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くま川鉄道、必要だった。「1本の列車の代わりがバス11台」代行輸送の記録からローカル線の役割を考える
2026年9月18日 06:00
2020年7月に九州南部を襲った豪雨から運休が続いていた「くま川鉄道」(人吉温泉駅~湯前駅、24.8km)が、9月20日に全線再開を果たす。
「令和2年7月豪雨」と名付けられた豪雨災害で熊本県人吉市は広範囲で浸水し、くま川鉄道の保有車両は5両すべてが浸水、エンジンまで泥水が入ったという。球磨川をまたぐ全長322mの橋(球磨川第四橋梁)も落橋、一時期は路線バスやBRT(バス高速輸送システム)への転換も検討されたが、議論を重ねたうえで存続を決定。災害による運休からの鉄道廃止が相次ぐなか、6年ぶりの全線再開に漕ぎつけた。
ここで、長きにわたって鉄道の代わりを果たした代行バスに目を向けたい。この鉄道は沿線の人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町だけでなく、周辺10市町村を含めた都市雇用圏(約8万人)の通学を支えており、朝ラッシュ時には「3両編成の列車(KT-100形、定員110名程度)で混雑率130%」という、極端な混雑に見舞われていた。
これが、代行バスに転換された結果……「同時間帯に二十数台のバスが動き、1本の列車の代替に11台のバスが出動する」事態に。自治体・地域ともに「そりゃ、鉄道での復旧が必要だわ!」という意見で一致し、約50億円(97.5%を国が実質負担)を拠出したうえでの復旧に至った。
くま川鉄道の代行バスを観察すれば、「必要なローカル鉄道、そうでない鉄道」の条件が見て取れる。まもなく姿を消す代行バス(取材は2021年10月、2026年9月)の様子を振り返りつつ、考えてみよう。
11台の鉄道代行バスは「駅に行かずに高校正門前へ」
くま川鉄道で朝方に乗客が集中するのは、地域最大の球磨中央高校がある肥後西村(ひごにしのむら)駅、人吉市の市街地やJR人吉駅、人吉高校がある人吉温泉駅の2駅。鉄道が全線運休であった2021年10月当時のくま川鉄道代行バスは、とにかく通学輸送を重視していた。
なかでも、全国でもまれだったのが「高校敷地内・玄関まで乗り入れ」。校門から500mほど離れた肥後西村駅ではなく、高校の敷地内を経由していたのだ。
朝方のバスは、始発・湯前駅を大型2台で発車し、多良木駅で大型2台・小型2台、あさぎり駅で大型2台が追加。混雑具合に合わせて、さらに数台が走行するときもあったという。人吉の市内地に直行する系統もあるが(日によって1~2台)、ほとんどの代行バスは球磨中央高校の玄関先、靴箱まで数歩のところまで、生徒を運んでくれた。
バス発着を記録した当時の取材メモには「7時53分、7時54分、7時55分、7時59分、8時1分」という記録が残り、車内で寝ていた生徒が「次のバスが入れないから、降りて!」と下車を促されるほどに、代行バスは慌ただしく高頻度に動いていた。
なお、2020年7月の被災後は、地域最大のバス拠点である産交バス・人吉営業所も「27台中25台のバスが水没」という被災に見舞われたため、代行バスも確保できず臨時休校を余儀なくされたという。自転車通学ができない遠隔地からの通学も多いこの地では、くま川鉄道や代行バスが、子育ての命綱であり、大前提でもあるのだ。
ほか、球磨地方最大の進学校・人吉高校のために、人吉行きのバスは「ファミリーマート人吉インター店前」に停車。鉄道なら「相良藩願成寺駅」から300mほどだが、代行バスは狭い道路を入れず、高校から800mほど離れた観戦道路沿いに停車していた。鉄道より若干不便になった、といえるだろう。
なお、全線復旧を前にした2026年時点で、代行バスは肥後西村駅~人吉温泉駅間の約5kmのみ。それでも大型バス5台がスタンバイしていた。人吉の市街地はやや寂しい状況になっているものの、移動手段は依然として多くの人々に必要とされているのだろう。
息絶えるローカル鉄道続出。「くま川鉄道」が存続のキップを掴んだ理由
くま川鉄道は、なぜ被災しながらも復旧できたのか? 代行バスの状況を見れば分かるだろう。「バスで代替できないから」という事実にほかならない。
この鉄道は東西に細長く平野部が狭い、まさに「ウナギの寝床」のような球磨地方を走っており、線路1本でかなりの移動需要がまかなえる。さらに湯前駅・あさぎり駅などの主要駅はロータリーを完備しているため、子供の送迎は人吉の市街地まで出ずとも、途中駅で済む環境が揃っている。高校の最寄駅(相良藩願成寺駅・肥後西村駅)までの距離も近い。
この状況に加えて、沿線にあった多良木高校が2019年に閉校、ほか高校の統廃合で高校が鉄道駅周辺に集約されたことから、朝ラッシュは一挙に激化。3両編成のくま川鉄道は、関係者が毎日のように「積み切れるか?」と気をもむような事態が続いていたという。過疎化・少子化による高校再編が、ローカル線の役割をさらに引き立たせるという奇跡が、この地で起きたのだ。
以上の条件からして、くま川鉄道は、今どきのローカル線の基本である条件「乗れる、待てる、まとめて運べる」(乗車機会の増加、送迎などの待機環境、一括で多量輸送)を満たしている。
もしこの状況を満たさず、「トロトロ遅い代行バスで、列車より揺られて、屋根もないポール前のバス停で待って」といった通学環境であることを働き盛りの現役世代が知ったら、球磨地方に残って18歳まで我が子を育てることを考えるだろうか? 早めに熊本・福岡や首都圏に転出し、過疎が時限爆弾のように進むであろう。
くま川鉄道は全国のローカル線のなかでも、まさにシンデレラフィットレベルで、鉄道という移動手段が向いていたからこそ、50億円という復旧費用(97.5%は国が実質負担)を投じるだけの価値が認められたのだ。
ローカル線は「トリアージ」の時代。鉄道が必要とされるには?
ただし、生徒数が極端に少なかったり、移動の動線が道路でカバーできるものだったりした場合は、活用の価値がない鉄道存続のコストを避け、学校や病院・イオンなどに行けるバスに転換した方がよい場合もあるのは確かだ。
しかし各地のローカル鉄道のなかには、あえて高校や病院と駅を接近させるように移転させた「青い森鉄道」(青森県。病院移転は予定)や、観光活用と朝のラッシュ輸送に使える新車両の導入を乗客増に結び付けた「北条鉄道」(兵庫県)など、鉄道存続を前提とした街づくりを進めた地域もある。デザイン車両で観光客・地域の通学客をどちらも獲得するなど、試行錯誤の施策を続けてきたくま川鉄道も、コロナ禍の前から存続に汗をかいてきた鉄道会社の1つだ。
これからのローカル鉄道は、強硬で一辺倒な反対運動はむしろ逆効果。多量輸送を活かせるだけの条件と、「鉄道に生活利用の実態がある」と自信を持って言えるだけの街づくりを地道に行なってきたローカル鉄道と、そうでないローカル鉄道で「トリアージ」(存続の順位付け)の時代が来るのだろう……。辛うじて復旧のキップを掴んだくま川鉄道と代行バスは、「ローカル鉄道の存続意義って何だろう?」と考える人々にこそ、現地で観察してほしいものだ。































