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「北九州の味」が東京初進出! 資さんうどん両国店「行列100人越え」現地レポ

東京・両国に「資さんうどん」がやってきた!!

 福岡県北九州市での創業から50年、「資さんうどん」が、ついに東京に進出を果たした。

 東京での1号店となる「資さんうどん両国店」(東京都墨田区緑2-16-2)では、初日には整理券を取る段階で100人以上の行列ができ、さらに食べるまでは1時間、2時間待ち……。これまで九州に食べに行っていた「資さんうどん」を、両国で食べることができるようになったこともあり、店は多くの人々でにぎわっていたようだ。

 なお、2024年12月に開店した「関東1号店」の八千代店(千葉県八千代市)は、「1日の売上200万円、来客2000人以上(通常のファミレスの4~5倍)という驚異の売上を保ち続けているようで、オープン1か月が経過した時点でも、「120分待ち」が生じていた。さて、注目の「東京1号店」はどうなのか?

 2月24日のグランドオープン翌日、資さんうどん両国店にさっそく足を運んだ。

資さんうどん両国店

【現地レポ・朝編】行列なし?も、いろいろ見どころアリ

 京葉道路沿いの静かな街にある資さんうどん両国店は、JR総武線・都営大江戸線の両国駅から徒歩11分・約800m。最寄りの都営バス「緑2丁目」停留所には「錦27」「両28」が発着、「錦糸町」「西大島」「小岩」などの鉄道駅から乗り換えて到達できる。

 この店舗は、2021年までは「ジョナサン両国店」、それ以前もファミレス「グルメドール」があった場所だ。店の「階段を上って入る」立地は変わらないが、1階にあった駐車場が閉鎖され、駐車場なしの扱いとなっている。

 1回目に入店したのは、2月25日の朝7時台前半。行列を覚悟して伺ったものの……行列なくすぐに入店できた。お店の方によると、前日のグランドオープンでは、かつての1階駐車場が埋まるほどの行列ができていたとのこと。

 店内は、道路側にある1人がけカウンター25席、2人テーブル約10席を含む105席。客足としては、朝時間で半分程度埋まっているなら、上々だろう。

肉ごぼ天うどん+ぼた餅

 頼んだ「肉ごぼ天うどん+ぼた餅」は4分少々で提供され、「長さ14cmのごぼ天は丼の上でしっかり屹立」「麺・ダシ・天ぷら・鉢もアツアツ」「北九州で食べる一品と変わらず、絶品!」と、ほぼ完ぺきな状態で美味しくいただけた。なお、とろろ昆布・つぼ漬け・天かすやお茶は、フロア中央部近くにあるので、先に取りに行った方がよい。

 店内を見回すと……トレーナーさんが数人、新人さんがちらほらと混ざっている感じだ。なかでも、ひときわ爽やかな接客をされていたフロアの方、間違いなくタダ者ではない(要所要所でいろいろお見かけする、腕利きのトレーナーさんのはず)。

 店の近くには図書館やスーパー銭湯「両国湯屋・江戸遊」などがあり、「前々日に全力でサッカー応援、深夜まで原稿書いて前日に8時間ほど山歩き、そのまま4列シートの夜行バスで高知県から帰還」というボロボロの状態でも、時間をつぶしながら2回目の来店に向けて体力を回復できる環境は揃っている。

【現地レポ・昼編】見事に1時間待ち、でも美味! 店内ではスゴい方が接客?

 2回目の入店は、同日の昼ピーク、13時過ぎ。昼間の行列は見事に100人を越え。整理券をもらうだけで30分、さらに30分待ちという状態であった。しかし、タッチパネルでオーダーして5分で「丸天うどん+おでん3本+かしわおにぎり+生ビール」という複雑な注文が到着したため、オペレーション自体はしっかり回っているのだろう。

 注文した「丸天うどん」は、丸天がしっかりと揚げたてで、染み出る旨味と黄金色のダシが、しっかり絡んでいた。さらに、味が染み染みの「かしわおにぎり」と「おでん」(無料のとろろ昆布トッピング)、「生ビール」がいずれもしっかりよい状態で提供されていた。それにしても……資さんの丸天とビールって、相性抜群にもほどがある!

 そしてフロアでは、資さんの関係者だけでなく、すかいらーくホールディングスの役職の方(はっきり書かないが、かなり上の方!)が、普通にキビキビと動いていた。片付けが間に合わない一角をサッとカバーしたり、初めてで注文にとまどう来客を見つけてフォローしに行ったり……。こういった光景が見られるのも、今のうちだ。

 なお、朝・昼ともども、1人がけカウンター席がかなり埋まっており、昼間から呑む人々の姿も見られた。地元ではどうやら、「資さんで一杯ちょい飲み」略して「資飲み」のお客さんが先に定着しそうだ。

 オープンしたばかりの資さんうどん両国店は、当面の間は6時~24時(最終受付は23時)で営業するようだ。昼・晩のピークには、余裕をもって行くといいだろう。

 そして、食べたあとは腹ごなしに、近所を歩いてみてはどうだろうか? 実は資さんがある場所は、ただの宅地ではない。

両国店は「資さんin大名屋敷」食べて啜って、歴史をたどる

資さんうどん両国店1階入口前の看板によると、この一帯は江戸時代に「津軽藩(弘前藩)上屋敷」があったそうだ。

「上屋敷」は大名が江戸に住み、執事を行なう場所。いわば「巨大社宅兼・東京出張所」のようなもので、津軽藩のそれは「敷地7000坪、東西100m、南北200m」という途方もない広さであったという。もともと神田にあった津軽藩屋敷は、元禄元年(1688年)、4代目・津軽信政公の時代に、隅田川を隔てた本所(現在の資さんと、その北側一帯)に大名屋敷を移した。

 一説によると「江戸時代には火事の際にしか打ち鳴らさなかった太鼓を、津軽藩はことあるごとに鳴らしたために本所行きを命じられた」とも、「度重なるお家騒動で幕府に本所行きを命じられ、腹いせで太鼓を打ち鳴らした」とも。太鼓へのこだわりを感じさせる「津軽藩屋敷の櫓太鼓」の話は、江戸時代の奇談(いまでいう都市伝説)「本所七不思議」の一つにも数えられている。

 なお厳密に言うと、上屋敷の門は、京葉道路の中央分離帯のあたりにあったようだ。つまり、「大名屋敷の門の内側、入ってすぐの辺り」に、資さんがある……この場所でうどんを食べていたら、世が世なら“斬り捨て御免”となりそうな場所だ。

 近隣には、おひざ元に両国国技館がある「相撲の街・両国」ならではの史跡も。江戸時代には雪を踏んで鍛えた津軽出身の力士が多かったこともあり、JR総武線を挟んだ津軽藩上屋敷の跡地には、相撲の神様をまつる「野見宿禰神社」が創建された。境内には歴代の横綱を祀った石碑が建ち、その横には高砂部屋もあったという。

 隅田川沿いに歩けば、分かれた運河や入江を利用した「御米蔵」(江戸幕府直轄・天領の年貢米を管理していた場所)の跡地があり、今は両国国技館や江戸東京博物館がある。

 各地から米や材木が集まり、高砂部屋の力士が四股を踏みしめる両国の街に、鉄鋼の街・北九州で味と接客を鍛えた「資さんうどん」が登場した。まもなく隅田川沿いに桜が咲く季節、資さんで食べたあと、ぼた餅・いなり寿司をテイクアウトして、眺めながら食べるのもよいだろう。