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北海道エアシステム、68歳を迎える最年長機長のラストフライト。「感無量だが、新たなスタートが始まったという思い」

2019年3月13日 実施

ラストフライトを行なったHAC最年長機長 片伯部秀一氏(中央)と、同便の副操縦士 待永秀和氏(右)、CA(客室乗務員)北條知佳氏(左)

 HAC(北海道エアシステム)は3月13日、翌日に68歳を迎える機長 片伯部(かたかべ)秀一氏のラストフライトとセレモニーを行なった。

 国土交通省が2015年3月にパイロット(運航乗務員)の年齢上限を64歳から67歳へと引き上げてから、同社で67歳の最後の日までパイロットを務めたのは片伯部秀一氏が初めて。

 HAC最年長機長の片伯部秀一氏は宮崎県日之影町の生まれで、航空大学校卒業後、1973年10月に東亜国内航空へ訓練生として入社。その後、1978年1月より日本航空機製造 YS-11型機の副操縦士として乗務開始してから、ダグラス DC-9型機、エアバス A300型機で副操縦士を務め、東亜国内航空がJAS(日本エアシステム)に代わった年の1988年には、原点に帰りYS-11の機長として乗務開始。その後もA300型機、A300-600R型機と機長として乗務した。

 2002年10月にJASがJAL(日本航空)と統合したのち、2005年11月にHACへ出向。2006年6月からHACでSAAB 340B型機の機長として乗務開始、2014年10月には総飛行時間2万時間を達成している。

 ラストフライト当日は、丘珠~函館線のJL2743便、函館~丘珠線のJL2742便、丘珠~釧路線のJL2863便、釧路~丘珠線のJL2862便の計4便を担当し、パイロットとしての総飛行時間は2万1943時間02分(機長としての総飛行時間が1万3477時間17分)と記録された。また、そのうちHACでの総飛行時間は6070時間56分(機長としての総飛行時間は3894時間38分)となっている。

株式会社北海道エアシステム 代表取締役社長 桑野洋一郎氏をはじめ、HACスタッフたちがエプロンに出て着陸を待つ
手作りのパネルにはSAAB 340B型機や片伯部氏の写真とともに労いのメッセージが
35名+幼児2名を乗せ、釧路空港から12時25分にテイクオフしたJL2862便は、丘珠空港に13時01分にランディング

 片伯部氏のラストフライトになった釧路発JL2862便は、着陸後、HAC 代表取締役社長の桑野洋一郎氏をはじめとするスタッフたちの待つエプロンへとタキシーバック。

 エプロン前で待つスタッフたちの手にはラストフライトの日付と「片伯部キャプテン 長い間お疲れさまでした」と書かれた手作りのパネルが用意されていた。

 一方コクピットでは、タラップから降りた乗客から会釈をされたり手を振られたりするたび、片伯部氏が笑顔で手を振り返している様子が見えた。

 コクピット内での記念撮影ののち、機体から降りてスタッフたちに拍手で出迎えられた片伯部氏は満面の笑顔でガッツポーズ。CA(客室乗務員)から花束を贈呈され、桑野社長と固い握手を交わし、40年以上のパイロット人生を大きなトラブルなく終えた。

エプロンへタキシーバックするJL2862便
13時04分にブロックインした機体にHACスタッフたちが集まる
降機した搭乗客にコクピットから手を振って見送る片伯部氏
副操縦士の待永秀和氏(右)と、最後となるコクピットで記念撮影
ガッツポーズで機体から降りてきて花束を贈呈された
記念撮影のあと、桑野社長と固く握手を交わす場面も

 室内で記者たちのインタビューに答えてくれた片伯部氏は、パイロットを目指したきっかけについて、大学生時代に聞いていたラジオの深夜放送「ジェットストリーム」が大好きでパイロットという仕事に憧れを抱き、同じ気持ちを持った友人が「パイロットになろうぜ」という具体的な話をしてきたとき、「やってやろうじゃないか!」と、彼と意気投合してパイロットを目指すことになったと話してくれた。

 そして、これからパイロットを目指す若者へのメッセージとして、「とにかく夢を追い続けて一生懸命やってみなさい。例え万が一にでも思うようになれない、パイロットになれないことがあったとしても、決して悔いは残さないように。それだけ自分はやってきたと、そういう気持ちがそこに残れば、きっと別の目標にも同じような気持ちで、また向かうことができるんじゃなかろうかと思います。ですから、パイロットになりたいんだという気持ちがあるのであれば、一生懸命その気持ちを大事にして頑張ってほしい」とコメントしてくれた。

 ラストフライト時の機内アナウンスについて、どのようなことを話たかと質問すると、「通常のアナウンスをしたあとに、『本日この便をもちまして、40年以上パイロットの生活を閉じることになりました。今まで数多くの人に乗っていただいた代表として、皆さまにはここでアナウンスさせていただきます』『駐機場へ入って最後1人のお客さまが降機されるまで、安全運航に徹して参りますので、どうぞご安心くださいませ』『長い間ありがとうございました』と、おおむねそんなことを言いました」と、答えてくれた。

 ラストフライトを終えて、「感無量という気持ちは否めない事実なんですけども、人が生きていくうえでは、始まりがあって、なんらかの終わりがある。いろんな転機のなかで今回も一つの転機。新たなスタートがここで始まったという思いをしています。特に未練を残すような気持ちではありません」と述べ、退職後は趣味のマラソンや卓球などのスポーツや、以前やめてしまったクラシックギター、数学・物理も改めて学んでみたいと語り、旅行や映画鑑賞、読書、囲碁などやりたいことが山ほどあるという。

「今のところはこれくらいしか目標はないんですが、これから生きていくうえで何か大成をさせたいという思いは今から見つけます」と目を輝かせて話してくれた。

HACスタッフから送られた花束のほかに、今回の搭乗客が機長のラストフライトだということを知り、急遽カウンターへ届けてくれた花束も