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改めて検証、国際航路クイーンビートルはJR九州とともにあった。撤退を早めてしまった「一隻体制、一本足経営」
2025年1月11日 06:00
いったんは存続を模索→急転直下、撤退へ
福岡・博多港~韓国・プサン港を結ぶ高速船「クイーンビートル」の運航終了が発表された。この船は以前から船底に浸水が生じていたが、それだけでなく、浸水を隠ぺいするような行為が関連省庁の抜き打ち検査で次々と発覚。8月13日から休航を余儀なくされていた。
この航路は、現在の船の前身であるジェットフォイル「ビートル」から30年以上にわたって、JR九州グループが運営を担ってきた。8月の抜き打ち検査以降、「浸水報告の不履行」「浸水記録の二重・ウラ管理簿作成」「安全機器の動作偽装」「社長も不正を把握・指示」などの実態が早期に明らかになり、休航発表後の記者会見でも、JR九州 松下琢磨常務が「(船舶の)事業を行なう資格があるのか、問うような声も挙がるだろう」と述べている。
しかし、JR九州 古宮洋二社長は「安全意識、船のハード的な対策(船体の補修)ができれば運航再開もある」と何度も発言、クイーンビートルの復活を前提に動いていた。その後12月に入って「補修に技術的な難しさがある」「(運航再開は)可能な限り早く決断したい」とトーンダウン。23日に運航再開の断念と、船舶事業そのものからの撤退発表にいたっている。
一連の実態が明らかになった8月の時点で、「事業としての継続が難しいのでは?」という声は多く上がっていた。にもかかわらず、なぜJR九州はクイーンビートルを守ろうとしたのか。
※前編記事では、クイーンビートルの不正検査の詳細が記された「第三者委員会調査報告書」を読み解いている。あわせてご覧いただきたい。
実は、「JR九州グループの船舶事業」は30年以上の歴史があり、44のグループ会社のなかでも、大切にされる特別な存在であった。まずは国鉄の民営化で九州旅客鉄道株式会社が発足した37年前にさかのぼり、船舶事業で「ビートル」「クイーンビートル」がどれだけの役割を果たしてきたか、振り返ってみよう。
船舶事業は「子会社のなかでは超・名門」
1987年4月1日にJR九州が発足した当初、鉄道事業は300億円の赤字を抱えており、利益獲得のためになりふり構わず副業を立ち上げる。1989年9月3日付・朝日新聞によると、発足2年目のJR九州の副業はベーカリー、コンビニ、アイスクリーム店、損害保険代理業、農業、ニューメディア事業、自動車販売業など40以上。ここに1990年から加わった「船舶事業」は、JR九州の定着した事業のなかでは、トップクラスの歴史を持つ。
さらに就航当時は、のちに社長・会長を歴任する唐池恒二氏(現:相談役)が、課長としてかかわっていた。なお唐池氏は、クイーンビートルの前身となる高速船「ビートル」の博多~釜山航路の出発式典(1991年3月)で司会を務めたあと第1便に飛び乗ったが、出国手続者数と船内にいる乗船員の数が1人合わず……自身のカウントを忘れていた、という微笑ましいエピソードが残っている。
ビートルは長らく黒字化を果たせず、2003年に日本で放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」効果で利用者数が過去最高(年間35.3万人)に達したあとも、そこまで利益を上げてはいない。ただビートルは、年間3万枚以上を売り上げていたインバウンド観光客向けの乗り放題切符「JR九州レールパス」とのセット利用も多かったという。
いわばビートルは、韓国からの旅行客を「ゆふいんの森」「あそBOY」など観光列車に誘導するための重要なアイテムであり、2009年から社長に就任した唐池氏も、「ビートル+鉄道」をはじめとする商品で、海外からの観光誘客を前面にアピールした。船舶事業はJR九州本体に、利益では計れない絶大な貢献を果たしてきたのだ。
誤算だったコロナ禍
JR九州は、20年以上も使用したビートルの置き換え検討を始める。ここから意図しなかった誤算が連続で生じてしまい、最終的に「運航継続のための不正検査」につながってしまった感は否めない。
まず、ジェットフォイル3隻「ビートル」「ビートル2世」「ビートル3世」を、クイーンビートルのようなトリマランタイプの高速船に置き換えるという経営判断を下した。ジェットフォイルは海面上を飛ぶように進むため、45ノット(およそ時速80km)とかなりの爆速で航行できるものの、定員200人程度にとどまる。かつ、クジラなどを避けるための急減速もあり、船内ではシートベルトが必須だ。
一方でクイーンビートルのような高速旅客船なら、所要時間は3割ほど長くなるものの、船内での行動は自由となり、JR九州が「ゆふいんの森」「A列車で行こう」など数々の観光列車で展開してきたアテンダントサービスも強みとして活かせる。横に幅広い構造のトリマラン船体なら500人ほどの定員があり、観光シーズンの予約を満席で取りこぼさずに済むというメリットもあった。
さらに航空機との競争で利用状況が30万人を割り、そのあとみるみる落ち込んで年間20万人弱に。1時間弱で着く航空の逆を行く「ゆっくり、快適なサービスを受けて移動できる」高速船での勝負を選択したのだ。
コロナ禍でほかの船を売却。「クイーンビートル一本足経営」に
しかしここで、2020年からのコロナ禍に巻き込まれてしまう。2020年7月に就航を予定していたクイーンビートルは、オーストラリアからの到着が10月に遅れたうえに、海外渡航に制約がかかる状態では、もちろん就航ができない。
JR九州高速船も社員を一時帰休させるような状況で、2020年3月期決算で69億円の赤字と、もはや会社存続すら危うい状態になってしまった。
当初の予定では、クイーンビートルと同様の船体をもう1隻購入し、ジェットフォイルのビートルも1~2隻は残す予定だったという。しかしJR九州高速船に資金の余裕はなく、ビートル3隻はすべて売却されることに。2番船造船のめどもたたず、残された船はクイーンビートル1隻のみ。ここに、JR九州高速船の不安定な「クイーンビートル一本足経営」がスタートする。
コロナ禍の明けた2022年10月にようやく就航したものの、利用者は7万人程度で、コロナ前の年間20万人弱の半分以下、乗船率も50%がやっとという状態。かつ、船が一隻しかないため、休航すると代替の輸送手段もなく、予約客に頭を下げて費用を補償するしかない。なにより「クイーンビートル一本足経営」では、船を動かさないと収入は入らない。
不正が行なわれた過程をヒアリングした第三者委員会の資料では、「急に休航するとキャンセルで多くの顧客に迷惑がかかることを言いわけに、違法であることを認識しつつも検査を怠った」ような記述がある。
最初に検査不正が行なわれたのは2023年2月(浸水の報告不履行)、さらに踏み込んだ「浸水量を表に出さない“ウラ管理簿”の作成」「浸水警報機を50cmも上部にずらして鳴動を止める」などの検査不正は2024年2月~5月。オースタル製の新造船はクラック(亀裂)などの不具合も多く、なるだけ休航させないための検査不正という選択が、二度目の行政処分と安全への信頼の失墜、最終的には会社の消滅(捜査終了後に会社清算の見通し)につながった。
第三者委の調査は低評価。「クイーンビートル一本足経営」の責任はどこに?
今回の検査不正が起きたのは「JR九州高速船」、子会社とはいえJR九州とは別会社だ。しかし実際には幹部の多くがJR九州からの出向であり、双方向で集客を行なっていたのは、先に述べたとおり。クイーンビートルも「JR九州のグループ会社」とWebサイトに明記していた。
第三者委員会報告書の報告をさらに外部から評価する格付け委員会でも、「JR九州との関連性への言及が不十分」と報告書を評価。9人の委員の評価は「D」(4段階の最低評価)、「F」(その下。評価に値せず)に分かれた。なお、格付け委員会で「D」「F」のみの評価が出たのは、「SOMPOホールディングス自動車保険不正請求」(中古車販売店絡み)以来のことだ。
1隻の船舶だけで経営を行なう「クイーンビートル一本足経営」体制は、鉄道でいえば予備車を持たないようなもの。なぜ親会社として1隻体制を容認したのか。また就航率アップにムリなプレッシャーをかけていなかったのか。第三者委員会が「そこに原因があったとは考えていない」と、今の段階で明記できること自体、大いに疑問が残る。
博多~釜山航路はもとより航空と激しい競争を繰り広げており、LCC「エアープサン」などが往復6000円程度のタイムセールを連発。片道1万円以上のクイーンビートルは競争に勝ち抜けなかったかもしれない。かつ、博多~釜山の航路にはフェリー「カメリアライン」もある。航路自体の未来に問題がなさそうなのが、せめてもの幸いだ。
いずれにせよ、今回の「クイーンビートル検査不正」では、親会社であるJR九州の安全への姿勢を問う声も多い。また、運航開始当初から不具合が多かったクイーンビートルの船体そのものに関する疑問すら「本調査の対象としていない」としている第三者調査委員会の報告書に疑念を抱くのは、何も格付け委員会だけではない。
同社の基本的な考え方「安全はあるものではなく、作りあげていくもの」に基づき、信用を再度作り上げるための原因解明が行われることを願うばかりだ。