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「紙1枚」になったことも? JTB時刻表が創刊100年・通巻1200号で歴代編集長が語る

2025年12月6日 実施
「JTB時刻表」の新ロゴをバックに、1200号の表紙パネルを持って並ぶ歴代編集長。左から順に、木村嘉男氏(第11・13代編集長)、高山法悦氏(第14代編集長)、石川敏晴氏(第16代編集長)、石野哲氏(第8代編集長)、梶原美礼氏(第19代編集長)、田代浩一氏(第18代編集長)、大内学氏(第17代編集長)

 JTBグループにおいて、旅行・ライフスタイル情報を提供するJTBパブリッシングは、東京・大崎のゲートシティホールで、「第423回 JTB旅行文化講演会」を12月6日に開催した。この講演会は、JTBの文化活動として1983年にスタートしたもの。

 2025年度は「JTB時刻表」の創刊100年を記念して、「鉄道」をテーマに開催している。今回は、デザイナーの水戸岡鋭治氏による講演「デザインは公共のために」と、「歴代時刻表編集長によるトークイベント」を行なった。本稿では後者のトークイベントについてレポートする。

おでかけを支える出版物としての時刻表

 講演会の冒頭で、JTBパブリッシング 代表取締役 社長執行役員の盛崎宏行氏は、「JTB出版事業の根本は、ワクワクと行動のきっかけとなる存在」と語った。旅行に出る際には、目的地や、そこまでの「足」に関する情報が不可欠だ。そこで、同社は時刻表やガイドブックといった出版物を手掛けてきた。

 JTBの前身は1963年(昭和38年)に発足した「日本交通公社」だが、さらに遡ると、1912年(明治45年)に発足した「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」に行き着く。そこに、雑誌「旅」などを手掛けていた日本交通文化協会が移転して、「汽車時間表」を送り出した。1925年(大正14年)のことだ。

 日本交通公社の発足後は、「国鉄監修 交通公社の時刻表」となった。それが、1987年4月のJRグループ発足により「国鉄監修」の語が抜けて「交通公社の時刻表」となり、さらに「JTB時刻表」となって現在にいたる。

 ちなみに、JRグループ発足後に登場した「JR時刻表」は、交通新聞社(旧・弘済出版社)が刊行しており、いわばライバル関係にある。

これが元祖「汽車時間表」。「鐡道省運輸局編纂」とある
東海道新幹線が開業した1964年10月号。「国鉄監修」の語が入っているのが分かる
JRグループが発足した1987年4月号から「JTB 交通公社の時刻表」になった。表紙の車両は100系新幹線電車の試作車

 近年では乗換案内サイトなどのツールが普及しており、もう紙の時刻表はいらないのではないか、と考える向きもあるようだ。しかし、「A地点からB地点まで速く・安く移動したい」だけなら乗換案内サイトでも用が足りるが、さまざまな旅程を比較検討する場面では、全体を俯瞰できる紙の時刻表に優位性がある。

 現編集長の梶原美礼氏は「紙の時刻表の必然性は最短・最安だけではなく、ほかの情報もあわせて得られる点にあるのではないか。そういうところから、旅を少しでも素敵にする存在にしたい」と語っていた。

現編集長の梶原美礼氏。2023年4月号から編集長を務めている

 そのJTB時刻表が、12月19日発売の2026年1月号で通巻1200号を迎える。そこで、2009年の通巻1000号に続いて、水戸岡鋭治氏が表紙のイラストを担当することになった。描かれた車両はもともと、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星」向けに提示してボツになったイメージ画をベースにして、梶原編集長の要望から子供や動物も加えてにぎやかにリメイクしたものだという。

1200号の表紙を描いたパネル
そのパネルを持って記念撮影に収まる、梶原氏と水戸岡氏
会場には過去の号の表紙を並べたパネルが用意された。なかには、現在では立ち入れない場所で撮影したもの、被写体になった車両が引退してしまったものもある

 また、冒頭の写真にあるように、「JTB時刻表」のロゴも新しいものに変わる。これも水戸岡氏が手掛けたもの。「次の時代に向かって新しい時刻表が欲しいから、進化させたい」という意図があるという。

JTB時刻表ならではのこだわり、JR時刻表へのライバル意識

 そして、歴代編集長によるトークセッションである。事前に質問を募り、それに対して歴代編集長が適宜、答えていくというスタイルで行なった。

講演会の第二部は、本稿の本題である「歴代編集長によるトークセッション」。左端の石野哲氏は、著書「時刻表名探偵」でも有名だ

 最初のお題は「JTB時刻表ならではのこだわり」。

 大内氏は「JR時刻表のことはバリバリに意識している。実はJTB時刻表の方が読者層の平均年齢が高い。高齢になると赤い字が見づらくなるので、JR時刻表みたいに特急だけ赤字とかいうことはしないで、単色で見せ方を工夫している」という。すると石川氏は「表紙に "創刊○○年の信頼" と書いているが、これはJR時刻表にはできない」とライバル意識ムンムン。

 ちなみに、JTB時刻表で使用している数字のフォントはオリジナル。紙も、薄くて軽くて丈夫な特製の用紙を使用している。薄いと裏映りが気になるところだが、裏映りをできるだけ防ぐため、1枚の紙の裏表で罫線の位置を揃える工夫をしている。

 木村氏は「特急列車では、使用する車両の形式が分かるようにしている」という。実は、これはJTB時刻表ならではの特徴の1つ。これが理由でJTB時刻表を買っている、という方もいらっしゃるのではないか。

ダイヤ改正に関する苦労がいろいろ

 次のお題は「ダイヤ改正」。現在、JRグループでは毎年3月の半ば~後半にダイヤ改正を行なうのが通例だが、それ以外でも細かい修正はけっこう入るし、臨時列車は季節ごとに変わる。また、民鉄では違うタイミングでダイヤ改正を行なうこともある。だから、時刻表の内容は毎月のようにどこかしら変化しているのだ。

 そのダイヤ改正の情報は鉄道事業者各社から編集部に渡されるが、驚くなかれ、デジタル・データではなく「紙で来るのが基本」だという。しかも、JRグループみたいな大所帯になると、「新しい改正ダイヤ」がひとかたまりポンと来て終わり、ではなく、次々に訂正・修正がかかるというから大変だ。それなら最終確定まで作業を待ったら、と思うのはシロウト考え。それでは編集作業が間に合わないのだそうだ。

 JRグループで3月にダイヤ改正がある場合、「それに関連する作業のピークは前年の12月ぐらいになる」(高山氏)。発着時刻が変わるだけでなく、ダイヤ改正に合わせて新駅が開業したり、既存の駅が廃止になったり、新線が開業したり、廃止になる路線が発生したり、列車を増発したり減便したりする。ときには駅名が変更されて長くなるとかいうことも起きる。

 だから、単に同じスペースのなかで時刻の数字だけ変えて終わり、とはいかない。誌面の割り付けにも影響が出るのだ。大増発がかかればページ数が足りなくなり、あれこれ工夫して追加のスペースを捻出しなければならない。

 そこで、駅の増減や列車本数の増減によりページ割に影響が生じないかどうかを、担当者がつぶさに調べて確認するというから大変だ。ちなみに、ページ数はおいそれと増やせない。時刻表みたいな第三種郵便物は、重量1kg以内に収めなければならないからだ。

 駅名は、巻頭の索引地図にも影響する。石野氏は「自分が編集長だった時代にできなかったのは、民鉄の駅名を全部、索引地図に入れることだった」。これは大内編集長の時代になって実現したが、その大内氏は「駅は増えたり改称したりするので、対応するのが大変。しかも最近は長い駅名が増えた」と続けた。複数の地名をくっつけた複合駅名が増えたほか、意図的に話題作りとして長い駅名をつける場面もあるからだ。

こういう長い駅名が出てくると、限られた索引地図のスペースに収めるために苦労するそうである

職業病もいろいろと……

 そのほか、「時刻表編集部ならではの職業病」というお題も出てきた。

 石川氏は「家にあるデジタル時計は全部24時間制にした」。ちなみに、時刻表が24時間制に変わったのは太平洋戦争中の話で、それより前は午前と午後でフォントを変えて区別していたそうだ。さらに石川氏は「地名を読めるようになった。いち読者だった学生の頃は国鉄線ばかり乗っていて、会社線はあまり見ていなかったが、制作する立場になるとそうはいかない。そこで会社線の駅名も覚えた」という。

 そこで引き合いに出されたのが、今は亡き羽後交通雄勝線の西馬音内。これは「にしもない」と読む。奥羽本線の湯沢駅から西に向かっていた路線だが「にしもない」。

 時刻表に限らず月刊誌の宿命だが、「先の話」をどんどん取り入れていかなければならない仕事だ。すると、ダイヤ改正号の作業を済ませて世に出して、そのダイヤ改正が実現する頃には、もうそれより先の号の作業をしている。そのため「えっ、今日がダイヤ改正だったの?」(梶原氏)なんていう場面もあるとか。夏のうちから冬物の話をはじめるアパレル業界と似たところがあるようだ。

 時刻表には指定席の発売タイミングという問題があるので、改正当日に改正号が出ていればよい、とはいかない。改正日の1か月前には時刻表が出ていないと、新ダイヤの列車に対応する指定席券を買えない。石野氏は「自分が編集長だったときには10月改正が多かったから、指定券の発売は8月末。すると、お盆の最中に活版を拾って印刷しないと間に合わない。活版職人はお盆に休めなかった」という。

 おもしろいのは校正作業で、何人もで分担して、それぞれ異なる色の色鉛筆でチェックを入れている。そのせいで、色鉛筆がないと校正ができなくなったとか、色鉛筆をダース単位で買ったとかいう話が出てきた。

時刻表は時代を映す鏡

 ダイヤ改正に限らず、時刻表はそのとき、そのときの時代を映す鏡になることがある。

 例えば太平洋戦争中は、物資不足などの影響から判型を小さくしたほか、とうとう1945年7月号では紙っぺら1枚になってしまった。また、鉄道連絡船の時刻が明記されなくなったこともあった。連合軍の航空機や潜水艦による襲撃を警戒したためである。

 阪神淡路大震災や東日本大震災みたいな大災害が発生すると、鉄道にも被害がおよぶ。不通区間が発生したり、細切れに復旧したりするので、そのたびに時刻表も変更が必要になる。東日本大震災のときに編集長を務めていた石川氏は「毎号毎号、交通機関の寸断で影響を受けていた。回ってくる資料は常にイレギュラー。毎回のようにダイヤ改正号みたいな情報量だった」と語る。

 新型コロナウイルスのパンデミックも、当然ながら影響する。列車を間引けば時刻表もそれに合わせて変更しなければならないし、間引かなくても減車することがあった(巻末に載っている編成表に影響する)。それどころか、時刻表を書店に届けようとしたら書店が休業していた、なんていうこともあったそうだ。

万博のような大きなイベントがあると、観客輸送のために臨時列車を仕立てることがある。これもまた、時代を映す鏡の一例である

 時刻表の表紙にしても、新型車両の登場や新線開業といった大イベントにちなんだ被写体を選ぶことが多いから、これも時代を映す鏡だ。2011年7月号の表紙は外房線の特急列車だったが、東日本大震災と大津波の印象がまだ強かった時期のこと。夏だからといって海を出すわけにはいかないとして、代わりにひまわりの花を使ったという。

 その「時代を映す鏡」をまとめたというべきか。「JTB時刻表100年誌」を12月16日に発売する。また、「懐かしい時刻表で間違い探し! 1978年10月号」を12月19日に発売する。これはいわゆる「ゴーサントウ」(昭和53年10月の改正だからこう呼んだ)の時刻表をお題にしたもの。50年近く前の話だから、多くの読者にとってはもはや「歴史」ではないだろうか。

2025年12月16日に発売する「JTB時刻表100年誌」
2025年12月19日に発売する「懐かしい時刻表で間違い探し! 1978年10月号」