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駅弁屋さん、命の炊き出しで熊本・八代市を救う。名駅弁「鮎屋三代」被災後の現在を確かめた

鮎屋三代。鮎の甘露煮(もしくは塩焼き)が乗っている

 2026年7月28日に発生した「令和8年熊本地震」は、熊本県全域で住宅の損壊・インフラの断裂など、莫大な被害をおよぼした。震源地に近い八代市の被害は大きく、1.6万戸の住宅が損壊したうえに、2.5万戸で断水が発生。市民の生活は、いまだもとどおりには程遠い状態だ。

 そんな八代市の名物でもある、駅弁「鮎屋三代」をご存じだろうか? 販売しているのは市内の本社だけでなく、東京・大阪の百貨店での催事や博多駅・熊本駅でも販売実績がある。各地での評価も高く、JR九州主催の「人気駅弁ランキング」(現在の「九州駅弁グランプリ」)で、第1回から3回連続で1位を獲得した実績を持つ。出張販売でも行列必至の、押しも押されもせぬ「九州の名駅弁」だ。

 そんな「鮎屋三代」の調製元(製造業者)である頼藤商店の本社はJR鹿児島本線・八代駅前にあり、今回の震災でも被害を受けている。筆者はライターとは別に建築関連の会社員として籍を残しており、熊本市近郊で数日間の復旧作業に従事したあと、青春18きっぷで何度も訪れた「頼藤商店」に足を運んだ。旅行客も皆無の現在、さすがに営業していないよなぁ……。

 なんとうれしいことに、普通に営業中! 「鮎屋三代」もその場で作っていただけた。震災の痛手も癒えないなか、頼藤商店はなぜ「鮎屋三代」を発売できたのか? その場で頼藤浩社長にお話を伺い、震災後の八代の状況や店舗再開に至るまでの道のり、そして今後についてもお話を伺った。

被害が大きかった八代市。頼藤商店はどうなった?

JR八代駅前の「頼藤商店」本社
頼藤商店・頼藤浩社長

 頼藤商店は今回の震源地からほんの十数kmの場所にあり、7月28日16時27分の地震発生によって、店内や厨房には厨房器具が散乱し、冷蔵庫や茶わん棚は倒れ、足の踏み場もなかったそうだ。

 しかし周囲の被害はさらに惨く、目の前の八代駅構内では貨車4両が横転。背後の日本製鉄八代工場では巨大な煙突が折れ、近隣の事務所では死傷者も出ている。頼藤社長は、一帯の被害をなすすべもなく見守るしかなかったという。

 しかし、そんな窮状を見かねた社長の友人が、熊本市内からトラックで発電機2台を搬入。電気が通った冷蔵庫に食材を移し、かろうじて全滅を免れた。さらに、5人いるお子様がすぐ駆け付け、盆正月でも揃わなかった家族が総結集で、店の復旧を手伝ってくれたという。

駅弁屋さんが提供した「命をつなぐお弁当」

営業再開した頼藤商店の店頭
お食事処の畳スペースは、現状では物置と化している

 そんな頼藤商店ならびに頼藤社長は、被災2日後の7月30日から、地元の方々向けの弁当販売や炊き出しを始めた。断水は続いていたものの、コメは支援物資の水で炊き、冷蔵庫への移動で残った食材を使い、唐揚げや焼きそば、稲荷寿司などを、地域の方々にたった200円で提供したという。

 1週間後には、辛うじて冷蔵庫に保管していた国産ウナギを使用した「うなぎめし」を提供。ウナギのタレはほぼ全滅したものの、冷蔵庫に残っていたタレを継ぎ足して使用。社長によると「まともに食事を取れている被災者の方はいないだろうから」と、通常2400円~4000円はかかるウナギを、何と500円で提供した。

 先に発売したカレーなども含めて、採算が取れるわけがない……。それでも、頼藤社長は「大変なのは、みんなじゃないですか?」「まず、困った人々をお助けする。それだけですよ」と語っていた。この期間中、ご自身は風呂にも入れず連日の車中泊で対応していたそうだ。

 店を出たあと、被災後の頼藤商店の弁当を実際に食べた方に、偶然にもお話を伺うことができた。震災からしばらくイオンなどのスーパーが営業を休止しており、ほかの飲食店も長期休業中。八代駅エリアで弁当を入手できるのは頼藤商店と、近くのドラッグストアが片手間で運営している総菜コーナーだけ。避難所の食事は少なく「文字どおり、頼藤さんの弁当に命を助けてもらった」そうだ。

新米新艇の目録と、鳥栖駅弁「中央軒」からのメッセージ

 そんな頼藤商店への支援の申し出も多く、東北の農家の方からは60kgもの多量の新米が送られてきた。また、同じ九州の駅弁業者「中央軒」(佐賀県鳥栖市)は「看板商品『かしわめしおにぎり』売上全額を寄付します」とSNSに告知を出し、迅速に義援金が送り届けられた。

 Xのポストによると「小さな力かもしれませんが、同じ九州の駅弁屋として…すごくお世話になりましたし」「20代のころ、催事(百貨店などのイベント)で、とてもお世話になった」とのこと。頼藤社長の人柄が、偶然ながらここに垣間見えた。

食堂スペースも営業再開。しかしまだ苦境は続く

頼藤商店でいま提供している「うな重」。席数が少ないので注意

 その後、上水道の復旧によって「詳細なタイミングはよく覚えていないが、ほんの2~3日前に営業再開した」そうだ(取材日は8月28日)。畳敷きの食堂スペースはほとんどが荷物置き場と化しているものの、わずかな座席で食事をとることもでき、「鮎屋三代」やうなぎ弁当・うな重などを提供している。

 店頭のお土産スペースも営業しているものの、復旧作業に必要な軍手などの商品も積み上げている。震災直後は地元の方に「困っているなら、お茶1本でも持って帰って!」と声をかけていたそうだ。

 頼藤商店は飲食店としてすでに100年以上の歴史があり、2004年3月の九州新幹線(新八代~鹿児島中央間)一部開業に合わせて「鮎屋三代」が発売、一躍全国にその名を知られた。度重なる被災で経営の苦境が続くなか、なんとか次の100年に、その歴史と「鮎屋三代」をつないでいただきたいものだ。

「鮎屋三代」アップ
掛紙の裏側には、受賞歴やテレビ出演歴がまとめられている

いまの八代を眺める。そろそろボランティアが必要か?

左の「ウエスト」は閉鎖、右の「ほっかほっか亭」は倒壊の危険で休業中
八代駅前通り。農器具店が倒壊して道路をふさいでいる

 頼藤商店を出て、いまの八代市内の状況を見渡してみよう。

 JR八代駅、肥薩おれんじ鉄道八代駅は、8月29日時点でどちらも列車は運休中。駅構内も閑散としている。駅前は数軒の家屋が被災したようで、特に表通り沿いで頼藤商店の近くにあった農機具店は全壊し、道路をふさいでいる状態だ。

 南側の国道3号沿いでは、うどん「ウエスト」が再開をあきらめて閉店を発表したばかり。横の「ほっともっと八代萩原店」は当面休業とされているものの、建物に“赤紙”(建物の危険を示す通告)が貼られており、建て直しか移転を迫られる可能性が大きい。その斜め前にある「ドラッグストアモリ」のように、店舗は再開していてもトイレが使えないような場合もある。

 この周辺は高速道路「九州道 八代IC~南九州道 八代南IC」間の迂回ルートにあたり、道路は激しく渋滞中。JR在来線・肥薩おれんじ鉄道の再開は10月になる見通しだ。それでも、八代市は個人ボランティアの受付を開始しており、地域貢献に汗を流したあとに、駅弁を食べに行くのもよいだろう。

 いまの日本は生活と災害が隣り合わせ。宿泊所がなければ車中泊になるが、そんなスタイルの「ボランティア旅行」があってもよい。