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東急世田谷線が開業100周年。玉川線とあわせて歴史を振り返る

2025年4月29日~2026年3月31日 実施
「なつかしのギャラリートレイン」運転開始に先立ち、お披露目と出発式が行なわれた

 東急世田谷線(三軒茶屋~下高井戸)は、5月1日に開業100周年を迎えた。東急は4月29日~2026年3月31日を周年期間として、さまざまな記念行事を計画している。その一環として、300系電車・8編成を対象とする記念ヘッドマークステッカーの掲出に加えて、「なつかしのギャラリートレイン」を運行する運びとなった。

「なつかしのギャラリートレイン」による記念列車の出発式

 実は、世田谷区内で南北方向を結ぶ鉄道路線は少ない。しかも世田谷区内の道路事情は、あまりほめられたものではない。だから、東急田園都市線~小田急小田原線~京王電鉄京王線を結ぶ“横の連絡路線”としての東急世田谷線は、なかなか貴重な存在といえる。

 そこで使われている300系は世田谷線の専用車両で、1999~2001年にかけて合計10編成が製造された。編成ごとに外部塗装の色を変えてバラエティを持たせているが、一部の編成は塗装が異なっている。

 このうち、「なつかしのギャラリートレイン」となったのは、トップナンバーの第1編成。この編成は東急玉川線(後述)時代の外部塗装を施した復刻塗装車だ。

 この編成に加えてさらに7編成が、先頭部の記念ヘッドマークステッカー掲出対象となる。在籍車両とは2編成の差が生じるが、これは「SDGsトレイン」になっている第10編成と、「招き猫電車」の第8編成が対象から外れているため。

「なつかしのギャラリートレイン」に指定された、東急300系の第1編成(301F)
第10編成(310F)は「SDGsトレイン」として運行されており、記念ヘッドマークステッカーは付かないとのこと
「招き猫電車」になっている第8編成(308F)も、記念ヘッドマークステッカーは付かない
三軒茶屋駅で。記念イベントの実施を告知するポスターが掲出されていた
テープカット前のひとこま。左から順に、「三茶わん」「が~やん」、そして右端が東急の「のるるん」。続いて関係者によるスピーチを行なった
世田谷線開通100周年記念事業実行委員会 委員長 飯島祥夫氏。「100年という歴史の重みは、沿線の皆さまと関係機関の方々、そして日々、御利用いただいているお一人、お一人の支えによって築かれてきたもの」
世田谷区長 保坂展人氏。「世田谷線は、世田谷区民にとって“街のシンボル”」「隣の駅が見えるぐらい、駅と駅の間の距離が短い点が特徴。それぞれの駅に顔があって、商店街があって、暮らしがある」
世田谷まちなか観光協会 会長 桑島俊彦氏。「鉄道事業者やメディアなどと連携しながら、地域の魅力を発信したり、交流の促進を図ったりしている」
一般財団法人大場代官屋敷保存会 理事長 大場信秀氏。「世田谷線の計画はいったんは頓挫しそうになったが、地元住民160名による署名・請願があり、会社の熱意と沿線住民の不断の熱意によって実現した」

 今の状況だけ見ていると信じられないが、昔の世田谷区は「農村」だったのである。そこに新たな鉄道を敷いて事業を成立させるのは、そう簡単な話ではなかっただろう。

 東急電鉄 代表取締役専務執行役員 鉄道事業本部長の伊藤篤志氏は、「これから1年間にわたり、来訪者の方に喜んでいただけるようなイベントをいろいろ企画していく。100周年記念イベントは1年で終わるが、社会環境や事業環境が変わるなかで、どう“愛される世田谷線”であり続けるかを考えていきたい」と展望を述べた。

東急電鉄株式会社 代表取締役専務執行役員 鉄道事業本部長 伊藤篤志氏

 式典のあとは、地元関係者を乗せた記念列車が、上町~下高井戸~三軒茶屋間で運転された。その記念列車の出発に際して行なわれたテープカットと出発お見送りには、世田谷区商店街連合会キャラクター「が~やん」、三軒茶屋銀座商店街振興組合公式キャラクター「三茶わん」、そして東急線キャラクター「のるるん」が登場した。

記念列車は「貸切」表示の臨時列車で、先頭には「のるるん」が添乗(?)している。
テープカットの瞬間
東急電鉄 世田谷線管区 区長の中村雄治氏による出発合図
そして記念列車は下高井戸に向けて走り去った
記念列車が下高井戸で折り返して、上町に到着したときの様子。左手で掲出されている横断幕には「招き猫」があしらわれている
世田谷線管区の中村区長は、記念列車の車内でもあいさつなどを担当

「なつかしのギャラリートレイン」の車内を見る

 さて、「なつかしのギャラリートレイン」の車内はどうなっているか。

 ギャラリーとして使われているのは、車内に設置されている広告枠のうち、中央の「吊り広告」の部分。16か所ある広告枠に、「見出し」の1枚と、在りし日の玉川線・世田谷線の写真が15点、掲出されている。全部の枠で内容が異なることになる。

300系の車内。ギャラリーになっているのは吊り広告だけで、左右の「肩」の部分の広告枠は通常どおり
300系の腰掛は、ロングシートになっている優先席以外は、方向固定の1人掛けクロスシート
吊り広告の詳しい内容については、乗車してのお楽しみとしておこう
吊り広告枠のうち1枚分は、世田谷線の歴史やギャラリートレインの説明に充てられている
これは外装。オールドファンなら、東京急行電鉄を意味する「T.K.K.」の標記に懐かしさを感じるだろう

 なお、この編成は記念列車としての運行を終えたあと、そのまま営業運行に入った。

記念列車が三軒茶屋駅に到着したら、降車ホームと反対側の乗車ホームは、乗車待ちの列ができていた
三軒茶屋駅を出発する301F。背後にある茶色の建物は、三軒茶屋駅と一体になっているキャロットタワー
三軒茶屋駅の外では、沿線各所の商店街と連携しての「世田谷線開通100周年記念マルシェ」が行なわれていた
もちろん、そこでは東急電鉄もブースを出していた

東急玉川線と世田谷線

 東急多摩川線(多摩川~蒲田)という路線があるが、これは目蒲線のうち目黒線に改められた区間以外について、独立した路線・運行系統に改めたもの。それとは別に、同じ「たまがわせん」という読みで、かつて東急玉川線が存在した。

東急の路線網。世田谷線は右上にあり、三軒茶屋から分岐しているのが分かる。その三軒茶屋を含む渋谷~二子玉川園(現・二子玉川)間はかつて、玉川線という路面電車だった

 これは、玉川電気鉄道(通称・玉電)が1907年に開業した渋谷~二子玉川園の9.1kmを結ぶ軌道線。1938年の合併により、東京横浜電鉄(当時。後に東京急行電鉄を経て東急)の路線になった。

 その後、砧線(二子玉川園~砧本村)の2.2kmが1924年に、下高井戸線(三軒茶屋~下高井戸)の5.0kmが翌1925年に開業するなど、路線網を拡大した。このうち下高井戸線が、現在の世田谷線である。そして2025年に、1925年の開業から100周年を迎えた次第だ。

 玉川線の軌間は京王線や都電と同じ1372mmだが、これは多摩川で採取した川砂利を建設資材として都心に輸送するため、都電との直通を計画した事情による。昔は路面電車でも貨物輸送が行なわれていたのだ。

 玉川線は、一般的に路面電車によくある併用軌道(道路と線路が同居している)だったが、さすがに速度の面でも輸送力の面でも時代についていけなくなった。そして1969年5月11日に、玉川線と砧線は廃止。代替として新玉川線が建設され、1977年に開業した。

 新玉川線は二子玉川園以西で田園都市線と直通するようになり、田園都市線のうち二子玉川園~大井町は系統分離して大井町線とされた。その後、新玉川線は実態に合わせて田園都市線に組み入れられて現在に至る。

 一方、軌道線のまま残ったのが、現在の世田谷線である。世田谷線は大半が独立した専用軌道であり、道路交通が運行に影響することはない。そのおかげもあり、廃止を免れて100周年を迎えることができた。

これは、今回のイベントとは別のときに山下駅で撮影。頭上の高架は小田急小田原線だ。このように、世田谷線は道路と分離された専用軌道になっており、これが生き残った一因となっている

 なお、玉川線の大橋車庫は廃線後にバスの車庫に転用され、さらに現在は首都高速道路の大橋JCTになっている。だから、往時をしのばせるものは残っていないといえる。

 一方、玉川線の渋谷駅は京王井の頭線渋谷駅と地下鉄銀座線渋谷駅に挟まれた場所にあり、玉川線の廃止後はバスターミナルに改められた。そうした経緯から幅が狭隘だったため、バスが方向転換するためにターンテーブルが設けられていたのは有名な話。こちらも、渋谷マークシティの建設に伴って消滅した。