旅レポ
タイとラオスの国境を旅する【後編】
日本の歌謡曲が聞こえるタイ国境を越え、ラオス神秘の世界遺産へ
(2016/2/18 00:00)
ソムタムなどの辛い料理や巨大蝋燭で有名なタイのウボンラーチャターニーの街を前編でご紹介しましたが、今回は国境を接するラオスへと向かいます。のんびりした国境の様子とラオス南部の町、パクセーや世界遺産のワット・プーをご案内します。
タイで買ってラオスで売れば4倍に?
今日はタイの最東の県都、ウボンラーチャターニーから車で陸路で国境を越え、いよいよラオスの南部の町、パクセーへ。前編に引き続き、タイ国政府観光庁職員のセッタポンさんと、現地ガイドのキャオさん、そして旅行会社の社員Aさんと私の4人は、朝早くクルマに乗り込み国境の街、チョーン・メックを目指します。
ところで、タイ国政府観光庁の研修旅行なのになぜラオスにも連れて行ってくれるのか? どうしてそんなに太っ腹なのかセッタポンさんに理由を尋ねると、「国境越えも楽しいですよ。それにワット・プーは、ウボンラーチャターニーから近いんです」と微笑みます。「そうですか、ありがとうございます」と手を合わせたり、ムシャムシャとおやつを食べたりしているうちに、2時間後、イミグレーションオフィスの前衛的な建物が見えてきました。国境の手前には、小さな市場があり買い物客で賑わっています。
何が売っているのだろう? と覗いてみると、食料よりもTシャツや靴、歯磨き粉やシャンプーなど日用品がうず高く積まれています。
「ここでタイ製品を買ってラオスに運ぶのです」とキャオさん。
「どうしてですか?」
「工業製品の少ないラオスでは3、4倍の値段で売れるんですよ。巻きスカートはいているのがラオス人、そうじゃない人はタイ人です」
しめしめ。「それなら我々もたくさん買って、向こうで売りさばきましょうよ」と思わず提案しそうになったのですが、セッタポンさんに「何しに来たのだ。タイ国政府観光庁は、もうおまえなんて、2度と連れて来ない」と叱られそうなので、ぐっとその言葉を飲みこみました。
それなら、モンキーバナナでも買っておやつにしようと考えていたら、「国境で取り上げられてしまいます。生ものは持ち込めません」とキャオさん。そうでした! 検疫がありました(しかし、実際には手荷物検査もなくスルーでした)。
市場には、たくさんの食用カエルを売っていたり、カラフルな貯金箱を並べていたりする店もあり、さらには露店のお惣菜屋さんの足元で2匹の犬がぐうぐう寝ていたりと、見ていて飽きませんが、さっそく国境のゲートへと向かいます。
クルマから荷物を取り出すと、手押し車の人たちが近寄ってきました。いくらかキャオさんがお金を渡すと、荷物をひょいと乗せてスタスタと行ってしまいます。
「あれ? 大丈夫かしら? 荷物が先に行ってしまったけど」
「大丈夫です。ラオス側で荷物が先に待っています」
盗まれてしまったり、間違えて誰かが私のスーツケースを持っていってしまうことはないのだろうか? と心配になりましたが、それだけ治安がよい国境なのでしょう。それにしても、手押し車の人たちは1日に何度もタイとラオスを往復するのでしょうが、特別パスなどがあるのでしょうか?
タイとラオスの国境で「昴」熱唱?
タイ側の出国審査の窓口は小さな部屋に2つだけ。不思議なことにその部屋から「♪わーれはゆくー さらばあ、すばるよおおお~」と日本語の歌が聞こえてきます。
「この歌は……谷村新司の『昴』ですよね?」
「ですね。なぜこんな小さな国境で日本の歌謡曲が……」
ラジカセから演奏が聞こえてきますが、よく耳をすませば歌は生歌です。誰が歌っているのかと思いきや、サングラスをかけた中年の審査官が大声で「昴」を歌いながら、判子をポンポン押しています。今夜はカラオケ大会なのでしょうか? 外に出ても「昴」の熱唱が聞こえてきますが、この職場、どうにも自由すぎる!
ここでタイ側の現地ガイド、キャオさんとはしばしお別れ。「わたし、ラオスも詳しいのですが……」と残念そうですが、ガイドをするには、その国ごとに資格が必要なのです。
「キャオさん、またね!」と手を振り、建物を出たらラオス! ということはなく、タイ国境とラオス国境の間に緩衝地帯があり、ラオス側の入国管理局はその先にあります。
緩衝地帯には、200mほどの地下トンネルが掘られているのですが、階段のみでエレベータもありません。荷物が多い人は大変だなあ……と思っていたら、トンネル手前で柵を勝手に開けるおばちゃんを発見! 開けたら閉じる。きちんと閉めたのを確認して、地上をスタスタ歩いてラオスへと向かっています。
えー? いいの? おそらく常習犯でしょう。歩道橋がめんどくさいから、無理やり道路を横断する人ってよくいますが、そのくらいの感覚なのでしょう。それにしても勝手に開け閉めできる国境に何の意味があるのか、謎でいっぱいです。
長いトンネルを抜け、地上に出ると途中の通路に途中に高さ10cmの柵があり、これがどうやら本当の国境線らしく、みなさん、次々とまたいで越えていきます。
ラオスのおじさんは女子に甘い?
短い緩衝地帯を手荷物だけで歩いて横切り、無事にラオス側の入国審査の窓口に到着できました。ラオス側のさわやかな青年ガイド、チャイさんが待っていてくれて無事、合流。
パスポートを窓口で出すと、審査官のおじさんが奥に持っていきます。ところがセッタポンさんとAさんのパスポートは出しても突っ返され、入国カードを渡されています。「あれれ? 私のパスポートだけなぜ返ってこないの?」と慌てると、「君のだけは俺が書いてやるぜ」と窓口のおじさんの大サービスだったことが判明。
セッタポンさんたちが、入国カードにぐりぐりと記入しながら、うらやましそうに「こっちの人は女子には優しいのです」と言うけれど、タイ側の歌う窓口同様、自由気ままのようです。しかし、皆のパスポートが返ってきてビザを確認したら、1週間ビザのはずがセッタポンさんのビザだけが1カ月間に。なぜ3週間も増えた!?
「あっ! しかも知らない人の入国カードが挟まれている! 間違えているよー」と慌てて窓口に返すと、どうやら間違ってセッタポンさんの入国カードを誰かに渡してしまった模様。
鼻唄を歌いながら、「ないから、また書いてね」と審査官のおじさんが新しいカードを渡すのですが、セッタポンさんと間違えられて1カ月ビザを1週間ビザに減らされてしまった人はいつ気が付くのだろうかと気が気でなりません。国境を通過する人は、しっかり確認した方がよさそうです。
ラオスのラザニアはうまかった
ラオス南部の都市、パクセーに到着したのは12時過ぎ。一見、タイの町とあまり変わらないように見えますが、おしゃれで洗練された建物や小さなカフェがポツポツあり、角度によってはパリの街角のような雰囲気です。昔、フランス領だった面影が残っているのかもしれません。
ラオスで2番目に世界遺産に登録されたワット・プーまではここから約2時間。ラオスの首都ビエンチャンよりも、タイのウボンラーチャターニーから行く方がアクセスもよいようです。ウボンラーチャターニーからパクセーまでダイレクトバスで3時間。1泊2日あれば、ゆっくり世界遺産もパクセーも見てまわれます。
ちょうどお昼時なので、パクセーでまずは腹ごしらえをすることに。タイの辛いイーサン料理を食べ続け、胃もお疲れ気味なので、何かあっさりしたものを食べたくなります。
タイのイーサン料理同様、ラオスの料理も辛いようです。そこでガイドのチャイさんは、デルタ・コーヒー・レストランという西洋人客の多い、まるで原宿にあるカフェのようなおしゃれな店に連れて行ってくれました。自家焙煎したコーヒー豆の香りが漂っているのですが、カフェのメニュー表にはエスプレッソからカフェオレまで並んでいます。パクセーの近郊ではコーヒー栽培が盛んなのだそうです。
メニューを開くとなぜか地元のラオス料理はなく、タイ料理と西洋料理がメニューに並んでいます。
美味しそうな写真に、「あっさりしたものを」というリクエストはどこへやら、男性陣はステーキ、私はほうれん草のラザニアという、こってりしたメニューを注文したのですが、味は日本と変わらないクオリティで「うまい、うまい」といただきました。
男性の象徴? カオ山にある世界遺産とは
世界遺産のワット・プーに到着したのは16時。まだまだ太陽はギラギラと暑く、歩いていても汗が吹き出てきます。
セッタポンさんが、「昨日、コンビニで日焼け止め買ったんですけどよかったら」と私とAさんにも勧めてくれました。「え? 私たちのために? セッタポンさん、気が効くなあ」と思ったら、チューブをギューッ! と絞りだし、「タイの男は……男も美白!!」。さすがイケメン、だから顔にシミ一つないんですね。肌に日焼け止めをせっせと塗り込むセッタポンさんを、私は尊敬のまなざしで見つめました。
さて、ワット・プーが建てられたのは、10世紀から12世紀の間。ヒンドゥー教のクメール族によって造られました。ワットはお寺、プーは山を指すのですが、この石畳はかつて、カンボジアのアンコール・ワットまで続いていたそうです。
入り口で待っていると、ゴルフ場のカートのようなクルマがお迎えにきてくれました。大きな2つの池の間を抜けていきますが、ここは昔、沐浴場や灌漑用の貯水池として使われていたそうです。荒野のなかに石灯籠が並ぶ石畳が伸び、昔から聖なる山と拝められてきたカオ山がそびえています。
「カオ山って、なんだか先が尖った山ですね」
「そうそう、カオ山はリンガ・バルバータとも呼ばれているんですけど、リンガって男性の体の一部をモチーフにした円柱のことなんですよ」
えー!? それって……そう思うとジロジロ見るのは憚られるのですが、リンガは、ヒンドゥー教のシバ神の象徴であり、子孫繁栄を願うモチーフなのだそうです。よく見れば、参道の両脇に建つたくさんの石灯籠もまさかのリンガ型。驚きつつも、昔の人たちがいかに子孫繁栄や子宝を望んでいたかが分かります。
参道をもう少し進んでいくと道の左右にかつての宮殿が見えてきました。入り口から中を覗くと回廊がありますが、まだまだ修復中。宮殿を過ぎたあたりから、ピラミッドよりも急勾配ではないか? と思われるほどの石段が続きます。
「昔の人たちはなぜ、こんな急勾配にしたんだ!」と這いつくばって昇りはじめると、頭にカゴを乗せた物売りのおばちゃんたちが、へっぴり腰の私たちを笑いながら追い越していきます。きっと、「これだから都会から来た人は」とでも話しているのでしょう。
本殿のなかで微笑むのは…
ぜいぜい息を切らしながら、最後の77段階段を制覇すると、目の前にようやく本殿が。あらら……意外と小さい! 下の大きな宮殿と違って、ずいぶんこじんまりとしています。広さは2LDKのマンションくらいでしょうか? しかし、うっそうと茂る山の中腹は、とても静かで神秘的です。
さあ、いよいよクライマックス! 薄暗い本殿へと足を踏み入れます。昔は特別な人しか入れなかった神聖な場所なのかもしれません。そのときです、一瞬、目の前にパッと閃光が……まさか、神の怒り!? 続いて遺跡の陰からヌーッと人影が! ひええええええ! この辺で人身供養とかやっていたらしいから、お、おばけでは!? と身構えたら、プロ用の大きなカメラを抱えたセッタポンさんでした。「もう薄暗くてフラッシュ必要ですねぇ」と涼しい顔でニコッ。こっちは笑えません!
さあ、気を取り直して本殿へ近付きます。外壁にはクメールの細かい彫刻が掘られているので、祭壇には、きっとヒンドゥーの神々が……と思ったら、いらしたのは金ぴかの仏さま。あれ? どうして?
アンコール朝が滅びたのは15世紀。その後にラーンサーン王国のラオ族がやってきて仏様を置いたそう。クメール族の装飾に仏様……前編でご紹介したタイのウボンラーチャターニーのように、仏教とヒンドゥー教が混合した時期もあったのかも知れません。
本殿から出ると、地平線の向こうまで広がる緑と涼しげな聖なる池……素晴らしい景色が広がっています。夕陽が赤く宮殿を染め、自然とのコントラストが美しいこと! ワット・プーに行くなら涼しい夕方がお勧めです。蚊よけスプレーを忘れずに、神秘の神殿を訪れましょう。
ラオスの川魚料理に舌鼓!
ほとんど登山のような世界遺産観光を終えた我々の頭のなかは、ビール、ビール、ビール。早く帰ってキューッと飲みたいものだと、パクセーに戻るやいなや、宿泊しているチャンパサック・グランド・ホテルに併設されている川沿いのレストランに駆け込みました。
このレストランでは、洗練されたラオスの郷土料理をいただくことができます。辛さはタイと同じですが、ここパクセーでは、肉よりも川魚料理が名物のようです。最初に運ばれてきたのは、マッシュルームと川魚の酸っぱ辛いスープ、トムソムパー。
そして柔らかい魚をよーく揚げたパナントルコップ。モッパというバナナの葉で蒸した川魚は美味しくていくらでも箸が進みます。
しかし、どれも辛い。けれど、ただ辛いだけではなく、さまざまな香辛料とハーブが入っていて重厚な味わいです。辛いものが苦手なAさんは、私が毒見してから、「それ、辛いですか?」と聞いてきます。
Aさんに辛いもののうまさを知ってもらうと勝手に決意した私は、「ぜんぜん、辛くないですよ。すごいうまいです」「あー、うまい。これ食べずに日本に帰れません」「辛味のなかに甘みがあります」などと言葉巧みに勧めると、Aさんは何度も騙され、そのたびに「辛い! ひー、辛い!」と泣き顔に。
ところが、舌がしびれたのか、だんだん慣れてきて、「ビールに合いますねえ」と、結局、ほとんどの料理を平らげました。これでAさんが再び、この地方を訪れることがあっても大丈夫です。
翌朝、また国境を越え、タイのウボンラーチャターニーへと戻った私たちですが、タイもラオスも国境越えも旅が3倍楽しめるこのコースをおおいに気に入りました。クメールやタイ、ラオス、中国、インドなど、さまざまな文化や宗教が混じり合うエキゾチックな国境の旅。バンコクだけ楽しんで帰国してはもったいない。ぜひ足を延ばして、じっくりまわっていただきたいエリアです。