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来る新船かむい、消えゆくだいせつ。さんふらわあに乗船しながら思い起こす苦難の歴史

さんふらわあだいせつ。大洗港にて

「さんふらわあだいせつ」大洗航路から引退

 茨城県・大洗港~北海道・苫小牧港を結ぶ「さんふらわあ」航路に、LNG燃料の新造船「さんふらわあかむい」が1月21日にデビュー。その一方で、従来のフェリー「さんふらわあだいせつ」は「かむい」と入れ替わりで定期運航を終了、航路から去る。

「だいせつ」は、この航路の2往復の旅客便のなかでも、深夜1時台に出航する深夜便で長らく就航してきた。しかしこの船はさんふらわあではない別会社が建造しており、「就航翌年に会社が破産」「何度も運航会社が変わる」など、数奇な運命をたどっている。

 2001年の建造から24年間にわたって航行を続けただいせつの船内には、その歴史を感じさせる遺構があるという。さっそく、茨城県・大洗港を深夜に出航するだいせつに乗り込み、約18時間の船旅で遺構を探してみよう。

だいせつ船内は昭和ならぬ「平成初期の薫り」? 船内に残る旧名称の面影

 だいせつ大洗港の出航は深夜1時45分。少し早めの22時台に乗船開始となるので、眠い目をこすりながらフェリーターミナルで待つ必要がないのはうれしい。

老朽化した船内
御船印

 船内に一歩足を踏み入れた時点で鉄サビや塗装の剥がれが目立つなど、就航から24年という年月による老朽化は隠せない。また船内は喫煙室スペースが広く取られ、バリアフリー対応の少なさやカーテンで仕切られただけの寝床、勇ましいエンジン音など……。その仕様は「1世代前のフェリー」といったところか。

 ただ、昭和の薫りならぬ平成初期の薫りただようフェリーを体験しておきたい方も多いようで、トラックドライバーだけでなく観光客の姿も目立ち、「御船印」(乗船記念証)が飛ぶように売れている。

 さて、この船がさんふあわあになる前の痕跡を、入口に「ホール」と書かれたフリースペースで探してみよう。

ホール入口。「hall」表記が極端に右に寄っている
「レインボーホール」時代は右側の塞がれた窓口で料理を提供していたようだ。

 この船が2001年10月に九越フェリー「ニューれいんぼうらぶ」としてデビューした当時は、この場所はレストラン「レインボーホール」であったといい、スペース内には食事の提供や食器回収を行なっていた窓口が、塞がれたまま残っている。よく見ると、入口の「ホール」(hall)表記もガラス窓の右側に極端に寄っており、左側の空きスペースに「レインボー」(rainbow)と入っていたことを伺わせる。

運送約款の右下。透けているのは九越フェリーのロゴかもしれない

 また、いまの運航会社「商船三井さんふらわあ」が、旧社名の「商船三井フェリー」を隠すためか、船内のいたるところで修正の白テープが張られている。なかには、すでに会社として消滅している「九越フェリー」のロゴのようなものがテープの下に透けている場所も……。もはや確認のしようがないが。

 今は本州~北海道の太平洋沖を航行しているだいせつも、れいんぼうらぶとして建造された当時は、北海道・室蘭港~新潟・直江津港~福岡・博多港という、日本海沖を縦貫する航路で就航していた。なぜ、れいんぼうらぶはだいせつとなり、日本海から太平洋に転属することとなったのか。

就航すぐに会社が破綻? 「ニューれいんぼうらぶ」時代を振り返る

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 船名変更前のニューれいんぼうらぶを運航していた九越フェリーのサービス開始は、1996年に遡る。

 当時は直江津港で親会社・東日本フェリーの直江津~室蘭航路と接続する形をとっており、将来的には博多港をハブに対中国・韓国の貨物を北海道に引き込みつつ、北関東から直江津港を利用する自動車部品の輸送も期待されていたという。親会社である東日本フェリーも、青函トンネルの開通による津軽海峡航路の衰退を、新しい航路の開拓でカバーしようとしていた意図もあったのだろう。

 さらに、新ルートの開拓で観光需要を見込み、定員450人・1隻あたり70億円という豪華仕様の新造船「れいんぼうらぶ・べる」2隻を新航路に投入した。ただ、経営計画はバブル期の名残が残る過大なもので、実際の運航開始は遅れてしまい……。貨物・旅客ともに低調で、さらに高金利が建造費用の返済に跳ね返ってきたこともあり、ほどなく経営難に陥った。

 九越フェリーは起死回生の策として、旅客定員を半分以下にしたうえで貨物輸送の機能に特化した「ニューれいんぼうらぶ」「ニューれいんぼうべる」を低金利で建造。建造から数年も経っていない旧来の船を高値で売却することで、債務と運航費用を削ろうとした。今のだいせつは、こういった複雑な経緯から、最初から「シンプルな貨物仕様のフェリー」として誕生したのだ。

 しかし、売却のタイミングでアメリカ同時多発テロが発生してしまい、世界的な観光需要の低迷でれいんぼうらぶ・べるが売れないという予想外の事態が発生。九越フェリーはニューれいんぼうらぶ就航2年後の2003年に、親会社の東日本フェリーと合わせると900億円の負債を抱え、グループごと経営破綻してしまう。

 九越フェリーの航路は、のちに東日本フェリーに引き継がれたものの2006年末に休止ののち、再開を断念。のちに東日本フェリーも、2009年に消滅してしまう。ニューれいんぼうらぶ・べるは2007年から大洗港~苫小牧港間の深夜便に就航することになり、翌年には「さんふらわあだいせつ・しれとこ」に改称された。

 2隻の船は「建造2年で会社が破綻」「5年で航路が消滅」という変転を経て、さんふらわあとして20年近い“余生”を過ごすことができた。だいせつは2015年に火災で8か月も休航、存続が心配されたものの、なんとか復帰を果たした。

 そしていま、だいせつは次世代の船に役目を譲り、無事に引退の時を迎えようとしている。

僚船「しれとこ」引退も間近

だいせつからは、今だけ「かむい」を眺めることができる

 筆者が乗船した時点でだいせつ航海は、大洗港発、苫小牧港発が1回のみ。“お名残り乗船”もあって、それなりに予約があるという。1月17日時点では大洗港でかむいが数日後の就航を控えて待機しており、かむい・だいせつを両方眺めることが可能。たった数日間の新・旧フェリーのランデブーを眺めるために、大洗に足を運ぶファンも多いという。

 また、かむいに次ぐ2番船「さんふらわあぴりか」も春以降に就航を控えており、九越フェリー時代から僚船れいんぼうべるとして航路を支えてきたしれとこも、間もなくこの航路から引退する見通しだ。

 だいせつとほぼ同じ仕様のしれとこに乗船できるのもあとわずか。かつての九越フェリー・東日本フェリーの面影を探しながら、行きはしれとこ、帰りは全個室仕様で快適なかむいと乗り比べてみるのもよいだろう。