車で30~40分ほどのところにある出石(いずし)のご紹介です。出石は高台に建つ出石城で栄えたかつての城下町。残念ながらお城は明治時代に取り壊されていますが、街は今でも趣のある風情が残っており“但馬の小京都”とも称される人気の観光地となっています。
出石でまず最初に訪れたのは、近畿地方最古の芝居小屋といわれる「永楽館」です。ここは1901年(明治34年)に開館した芝居小屋で、明治~大正、そして昭和の初めまで歌舞伎や寄席、新派劇などが上演され、大衆文化の拠点として賑わった劇場です。昭和の時代になるとメインは映画上映に変わり、その後テレビの普及などによって1964年(昭和39年)に閉館しました。しかし2008年(平成20年)、大改修の末に約半世紀ぶりに復活。現在は片岡愛之助さんが座頭で毎年歌舞伎公演を行なうなど、再びその歴史を刻み始めたのです。
永楽館のような芝居小屋はかつて日本各地にあったそうですが、閉館してしまうと大抵はまず倉庫になり、その後は駐車場、やがて屋根が朽ちてきてついには更地になり、最後は家や商業施設が建つという運命をたどるのだそう。しかし永楽館のオーナーだった方は約半世紀ここを売らず、瓦を1回張り替え直しつつ(固定資産税を払い続けて)所有し続けていらっしゃったのだそうです。
永楽館の素晴らしいところは、復原復活したこの建物を常時一般公開していること。廻り舞台や奈落、花道といった100年前の貴重な劇場機構の裏側を自由に見学することができるのです(興行日を除く)。前もって予約をすれば詳しい説明を聞きながらの見学も可能です。ただし日によって貸館の場合があるので、必ず事前にお問い合わせしてみてくださいね。
“古いけれど新しい”不思議で独特な空間の中で、その素晴らしい再生技術にため息をついていると、「復原工事を地元の業者さんに任せたのが大正解でした。何かあった時にすぐ来てもらえるからです」と赤浦館長さん。ここを指揮していた棟梁さんは“何かあったら呼べ! わしはこれに命をかけているのだから”とまで言ってくれたのだとか。
今は地元の人が敬老会や同窓会に使ったり、ジャズやロック、オペラなどのコンサート、現代劇なども行なったりするという永楽館。結婚式の披露宴もできちゃうそうで、その利用価値は無限大です。新時代のポップカルチャーの発信拠点として、これからどんどん有効利用されていくことでしょう。
沢庵寺で座禅修行と家光膳
出石の街の東側、緩やかな坂道を登りきったところにある宗鏡寺(すきょうじ)は、出石城主の菩提寺として1392年に建てられた臨済宗のお寺。出石の地に生まれ、この宗鏡寺で修行した江戸時代の禅僧・沢庵(たくあん)和尚にちなんで“沢庵寺”として親しまれています。この沢庵寺で今回、坐禅体験をしてきました。
ふだん坐禅体験をするのは本堂の奥にある座禅道場なのですが、この日は降り積もった雪でアクセスが困難だったため、本堂内の仕切られた部屋で行なわれました。まずはご住職が坐禅の姿勢や呼吸の仕方などについてご指導してくださいます。
ぴーんと張り詰めた冬の空気の中、ときおり屋根から雪がドサッと落ちる音があるだけで本堂の中は静寂の世界。常にスマートフォンを気にしながら生活している私にとって、自分の呼吸だけに集中して“無”になる坐禅体験は、別次元の時間に紛れ込んだような貴重な体験でした。
この沢庵寺での「坐禅と精進料理体験」は、約25分の坐禅体験と精進料理(お菓子&お茶付き)、拝観料を含めて1人2800円となっています(1日10名までの電話予約制)。今回私がいただいた「家光膳」のほかに、「釜炊きご飯の精進天丼」という別メニューもあるそうです。出石にお出かけの際はぜひ、沢庵寺での坐禅体験いかがでしょうか。ちなみにあぐらを組むので服装はゆったりしたズボンがベターです。
ルーツは信州そば! ご当地名物・出石皿そば
出石の名物といえば、小皿に少しずつ盛りつけて提供される「出石皿そば」。街なかにはなんと44軒ものおそば屋さんがあるのです。この出石皿そばの歴史は、江戸時代に出石藩主の松平氏と信濃上田藩の仙石氏がお国替えとなった時に、仙石氏が信州そばの職人を連れてきたことに始まるとされるのだそう。むむむ!信州出身の私としては食べておかねばならないご当地グルメのようです!
出石皿そばは、どこのお店も5皿が1人前と決まっていて、追加は1枚から可能(120円~140円ほど)。わさびや刻みネギのほかに、とろろと玉子が付いてきます。まずは“つゆ”だけでお蕎麦を味わい、次に薬味を入れて、その後はとろろ、玉子を入れて味の変化を楽しみながらいただくのが出石流とのこと。寒~い季節に暖かい店内で食べる冷たい皿そばは絶品でした。ちなみに私は15皿くらいいける自信あります!
コウノトリの野生復帰事業で知られる町・豊岡
今回のプレスツアー最後の訪問地は、豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園。1999年(平成11年)にコウノトリを再び野に放つ放鳥準備をする目的で設立された施設です。広い敷地は観察ゾーン、飼育ゾーン、自然ゾーンと大きく3つに分かれ、公開されている観察ゾーンにコウノトリ文化館があります。
コウノトリ文化館ではまず、シアタールームでコウノトリ野生復帰の歴史を学ぶために15分ほどのビデオを鑑賞。これがとても素晴らしい映像で、ラストは思わず涙が頬を伝ったほど! コウノトリがどうして日本の空からいなくなってしまったのか、その後豊岡市がどのような取り組みをしたのか、そして人工繁殖を経て放鳥に向けた環境作りをどうやって推進していったのかがよく分かりました。ナレーションは俳優の柳生博さんだったのですが、あとで調べたらどうやら柳生さんはコウノトリの野生復帰を支援するグループ“コウノトリファンクラブ”の会長さんを務めていらっしゃるようです。
その昔は人里近くに数多く生息していたコウノトリが絶滅した主な原因は、昭和30年代後半に大量に散布された農薬でした。それによってコウノトリの餌であるドジョウやフナが姿を消してしまったのです。また、コウノトリが巣を作る大木が次々と伐採されてしまったことも絶滅の原因の1つといわれています1971年(昭和46年)に保護された最後のコウノトリは飛ぶ力さえ残っていなかったのだそうです。
豊岡市はその後、コウノトリの人工飼育と同時に、田んぼと川をつなぐ水路の整備など、豊かな里山を取り戻す活動に力を入れました。次第に姿を消していた水生生物の姿が見られるようになってきた一方で、飼育数も増え、ついに2005年(平成17年)9月には野生復帰の第一歩として5羽のコウノトリの放鳥にまでこぎつけたのです。その後コウノトリの数は順調に増え、今では約90羽が豊岡の空を飛んでいます。
「豊岡の市民がコウノトリを迎え入れようという気持ちになったことが一番の要因だと思います」と話してくれたのはコウノトリ文化館の館長さん。それを一番支えてくれたのが“農業”だったといいます。農薬や化学肥料に頼らない米作りをしたことによってコウノトリの餌となるドジョウやフナを呼び戻すことができ、再び湿地帯における生態系の頂点にコウノトリが立つことができたのです。
この“人が普通に暮らす場所にコウノトリを再び迎え入れる”という豊岡市の試みは、とても画期的なことであり、世界で例を見ないものだと言われています。そしてなにより素晴らしいのは、安心・安全な無農薬のお米は多少高くても、コウノトリ復活の物語と共にちゃんと売れていること。コウノトリと共に生きるための農業は大成功をおさめたと言えるのではないでしょうか。
帰りがけ、遠くの人工巣塔にいる2羽のコウノトリを見ることができました。一度絶滅したコウノトリがこうして目の前で見られること、それはけっして当たり前のことではなく、長い長い年月とたくさんの人たちの努力が生んだ奇跡なんだと思いながらバスに乗り込み、コウノトリ但馬空港へと向かったのでした。