荒木麻美のパリ生活
南仏のプロヴァンス地方、演劇の町アヴィニョンとリュベロンの「鷹ノ巣村」を訪ねて(前編)
2022年10月15日 08:00
ちょっと遅い夏休みとして、9月後半に2週間ほど、南仏のプロヴァンス地方に行ってきました。
まず向かったのはアヴィニョン。パリから高速鉄道TGVで約3時間です。アヴィニョン駅からさらに普通列車に乗り換え、アヴィニョン中央駅に到着です。
中央駅の目の前が「歴史地区」で、周囲を城壁に囲まれています。1995年にユネスコ世界遺産に登録されました。
どこを歩いても雰囲気のある歴史地区ですが、より趣のある通りがタンチュリエ通りです。小川に沿って歩くと古い水車が何台もあります。
今回予約したアパートホテルも歴史地区のなかにあり、どこに行くにも大変便利でした。スタッフはとても親切、簡単な自炊ができ、中庭もあり、静かに過ごせるのでお勧めです。
アヴィニョンに到着した日はたまたま「ヨーロッパ文化遺産の日」でした。毎年9月の第3週末の2日間、歴史的な建造物や美術館のほとんどを無料で見学できるのです。
これはラッキー!と、まず見学したのはアヴィニョンのシンボルといえるアヴィニョン教皇庁と、その隣にあるアヴィニョン大聖堂です。
アヴィニョン教皇庁は、1309年から1377年までキリスト教のカトリック・ローマ教皇が住んだところです。アヴィニョンはカトリックの中心地として、文化・芸術の町として繁栄しますが、1378年に教皇庁はローマに戻ります。しかし直後にローマ教皇が複数存在するという事件が起こったため、1417年までローマ、そしてアヴィニョンに教皇が住むこととなりました。
アヴィニョン大聖堂は12世紀に建てられ、増築と修復を重ねて現在に至ります。教皇庁に負けない荘厳さです。
アヴィニョン大聖堂を出てローヌ川の方に向かうとアヴィニョンの橋(サン・ベネゼ橋)があります。この橋は1177年から1185年にかけて建設された石造アーチ橋で、ローヌ川の対岸までかかっていました。しかし1226年、フランス国王ルイ8世の攻撃により4分の3が破壊されてしまい、今も途中までしか行くことができません。
城壁内に戻り、市庁舎では婚姻の宣誓を行なう部屋と、パーティルームを見学しました。隣のアヴィニョン歌劇場ではコンテンポラリーダンスなどを見せてくれたのですが、短時間の演舞ながら、全員白い衣装での幻想的なダンスにうっとりでした。
市庁舎向かいにある、フランス人俳優かつ演出家のジャン・ヴィラールの家も見学。アヴィニョンといえば、毎年7月上旬から7月下旬まで開かれるアヴィニョン演劇祭が国際的に有名です。この演劇祭、ヴィラールが1947年に開いたイベントが始まりで、現在では教皇庁広場を中心に市内100か所以上でイベントが行なわれ、期間中はまさに「芋を洗うような」大変なにぎわいとなるそうです。
あちこち回って一休みと思っていたら保護猫カフェを発見。カフェにいるのは町中で保護された猫たちで、週に1匹の割合で里親に引き取られて行くそう。皆幸せになってね!
歴史地区の外にも出てみました。バスで10分ほど行ったところにあるヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンという町です。
まずはサンタンドレ要塞と、その隣にあるサンタンドレ修道院の庭園に行ってみました。
サンタンドレ要塞は14世紀にフランス国王フィリップ4世美貌王が建設しました。教皇領だったアヴィニョンの監視と、サンタンドレ修道院の防衛のためです。要塞の上まで行きましたが、この日はミストラルという強風が吹き荒れており、大げさではなく飛ばされそう! 絶景をゆっくり堪能したかったのですが、あまりの風の強さに恐れをなし、そそくさと下りました。
要塞を下り、すぐ隣にあるサンタンドレ修道院に。フランス革命時に敷地内の多くが破壊されてしまいましたが、生物の多様性に配慮した広大な庭は、自然の美しさを存分に活かした場所となっています。
サンタンドレ修道院から歩いて10分ほど行くと、シャルトルーズ修道院に着きます。シャルトルーズ修道院は14世紀に教皇イノケンティウス6世によって建てられました。カトリック修道会の一つ、カルトジオ会最大の修道院の一つです。現在は文化センターとして、さまざまな分野のアーティストたちがこの建物に数週間滞在し、作品を作っては発表しています。
アヴィニョンもそうなのですが、ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンのレストランも当たりが多そうな感じです。私たちがふらっと入ったレストランも、レストラン内できちんと調理され、シンプルな味付けで私好みでした。
3泊4日のアヴィニョンの旅はあっという間に終わり、次の目的地であるリュベロンへはレンタカーで向かいます。