地元誌編集長の「ハワイ現地発」

【ハワイ現地発】ハワイとイスラムアートが溶け合う理想郷「シャングリ・ラ邸」で、時代を超えた美を体感

 ダイヤモンドヘッドの東の麓、海を望む最高級住宅地“ブラックポイント”。ここに1935年に建てられたシャングリ・ラ邸を9年ぶりに訪れた。

13世紀のタイルや17世紀のタイルが中庭を囲んでいる

 この邸宅は慈善家のドリス・デュークが、ペルシャ、モロッコ、インド、中東、エジプトなど世界各地から集めたイスラム美術の粋を結集し、「理想郷」として築き上げた私邸。彼女の遺志により、文化継承のために一般公開されているが、チケットは発売後わずか数分で完売することも少なくない。ありがたいことに館内の解説は日本語でも受けられる。

海と同化した美しさを魅せるダイニングルーム。繊細なシャンデリアはバカラ

 ドリス・デュークは1912年、ニューヨーク生まれ。12歳で亡くした父親の遺産により「アメリカで最も裕福な女性」と呼ばれた。イスラム美術と出会ったのはハネムーンでのこと。22歳で結婚後、9か月をかけて中東・南アジアを巡り、イスラム建築と芸術の美に魅せられたという。

イルハン朝のラスタータイルのミフラーブ(イスラム教のモスクにある、聖地メッカの方向を示すくぼみ)

 彼女は、その後2週間の予定で訪れたハワイにも心を奪われる。滞在中にハワイの英雄デューク・カハナモクの家族と親交を結び、ビーチなどアウトドアを満喫。滞在を延長し、ハワイの地にイスラムアートの美を尽くした邸宅「シャングリ・ラ」を建てることを決意する。この名は、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」で描かれた理想郷に由来するのだとか。

ムガールガーデン。ゲートを開けるとこの景色が飛び込んでくる

 建設は1935年からおよそ2年間だったが、彼女の収集はその後60年におよんだ。陶磁器、木工、ガラス、織物など、1600年から1940年までの作品を中心に、その数は約4500点にのぼる。

プールの先にあるのがシャングリ・ラ邸の建物
シンプルな外壁にタイルが埋め込まれている

 それでは、ドリスが生涯をかけて築いたシャングリ・ラ邸に入ってみよう。以前、読者ツアーを実施したことがあるのだが、「この世のものとは思えない……」と全員が感嘆のため息をこぼしていた、その独特の美しさをご覧あれ。

建物の入り口はシンプル。この扉の向こうにエントランスの空間がある
赤い柱が印象的な「プレイハウス」は、いわゆるゲストルーム

 ドアを開けると隅々までイスラムの装飾美で囲まれたエントランスの空間が広がる。釘を使わずにはめ込まれた天井装飾はモロッコに特注したもので、幾何学文様が繊細に描かれている。壁面のタイルは、17世紀のトルコの伝統美、イズニックタイル。

エントランス。こうした間取りの邸宅はめずらしいという

 リビングルームやダイニングルームなど、部屋ごとにテーマを持ち色彩豊かなイスラムの意匠に満ちている。ムガール様式のアーチ、大理石細工の装飾窓“ジャリ”、ペルシャのモザイクタイル、そしてダマスカスから移築された木彫りの天井や壁装飾など。イスラム各地の素材や技法を集めた工芸品も各所に置かれ、どこを切り取ってもイスラムの豊かな文化に触れられる。

イルハン朝のラスタータイルのミフラーブ(右)は世界に6つしかない貴重なもの
テントをイメージしたダイニングルーム。壁のモザイクタイルはイランで1938年に特注
リビングルームにはペルシャの陶磁器製の壺が存在感を放っていた
最も古いコレクション。紀元前200年という2000年以上前のものも

 小さな噴水を囲む中庭も見事な空間。壁には13世紀や17世紀のタイル、イランに特注したモザイクタイルがはめ込まれている。イランのシャーモスクの門のデザインのレプリカは圧巻だった。

中庭。中央の青いモザイクタイルは1938年にイランでカスタムメイドしたもの
13世紀や17世紀のタイルなどで吹き抜けの中庭を囲んでいる

 さらに奥へ進むと、かつて非公開とされていた寝室・バスルーム・ドレッシングルームの空間、ムガールスイートへ。

ムガールスイートと呼ばれるドリスの寝室。優しく太陽光がこぼれる窓の装飾はジャリという白い大理石細工
寝室の奥に続く絢爛なドレッシングルーム。ドリスがこの邸宅で過ごす期間は数か月のため、それほど収納は必要でなかったという

 大理石の壁や装飾窓、半貴石を象嵌と呼ばれる工芸技法を施した建築装飾が……。

白い大理石に覆われたバスルーム。象嵌と呼ばれる工芸技法による花のデザインがぬくもりを感じさせる

 邸宅全体が美術館でありながら、一歩外に出れば庭園とプール、青い芝とヤシの木々、そして目の前に広がるのは太平洋。青空と太陽の光に照らされた白亜の建物とのコントラストはハワイならではの景観。ここが理想郷であることを体感できるだろう。「ダイヤモンドヘッドから吹くやさしい風に包まれるこの土地にはマナが宿る」と日本人のドーセント(解説員)が教えてくれた。

住まい、美術館、庭園、ハワイの自然が一体となった比類なき空間

 解説では、ドリス・デュークがイスラム文化を単に「収集」するのではなく、職人たちと協働してこの邸宅を完成させたことを、彼女の人生を交えながら聞くことができる。さらにローカルアーティストによる作品も展示されるなど、歴史だけでなく現代のハワイのアートとのコラボレーションも随所に散りばめられている。

プレイルームのラナイスペースもイスラム圏の技法が施されている
ダイニングルームのラナイにあるのは19世紀のイランのモザイクタイル

 ツアーは予約制で、ホノルル美術館かビショップ博物館のどちらかを出発するシャトル利用が必須。現地へ直接行くことはできない。公式サイトからの申し込みで、所要時間は約75分。往復シャトル送迎と、出発地となる美術館や博物館への入場が含まれる。料金は45ドル。ハワイ居住者は20ドル(ホノルル美術館発)、または25ドル(ビショップ博物館発)。

 なお、現在はデジタルでの取り組みも充実している。公式サイトでは邸内を巡るバーチャルツアーや、収蔵品をオンラインで閲覧できるデジタル・コレクションも公開中。その美しい文化と歴史をデジタルを駆使して後世に紡いでいく取り組みも興味深い。デジタルで触れたあとは、ぜひ実際に訪れてハワイの自然美と芸術美の調和を体感することをお勧めしたい。

ドリスは、シャングリ・ラ邸を「学者、学生、そしてイスラム美術の発展と保存に関心を持つ人々に開放し、その敷地を一般に公開する」よう遺言に記した。そして2002年にイスラム美術の宝庫が一般公開された
大澤陽子

ハワイで発行している生活情報誌「ライトハウスハワイ」編集長。日本ではラジオアナウンサー、ライターとエディターとして活動。2012年にハワイへ移住。新聞やハワイのガイド本などの編集に携わる。ハワイのビーチとビールをこよなく愛している。