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「5階までヒィ、フゥ……」神戸の“オールド”ニュータウンのバスターミナル消えゆく。でも団地の未来は明るいワケ

舞子高校前バス停に停車する神戸市バス

 都市圏の人口増と住宅の供給不足を背景に、当時の住環境としては最先端であった公団住宅街が各地に建設された。しかし時代は昭和・平成・令和と移り、団地はいずれも“オールドタウン”に。併設して作られた交通拠点が、次々と姿を消しつつある。

 9月30日をもって、そんな交通拠点の1つである「舞子高校前バスターミナル」(兵庫県神戸市垂水区本多聞4丁目)が閉鎖となる。この地には山陽バス・神戸市バスが共同で使用する詰所もあり、2事業者の共同運行で朝ラッシュ時に1時間20本以上のバスが舞子駅に乗り入れているが、このターミナルは役目を終えるという。

 周辺の「本多聞団地」「新多聞団地」や、西側に隣接する「明舞団地」は、高度成長期には優に人口5万人を越える一大ニュータウンであり、それぞれのバス拠点のまわりには商店街やスーパーや飲食店、学校などが林立していた。最寄駅が遠いがゆえに路線バスがないと生活が成立しない街は、ニュータウン建設が開始されて60年以上が経ち、オールドタウンと化して廃墟化する……と思いきや、なかなか息を吹き返しつつあるようだ。

 まもなく消えゆく舞子高校前バスターミナルや明舞団地を眺めつつ、かつて「2社の公営バス・2社のバス」が行き交っていた街のバス事情を見てみた。はたして、消えゆくバスターミナルやニュータウンに待ち構える“明るい未来”とは何だろうか?

この街が人気の理由。バス+鉄道で3WAYアクセス可能

バスターミナル。ロータリーは巨大だがバスは停まっていない
バス乗務員詰所。始発便がほとんど消滅したこともあって、施錠されていた
明舞センターバス停

 明舞団地は1961年(昭和36年)に都市計画が決定され、1964年(昭和39年)に第1期入居を開始した、兵庫県内でも有数の歴史を持つニュータウンだ。その名のとおり「“明”石市」と「“舞”子」(神戸市垂水区)の境界線上にあり、たった10年余りで計画人口の3.2万人を軽々と上回り、人口のピーク(約3.7万人)に到達した。

 明舞団地の成功を目の当たりにした日本住宅公団・兵庫県は、神戸市側の山林を切り拓いたうえで「新多聞団地」として1974年(昭和49年)から分譲開始。明舞団地より明確に、バスターミナルと商店街をセットにしてまちづくりが行なわれた。

 今回閉鎖の対象となった「舞子高校前バス停」ターミナルは、折り返しや回送便を運行するために、数台の大型バスが駐留できる広めのロータリーを擁して、運転士が休息をとるための立派な詰所まで完備している。今でも神戸市バス・山陽バスの共同運行で朝ラッシュ時には1時間20本以上を運行しており、新多聞団地の中心街であることに変わりはない。

 一方で、「舞子高校前」から3kmほど離れた明舞団地では、朝ラッシュ時にはJR朝霧駅方面のバスが1時間に20本弱、同じ場所にある「明舞センター前」バス停からは明石駅に向かうバスが1時間に10本は発車しているものの、折り返し設定はすでにない。しかし、2市の行政窓口や「コムボックス明舞」「ビエラ明舞」などの商業ビルが「明舞センター」バス停のまわりに立ち並んでおり、ニュータウンとしての明舞団地の規模の巨大さを伺わせる。

 そんな明舞団地・新多聞団地の人気の秘密は、「東側(神戸・大阪方面)、西側(明石・姫路方面)、北側(学園都市方面)に路線バスをバスを通じてトリプルアクセス」できること。各エリアとも駅は決して近くはないが、周辺に散らばる駅にアクセスするバス路線の豊富さによって、主要な目的地にだいたい通勤できる「3WAYアクセス」が可能であることが、街の人気の秘訣といえるだろう。

 ただ、開発エリアが北側の神陵台などに広がったことで折り返し便は激減し、どちらもほとんどのバスの始発地点は神戸市地下鉄 学園都市駅に移転している。始発バスが激減したターミナルの広大な転回場は閑散として、乗務員詰所も施錠したまま。バス停そのものを道路沿いに移してターミナルを閉鎖するという新多聞団地での決断も、やむを得ないだろう。

明舞エリアとともに成長した「明石市交通部」なぜ消滅?

バスが発着する「商大線」

 そして、十数年前まではもう1つのバス事業者が、明舞団地に出入りしていた。2012年に完全撤退した「明石市交通部」(市営バス)だ。

 1960年から10年以上かけて開発・分譲してきたニュータウンにとって、鉄道でつながっていない明石市内までの30分弱のアクセスは、渋滞による遅延も多いバス頼み。また、1968年に開業した国鉄朝霧駅への連絡バスや団地内の循環路線にも参入したため、この地域では「神戸市交通局・明石市交通部+山陽バス」という、全国でもめずらしい「公営バス2事業者+私営1社」の共同運行も見られた。

 当時は明舞団地も新多聞団地も子育て世代がメインを占め、「世帯主の平均年齢は33歳」とも言われるほどに若年層が多い団地であったという。公団住宅街としても時代を先取った施設が並び、いち早く建設されたエレベーター完備の高層住宅や、歩行者とクルマの道路が完全に隔てられた「歩車分離」、道路をまたぐ歩道橋まで完備していた。この環境ならクルマを気にせず、子供と手をつないでも歩ける。

新多聞センター街の商店街

 もちろん街として人気が出ないわけがなく、明舞団地への居住権の抽選は常時数倍の倍率を記録。新多聞団地も抽選のたびに即完売していたという。特に明石市交通部は「明舞団地のおかげで部署の寿命が伸びた」と言われるほどのドル箱路線であったようで、昭和40年代の明石市交通部の資料をひもとくと「職員167名、バス車両73台」という最大勢力に成長していたようだ。

 なお、団地を開発した日本住宅公団(現在のUR都市再生機構)も明舞団地・新多聞団地の事例を見習い、1975年から明石市内で分譲を開始した「大久保東団地」では、バス車庫や停留所、新車両まで準備したうえで、明石市交通部を迎え入れたという。

長きにわたる「ニュータウンの老い」

独特のデザイン

 そんな明舞団地も、近年はバス路線の再編や廃止が相次いでいる。3.8万人いた人口も2.5万人少々まで激減しており、高齢化率も44%に達するなど、他地域より早めにニュータウンとしての老いが見え始めたのだ。

 標準的な5階建ての公団住宅にはエレベーターがない場所も多く、年老いた人々は「ヒィ、フゥ……」と息をつきながら上階まで上がっている。さらに老朽化も激しいとあって、かつて1000万円近くで取引されていた部屋でさえ、50万程度まで暴落してしまう事態もあったという。全国の公団住宅で起きている「高齢化・無価値化・無住化」といった問題が、明舞団地や新多聞団地では早めに露呈したのだ。

 こういった老朽住宅の陳腐化に対して、明舞団地ではこれまでの公団住宅の特徴を活かしつつ、大胆にデザインを変えてしまう「リノベーション」を敢行。ファミリー向けだった18畳のメゾネット型住居を、あえて1人~2人で暮らすためのゆとりある住居にリニューアルした結果、相場を大きく上回る価格で買い手が決まるようなケースも増えてきたのだとか。

 いまの若年層の夫婦にとって、こういったリノベーション物件は「レトロでエモくて、格安で広い」存在としてとらえられている。この成功をきっかけに、無印良品とのコラボレーションでの物件リニューアルが進み、老朽化で住みづらいといった公団住宅のイメージを覆しつつあるのだ。

 同時に、住民が求める商業施設の誘致にも余念がない。明舞団地ならびに明舞センターでは「フレッシュバザールさとう」「KOHYO」という2軒のスーパーや「コメダ珈琲店」などもあり、各ビルの老朽化が懸念されていた平成初期より住環境は格段に向上した。

 新多聞団地でも、バスターミナル跡地にはすでにマクドナルドの進出が決定している。レトロなバス運行拠点の消滅は惜しまれるが、地域の人々がハンバーガーと美味しいコーヒーでくつろげると考えれば、ニュータウンが「オールドタウン」からの脱却を図るというメリットの大きさは、格段なものなのだろう。