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セントレアが終着地となった「ボーイング 787」飛行試験1号機のラストフライト

“ドリームライナー”のマイルストンを刻み続けた3人のパイロット

2015年6月22日 到着

ボーイング 787の飛行試験1号機「ZA001」を、セントレアやANA、JALの職員が出迎えた

 ボーイングの最新鋭機「ボーイング 787」の飛行試験1号機「ZA001」(登録記号:N787BA)が、6月22日13時にセントレア(中部国際空港)に到着した。その到着時の模様は、速報としてお伝えしているが、本稿では28番スポットへの到着の様子やパイロットの記者会見の模様などをお伝えする。

 ボーイング 787-8は、機体構造の35%を川崎重工業、富士重工業、三菱重工業の3重工が担っており、それらの部品は中部地域で生産され、セントレアから輸送機の「ドリームリフター(ボーイング 747LCF)」に載せられ、ボーイングの組み立て工場があるアメリカのシアトルへ運ばれている。

 そのため、今回の寄贈は「里帰り」とも言え、セントレアのスタッフのみならず、同機を導入しているANA(全日本空輸)、JAL(日本航空)のスタッフなど、30名ほどがランプに集合し、到着を出迎えた。また、セントレアの広報担当者によれば、到着時の展望デッキ「スカイデッキ」には1000名ほどの人が集まったという。

 今回寄贈されたZA001は、2009年12月15日にボーイングのエバレット工場脇にあるペイン・フィールド空港で初飛行を実施。のち、525回以上、計1363時間に及ぶテスト飛行が行なわれ、寄贈前はカリフォルニアで保管されていたという。そして今回、同じくシアトルの「Museum of Flight」脇にある通称ボーイング・フィールド(キング郡国際空港)を現地時間の21日11時30分(日本時間22日3時30分)に出発。9時間30分のフライトを経て、13時にセントレアに到着し、28番スポットに駐機した。

 ちなみに、セントレアにボーイング 787の飛行試験機が来ること自体は初めてではなく、2011年7月にANAカラーにペイントされた飛行試験2号機「ZA002」(登録記号:N787EX)が導入前検証テストのために日本に来た際にセントレアを訪れたほか、2012年2月~3月にはJALの飛行訓練のためにGEnxエンジンを搭載した飛行試験5号機「ZA005」(登録記号:N787FT)が10日間ほど滞在したことがある。

 しかしながら、飛行試験1号機ならびに同3号機にペイントされた鮮やかなブルーの機体が日本を訪れるのは初めてのこと。この後の予定については、展示する意向のみが明かれているだけで、具体的な計画は未発表だが、当面はこの28番スポットに留め置かれたのち、飛行できない状態に整備されるという。移動などもトーイングカーを使っての地上移動となり、今回の里帰りは1000時間を超える飛行テストを行なってきたZA001の最後のフライトにもなったわけだ。

2011年7月にセントレアを訪れた飛行試験2号機「ZA002」
中部地方で製造されたボーイング 787の部品を運ぶ「ドリームリフター」(奥)と飛行試験2号機「ZA002」
2012年2月~3月にセントレアに滞在したGEnxエンジン搭載の飛行試験5号機「ZA005」。写真は2011年6月にシアトルのボーイング・フィールドで撮影したもの

「おかえり」「ただいま」の横断幕で挨拶

 28番スポットに駐機したZA001にはタラップ車が取り付けられ、シアトルからセントレアへ同機を運航した3名のパイロットが搭乗。ボーイング ジャパン社長のジョージ・L・マフェオ氏、中部国際空港 代表取締役社長の川上博氏が出迎え、花束が贈呈された。

 地上では、ドリームリフター・オペレーションズ・センターのスタッフらを含むボーイングチームが「ただいま」、セントレアや国内航空会社のスタッフが「おかえり」の横断幕を掲示。今回の運航で機長を務めたランディ・ネヴィル氏はマイクに向かって「タダイマ!」を繰り返し、場を盛り上げた。

 中部国際空港 川上博社長は、「このたび、ボーイング 787の初号機をこのセントレアに寄贈していただいた。この歴史的な価値のある機材を寄贈いただいたことに、本当にボーイングの皆さまに心から感謝申し上げたい。セントレアとボーイングは、787の生産を支えるドリームリフター・オペレーションズ・センターの整備などを通じて、大変強いパートナーシップで結ばれている。頂戴した初号機は、これから展示し、航空機ファンのみならず、地域の皆さま方や、若い世代、お子さま方に注目を集めることで、空への憧れと夢に繋がっていけばいいと考えている。これからも、ボーイングの皆さまとは良好な関係を築くとともに、地域の航空機産業の発展にも寄与していきたいと思っている」と挨拶。

 そして、ボーイング ジャパンのマフェオ社長は「ZA001号機は特別な飛行機。シアトルで初めて飛行したときも、ここで有終の美を飾るときも見届けることができて感無量。ここに集まっている多くの方々が、この歴史的な飛行機に特別な思いを抱き、これらの歴史的瞬間を共有している。川上社長をはじめ、セントレアの皆さまに、航空史におけるこの特別な飛行機に対する理解と、ZA001を思う気持ちに感謝を申し上げる。787のプログラムに、名古屋の皆さまは重要な役割を担っている。ZA001が名古屋で皆さまに愛されることを誇りに思う」と応えた。

最初の部品の輸送、初飛行、ラストフライト、すべて同じパイロット

会見に応じる、(左から)クレイグ・ボンベン機長、マイク・キャリカー機長、ランディ・ネヴィル機長

 その後、中部国際空港旅客ターミナル内で、同機を運航した3名のパイロットによる記者会見が行なわれた。3名とも機長資格を持っているが、今回の運航の機長はランディ・ネヴィル機長が務め、マイク・キャリカー機長とクレイグ・ボンベン機長が副操縦士を担った。

 このメンバーは、2009年にシアトルでZA001が初フライトを行なったときのチームでもあり、その際はマイク・キャリカー機長が機長、ランディ・ネヴィル機長が副操縦士を務め、随伴して飛行のサポートや写真撮影を行なう“チェイスプレーン”の機長をクレイグ・ボンベン機長が務めた。ボーイング広報担当者は「本日集まっている機長は、我々のドリームチームです」と誇った。

 さらに、キャリカー機長は挨拶のなかで「私はドリームリフターによって、(2007年に)名古屋からシアトルへ最初の部品(翼)を運んだ飛行機のパイロットでもあった。今回、この生まれ故郷に持ち帰ることができて興奮しているし、うれしいことだと思っている」と明かした。さらにこの点について問われると、「ランディ(・ネヴィル機長)と一緒にシアトルに持って行ったその部品から組み立てられたZA001を初飛行したということ。名古屋から運んだものを何万人もの人々が努力して組み立てて、それを最初に飛行できたということで、大変な思い入れがある。そうして組み立てられたものを、今度は、ふさわしい、この地に持って帰って来られたことを名誉なことだと思っている」とコメントした。

 また、展示の方法については「空港でこの飛行機についてのストーリーやいろいろな航空機のことなどを語ってもらうことで、次の世代に科学や航空学、数学などを勉強したいと思っていただけるような展示をしていただきたい。それによって、もしかしたら次の世代の方が、“あれを見たから数学、科学、エンジニアリングを勉強したくなった”、そんな見方をしていただければと思う」とリクエストした。

 セントレアの印象について問われると、ランディ機長は「この場所はいろいろな業界があり、初期の頃から開発に関わっていただいた、チームの一員のような気分」、キャリカー機長は「離陸、着陸が容易にできる空港。海上に飛んでいくので、騒音の関係からも素晴らしく、地域に優しい空港だと思っている」、ボンベン機長は「大変美しい空港で、地上と滑走路、海のコントラストがアプローチのときに綺麗に見える。名古屋は大変重要なパートナーであり、このパートナーがなければ、私たちのドリームライナーはできなかったと感じている。夢が叶ったのは、この地域に貢献していただいたおかげ」と、それぞれコメント。

 ちなみに、先に掲載した写真で、コックピットの窓の脇に、マーク・キャリカー機長、ランディ・ネヴィル機長の名前が書かれていたものを掲載した。これは航空業界では初フライトの試験機に行なわれる伝統的なものだが、ボーイングではこれまでやってこなかったという。キャリカー機長は「整備士の人達を名前を入れてくれたが、とても珍しいこと。2人の名前が書いてあるが、もちろん私のものではない(笑)。チームでやっていたので、たくさんの人が操縦している」と、あくまで伝統として記載されたものであることを強調した。

 最後に3名が被っていた帽子にサイン。これもZA001とともにセントレアに寄贈されるという。

クレイグ・ボンベン機長
マイク・キャリカー機長
ランディ・ネヴィル機長
ZA001とともに寄贈される帽子にサインを入れる3名

 その後、15時15分からは、旅客ターミナル4階のイベントプラザで、パイロット3名によるトークショーが開かれた。司会は東海ラジオの酒井弘明アナウンサーが務め、同日の着陸シーンのビデオ上映や、3名への質問、プレゼント抽選会を実施。抽選会では500名分の整理券を用意したが、すべて配布されたという。

 質問では、記者会見でも述べられたようにZA001を故郷へ帰すことができたことへの感想を述べると観客からは拍手が起きたり、テストパイロットになるための資質を聞かれキャリカー機長がネヴィル機長、ボンベン機長を指して「2人のようにハンサムなこと」と笑いを誘ったりと、温かいムードに包まれていた。

編集部:多和田新也