旅レポ

歴史と文化を感じながら――長野で冬のごほうび旅(その2)

「感じる旅長野」のプレスツアーレポート第2弾は、「中山道の宿場町・妻籠宿散策」と、「木曽福島関所で通行手形体験」をレポート! 郷土料理「すんきのとうじソバ」の紹介もありますよ。長野県の木曽地域でどっぷりと歴史と文化にひたる、ちょっと通な大人の冬旅です。

今でも人々の暮らしと共に生きている妻籠宿

この街並み、外国人の方々にはテーマパークのように見えるのでしょうか

 江戸から京都を信濃や美濃といった内陸で結んだ中山道は、“木曽街道”や“木曽路”の別名でも知られる五街道の一つ。今でも各所に風情ある宿場町の面影が残っています。今回はそのうちの一つ、長野県木曽郡南木曽町にある妻籠宿を散策しました。

「ここに来られた人は、“スゴイ、スゴイ!”と感動する人と、“な~んにもないところだね”と言う人の2つに分かれるんですよ」と笑いながら教えてくれたのは、妻籠宿の案内人・松瀬さん。妻籠宿ではこのように青い法被を着たガイドさんと一緒に歩きながら散策することができるのですが、各所での説明に耳をかたむけながらの散策はとても勉強になりました。

 ただぼんやり歩くのと、町並みのポイントを聞きながら歩くのとでは、満足度が大違い! 特に妻籠宿が初めての方には、このガイドウォークおすすめです。

案内してくださった妻籠宿ガイドの松瀬康子さん
妻籠宿は江戸から数えて42番目の宿場町。全長約500mにわたってこのような景観が続きます
吊るし柿。人の営みによる季節もしっかり感じられます

 妻籠宿のすばらしいところは、住民が中心となって1968年(昭和43年)から町並みの保存に取り組んだこと。その後、1976年(昭和51年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として指定されました。日本における町並み保存のさきがけといえるこの妻籠宿は、平成の時代になってもしっかりと人々の暮らしが寄り添っていて、静かに私たち観光客を迎え入れてくれているのです。

これぞ宿場町フォント!?
なんと現役の郵便ポストです

 妻籠宿本陣は中山道を行くお殿様が泊まった宿泊施設。現在の建物は江戸末期の間取図を元に、平成になってから復元されました。代々ここは島崎氏が務めていましたが、最後の当主は文豪・島崎藤村のお兄さんにあたる人なのだそうですよ。内部にはさまざまな資料などが展示されていて見応えあり。お殿様気分で訪れてみては?

妻籠宿本陣。囲炉裏に火が焚かれていて、いい雰囲気

 この散策で私がツボだったのは、宿場の出入り口に作られた「枡形(ますがた)」と呼ばれる脇道。街道をわざと直角に曲げて、外からの敵が侵入しにくいように城塞のような役割を果たしていたのだとか。宿場町の入り口にはこの枡形が必ず造られたそうですが、不自然に折れ曲がった道を実際に歩いてみると、なるほどなぁ~と感心しちゃいました。

街道を直角に曲げて敵の侵入を防いだ「枡形」
じっくり見たいお土産物屋さん
江戸時代の名残りを随所に感じながらの妻籠宿散策でした

冬季限定の郷土料理!“すんき”を入れたすんきのとうじソバ

木曽地方独特の漬物“すんき”

 この日のお昼ごはんは「すんきのとうじソバ」。“すんき”というのは木曽地方の伝統的な酸っぱいお漬物のことで、食塩や砂糖を一切使わず、乳酸菌で発酵させて作るという全国的にみても珍しいものです。なんとヨーグルトと同じくらいの乳酸菌を含むという研究結果も出ているほど!

 使われているのは信濃の伝統野菜にも認定されている赤かぶの葉っぱ部分。この地域では毎年11月下旬頃に一斉に漬けるのだそうですが、その“すんき”をそばと一緒に食べるのが「すんきのとうじソバ」。一体どんなお味なのでしょうか?

地元の方によるそば打ちの様子
蕎麦粉から蕎麦になるまで、見ているとあっという間!
今回は蕎麦切りだけを体験しました
太いのや細いのが入り混じった我がグループのお蕎麦
各テーブルに山盛りで用意された“すんき”

 今回食べた「とうじソバ」は、ちょっと変わった食べ方のお蕎麦で、火にかけた温かいおつゆを何人かで囲んで、その中に茹でて水でしめたソバを少量ずつ投入してくぐらせてから薬味を入れて食べます。その時にすんきもお好みで乗せて食べるのですが、前述したとおりすんきは塩辛くなく酸っぱいだけなので、塩分を気にする方にも胸を張ってオススメできるお蕎麦でしたよ。

蕎麦をすくっておつゆの中に“投じ”るので「とうじソバ」と言われるんだそう
お好みで“すんき”を乗せて召し上がれ

 木曽エリアのお蕎麦屋さんでは、温かいかけそばの上にすんきが乗った「すんきそば」が冬の限定メニューになっているところが多いようです。この時期ならではの郷土食、ぜひ味わいに行ってみてはいかがでしょうか。

木曽馬像の背景は御嶽山

木曽のお代官様・山村氏のお屋敷は想像以上にスゴかった!

立派な門構えの山村代官屋敷

 次に向かったのは山村代官屋敷という、かつて木曽地域一帯を270年以上にわたって代々治めた山村氏のお屋敷です。一代官でありながら、大名並の広い敷地のお屋敷を江戸や名古屋にも持っていたという山村氏。築山泉水式の庭園や数々の調度品、文化資料が見どころです。お屋敷が取り壊される時に見つかった狐のミイラを守り神として祀ってあったりしてこれまたびっくり!

木立に囲まれたエントランス
立派なお屋敷の玄関
貝合わせ。今でいうトランプやかるたのような遊び道具

「木曽の山林と四大関所の一つ福島関所の関守を任されていた山村氏の権力というのは想像以上に強大なものだったのです」と説明してくださったのはガイドの木村美津江さん。その言葉どおり、展示されている食器や調度品を見るだけでも豊かな暮らしっぷりがうかがえました。しかも私たちが見学したのはお屋敷のほんの一部で、当時はこの辺りの広~い敷地に庭園が20もあったそう! どれだけ権力を持っていたんだ、山村氏!

使われていた食器にはすべてこのように“丸に一文字”の家紋が入っていたそうな!
江戸時代のおご馳走のサンプルずらり
木曽駒ヶ岳の景色を背景として見られるように造られたという築山泉水庭園

 さて、そんな山村氏が治めていた福島関所とは一体どんなところだったのでしょう? 次にご紹介します。

江戸時代の通行手形体験が楽しい福島関所

中に自分の住所が書かれたオリジナルの通行手形! これをお役人さんに出して関所を越えたいのですが果たして??? そんなドキドキ体験ができちゃいます

 箱根や碓氷などと並ぶ4大関所の一つに数えられている福島宿は、中山道のほぼ中間に位置する37番目の宿場町です。江戸幕府はここに関所を設けて江戸の治安維持に努めました。当時このような関所を通るには“通行手形”が必要でした。今でいうパスポートのようなものです。この度、木曽町観光協会では「通行手形体験」という新しいプランを企画したということで、モニター体験してきました。

旧道にかかる福島関所の関所門。よく見たらここにも山村家の紋が!
道路から細い側道を上がっていきます
なんだかとても素敵な道です
こちらが福島関所資料館。と、ここにもやっぱり山村家の紋!

 通行手形体験ができるのは福島関所資料館。到着すると毛筆で手書きされた通行手形を渡されました。開くとあらかじめ伝えてある自分の住所が江戸時代の名称で書かれていて(例えば武蔵国多摩郡といった感じ)なかなか凝った演出にワクワク! そして名前が呼ばれたら、上番所に座る“お役人さん役”の人の前に座ります。

微動だにせず座っていたこちらのおじさんは、あとで知ったのですが木曽町観光協会の会長さんでした

 お役人さんの前に正座をし、通行手形を差し出すと、「その方、何用で参った?」との質問。「紅葉を観に」とか「法事があって親戚の家に」とか「京の都を見物に」とか思いついた返答をします。すると身分に偽りなしと判断したお役人さんは「あい、分かった! これからも気をつけて旅を続けるように」などと言って通行を許可し、手形を返してくれるというもの。

 この寸劇では、ほかの人とは違うウィットに富んだ切り返しをしてお役人さんをうならせたいところではありますが、あまり変なことを言うと通行許可が出ないかもしれませんのでご注意を(笑)。現在この通行手形体験は団体でのツアー申し込みのみ受付中とのことです。グループでのご旅行予定がある方はぜひやってみてくださいね。盛り上がること間違いなしです!

こちらが通行手形体験のワンカット

古い町並みが残る“上の段”地区の小径を散策

古道好きさんにはこの福島宿、超オススメです

 無事に福島関所を越えた一行が次に向かったのは、徒歩5分ほどのところにある“上の段”地区。ここは福島宿のなかでも特に古い町並みが残るエリアになっています。山村氏が建立したお寺や、格子のある家、なまこ壁の土蔵などは江戸時代の街道の往来を今に伝える貴重な町並み。木曽谷の山あいにひっそりと残る石垣や路地を最後にご紹介しましょう。

ガイドさんに付いて行かないと絶対に歩かないような路地
奥に見えるのは山村氏が建てたお寺、大通寺
この“乱れ積み”の石垣は武家屋敷の名残とされ、とても古いものなのだそう
福島宿はなまこ壁の土蔵などが建つ、風情あふれる町並みでした

ゆきぴゅー

長野生まれの長野育ち。2001年に上京し、デジカメライター兼カメラマンのお弟子さんとして怒涛の日々を送るかたわら、絵日記でポンチ絵を描き始める。独立後はイラストレーターとライターを足して2で割った“イラストライター”として、雑誌やWeb連載のほか、企業広告などのイメージキャラクター制作なども手がける。