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ニュージーランド航空、過去のCA制服ショーなど日本就航35周年をお祝い
(2015/10/29 17:25)
- 2015年10月28日 開催
ニュージーランド航空は10月28日、2015年に同社就航から75年、日本就航から35年を迎えたことを記念したレセプションパーティを開催した。
1940年4月30日にショート S.30 エンパイアを使い、ニュージーランド・オークランドからオーストラリア・シドニーへ、9名の乗客を乗せ、9時間をかけてフライトしたのがニュージーランド航空のファーストフライトとなる。
パーティ冒頭で挨拶した、ニュージーランド航空 日本・韓国・東南アジア地区支社長のスコット・カー氏は、「我々は小さな国の小さな航空会社だが、素晴らしいことをやってきた。制服のデザイン、スカイカウチ、世界に誇る機内安全ビデオ、革新的で独創的なプロモーション、各省受賞のSNSキャンペーンといった取り組みが業界で独自性を放っている」とし、今後も改善と革新を続けることを強くアピール。
一方、日本路線は1980年8月に、成田空港(当時は新東京国際空港)とオークランドを結ぶ路線を開設。カー氏は、ニュージーランドへの航空便もなく、同国の都市名も知られていなかった35年前を振り返り、初便就航に向けて奮闘した「ある人物」を紹介した。
その人物とは、ニュージーランド航空の初代日本支社長である佐野守氏で、パーティでは乾杯の挨拶に登壇。ニュージーランド航空の日本支社ができる1967年に英国海外航空(BOAC)から移ったという佐野氏は、当時カンタス航空しか南半球からの便がなかった時代に、なるべく早い時期に羽田とニュージーランドを結ぶ便を作りたいと奮闘したそうだ。
まずは、ニュージーランドの知名度が低かったことから、1970年の大阪万博や、ニュージーランドのラグビーチームを招聘して日本代表チームと試合をしたこと、全国の市町村とニュージーランドの都市の姉妹都市提携に向けて奔走することで知名度を向上させ、日本支社開設から13年を経て就航にこぎ着けたというエピソードを紹介した。
ちなみに、ニュージーランド航空は2019年のラグビーワールドカップの日本開催までに日本市場を2倍にする「ダブルジャパン戦略」を進めているが、昨年度会計で29%、今年度会計では45%の進捗率になる見込みで、日本からニュージーランドへ向かう便の乗客は昨年10月~9月の期間の統計で、前年同期比9%の伸びを示しているという。そして、今後はアクティブシニアや学生層、25~40代の旅慣れた個人旅行客などを対象に新規顧客開拓などを軸に戦略に取り組んでいくとしている。
こうした同社乗客の多くは最終目的地がニュージーランド国内である人が多いそうで、数%がトンガやサモアなどの太平洋諸島へ乗り継ぐ程度であるという。カー氏は「12月にオークランド~ブエノスアイレス線を開設するので、できれば日本からオークランドを経由して南米に行くという活用をしてほしい」と話した。
また、2015年はカンタス航空の羽田~シドニー線、成田~ブリスベン線が就航したほか、ANA(全日本空輸)の羽田~シドニー線が12月に就航する。この影響について、ここ2年間でニュージーランド行きの顧客は増えている一方で、オーストラリアは縮小傾向にあるほか、両国へ旅行する人はそれぞれ目的が異なるとして、同社に与える影響は小さいとした。同氏は「むしろチャンスだと思っている。オーストラリアとニュージーランドの両国を1度に旅したいという人もいるので、往路はANA、復路はニュージーランド航空といった使い方もしてほしい」と提案した。