ニュース
東京メトロ、丸ノ内線500形をアルゼンチンから引き取り、当時の姿に復元
現時点では6割の完成度だが自力走行を目指す
2017年11月28日 21:20
- 2017年11月27日 実施
東京メトロ(東京地下鉄)は11月27日、中野車両基地において復元した丸ノ内線500形を報道陣に公開した。丸ノ内線は1954年(昭和29年)1月に池袋~御茶ノ水間が開業し、500形の前身となる300形が登場。その後、新宿駅の開業に備えて300形の改良型として1957年(昭和32年)に500形が登場した。
全鋼製の車体に赤(スカーレットミディアム)で塗装され、窓下の白帯とサインウェーブを組み合わせたデザインは利用客にも親しまれ、丸ノ内線の顔として1996年(平成8年)まで40年近く活躍した。合計234両が製造された500形だが、後継車両である02系の導入が進むにつれ廃車、または譲渡の道を進み、その譲渡先としてアルゼンチンが決まった。
首都ブエノスアイレスの地下鉄には500形110両が譲渡され(300形は7両、900形は14両)、現在も一部の車両が現地で活躍している。その500形も老朽化が進み、2014年ごろから車両を引退させている。その500形を引き取り、若手に技術伝承する機会を充実させることが今後の車両保守教育につながると考え、今回の復元プロジェクトが発足したとのことだ。
500形を公開するにあたり除幕式には、東京メトロ 常務取締役 留岡正男氏、メトロ車両 代表取締役社長 東濱忠良氏、東京メトロ 鉄道本部 車両部長 清水邦人氏、手塚車輌工業 代表取締役社長 手塚清憲氏、東京メトロ 車両部 中野車両管理所 所長 杉山勝氏、東京メトロ 車両部 中野車両管理所 技術課長 増澤富士雄氏が参列した。
除幕式が行なわれたあと、東京メトロ 常務取締役である留岡氏は「鉄道近代化に大変貢献してくれた車両である500形は日本を引退したあとも地球の裏側で20年間活躍してくれました。アルゼンチンで引退したあとはなんとか何両かを引き取り、若手の育成や鉄道文化遺産として保存しておけないかと常々思っていたので、こういった結果になって大変うれしく思います」と、復元プロジェクトを発足させた経緯や思いを語った。
車両部 中野車両管理所 技術課長の増澤氏はプロジェクトで苦労した点を聞かれ、「まず驚いたのは、私たちが見たことのない落書きでした。それをキレイに落としたところで今度は赤が薄れてしまったので塗りなおしたり、アルゼンチンはホームと電車の間が空いているので、転落防止のステップや防護板を取り外したあとのボルト穴の補修、そのほか腐食した箇所などを修理しました。
1カ所修理すると2、3カ所新たに修理が必要な場所が発見されるといった感じで難しさはありました」と、一筋縄ではいかない苦労を語った。また、住宅街にある中野車両基地では溶接や音が大きくなる補修作業はできないので、大掛かりな作業はメトロ車両や手塚車輌工業の協力のもと、新木場の車両基地で行なったそうだ。
復元にあたったプロジェクトチームは、車両部の各職場から志願した20~30代の若手社員9名で構成されている。現役時代の500形を知る増澤氏をはじめすとるベテラン社員の指導のもと、2016年9月から復元作業を開始している。チームのなかの1人は、復元する際の資料として母校である昭和鉄道高等学校に保管されている車体を見学してきたというエピソードを語った。
今回復元した500形は3両編成で、先頭が初期仕様の584号車。2両目がアルゼンチンに引き渡される前の734号車で引退時仕様。3両目は771号車でアルゼンチンで走っていたころの仕様として復元されている。3両編成にしたのは、3両あれば1両が故障しても自走できるからという留岡氏の発案だそうだ。
その話から「本線でも走らせるのか?」といった質問がされると、イベントにおいての運行は考えている段階であると話した。ただし、現状ではまだ6割程度の仕上がりであり、現在の保安設備などの導入などを考えると、走行させるにはまだまだ時間はかかるとの見解を示した。