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JAL、リオパラリンピックの車いすテニス銅メダリスト上地選手と「JALスポーツアンバサダー」との意見交換会を実施
お祝いセレモニーでは花束贈呈を実施し多数のJALのスタッフが上地選手を祝福
2016年10月14日 20:24
- 2016年10月12日 実施
JAL(日本航空)は、2016年9月7日~18日(現地時間)にかけて開催されたリオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会の車いすテニスにて、銅メダルを獲得した上地結衣選手を本社に招き、多数の社員も参加するなか、お祝いのセレモニーを開催した。また同日、4月に発足したJALグループから選出された11名の社員から構成される「JALスポーツアンバサダー」との意見交換会も実施した。なお、JALは上地選手と2013年4月よりスポンサー契約を締結している。所属はエイベックス・グループ・ホールディングス。
お祝いセレモニーでは、まず、JALスポーツアンバサダーから上地選手に花束が贈呈された。上地選手は、「先月無事にリオデジャネイロ・パラリンピックから帰国しました。シングルスで銅メダル、ダブルスで4位という結果を残すことができました。たくさんの日本からの声援のおかげです。金メダルを取るという意気込みで戦いましたが、残念ながら銅メダルということで、4年間目標としていた色とは違う形にはなりました。しかし、多くの声援に支えられ、競技を続けてきてよかったと思えた瞬間もありました。2020年には、さらによい色のメダルを獲得できるようにがんばっていきたいと思います」と挨拶した。
その後、会場に集まったJALのスタッフと懇談し、メダルに触れたりグループごとに記念写真を撮影したりと、上地選手は笑顔で対応していた。
お祝いセレモニーのあとには、JALスポーツアンバサダーと上地選手との意見交換会が行なわれ、施設やサービスなどについて活発な質問があり、上地選手は質問に対して詳しく回答していた。
自身が車いすテニスを始めるきっかけについての質問には、「生まれつきの障がいで年齢とともに歩くのが困難になってきて、車いすでもできるスポーツということでバスケットを始めたのですが、姉が中学校の部活動で軟式テニス部に入部したことがきっかけで、自分もテニスを始めました。今回のパラリンピックから、いろいろな方が興味をもってくださるようになって、帰国後のイベントでも見てもらえる機会が増えました」と語り、車いすテニスの魅力については、「障がい者スポーツは、特定の障がいのクラスがあったり、クラス分けがとても細かくされているのが特徴ですが、障がい者テニスは3つのクラスのみになっています。立てる選手など条件のよい選手が有利と言ってしまえば、それはそうなんですが、障がいの程度が違っても1つのクラスでできるというのが魅力になっています。近年スピードもレベルも上がっていて、健常者のテニスに近づいてきています。どのような障がいをもってプレーしているのかを含めて注目していただけると、楽しめると思います」と語った。
また、飛行機での旅の感想を聞かれた際には、「飛行機の旅では、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。選手が気になるのはフライト時間なのですが、JALの機内では少し幅の広い座席や乗務員の方々の心配りがあり、とても過ごしやすかったです。リオまではニューヨーク経由で向かいましたが、30時間弱かかりどうしても疲労感は出てしまいます。動けないので長時間同じ体勢でいると褥瘡(じょくそう、いわゆる床ずれ)ができ、皮膚が化膿してしまったり、あとで薬での処置が必要になってしまったりすることもあります。自分の手で足を動かしたりする工夫は皆さんしています。クッションを持ち込むこともあります。普段のストレッチでテニスボールを使うのですが、マッサージ用にボールを機内に持ち込むこともあります。もし、小さなボールのようなものが機内に用意できると、とてもうれしいですね。
自分は割と時差ぼけはないほうですので、気にせず機内では食事や映画などのエンタテイメントを満喫するようにしています。今回は長時間だったので、眠るタイミングを現地に合わせていくのが難しかったです。食事のタイミングを申し出ると、柔軟に対応していただけたのはありがたかったです。食事はコラボのメニューが毎回違うので、いつも楽しみにしています。現地に着いてからの調整が1~2日ということが多いのですが、いかに現地の環境に慣れるかを重要視しています。
気になる改善点はほとんどないのですが、アームレストが上がる座席と上がらない座席があるのですが、CAさんが操作方法が分からないということがあったのですが、指摘してからは一度も分からないことがなくなっていて驚きました」と答えていた。
また、2020年には東京パラリンピックがあり、これから若い選手をどう育成していくかについての質問では、「若い選手の育成もそうですが、一般の方に面白いなと興味をもってもらうきっかけになるのは、自分たちが活躍することだと考えています。活躍することで、若い人たちも、あんな風になりたいと感じてもらえるのかなと思います。今回帰国してからのパレードが、オリンピックとパラリンピックの合同で初めて行なわれ、報道や沿道に来てくださった方々など、自分が思っていた以上の多くの人から応援していただけてるんだなと実感しました。沿道では障がいのあるお子さまなども見ました。今は応援する側であっても、もしかしたらプレイヤー側にいることになるかも知れません。それには、自分たちが活躍することが一番だと思いました。沿道の応援はとても近く、目が合う方も多数いて、できる限り多くの人に声をかけました」と、10月7日に東京都内で行なわれた大会後のパレードでのエピソードも交えて答えていた。
大会会場付近でのアクセシビリティに関して質問がおよぶと、「ロンドンとリオと2大会を経験して、両方のよいところを経験できました。ロンドンでは電車に乗ったとき、車いすで乗り降りできる駅というのが、分かりやすく絵で表記してあったり、車いすが入れる号車の場所の表示も分かりやすかったりしたのは、パラリンピック開催の影響なのかなと感じました。障がいのある方が、足を運びやすい作りに配慮されていたと感じます。リオでは少し財政的な面もあったのか配慮が足りず、電車やバスの乗り降りでスロープがなかったり、道が舗装されていない部分が目に付いたりしましたが、それを補うように人が親切に手を差し伸べてくれる機会が多くありました。東京大会では、両方のよいところを吸収した大会になるといいなと思っています」と答えていた。上地選手は終始和やかに時おり笑顔も交え、質問にはとても詳細に答えていた。
最後に、JAL 代表取締役専務執行役員コミュニケーション本部長 大川順子氏は、「リオパラリンピックでは感動を本当にありがとうございました。こうして、率直なお話をいただけることにとても感謝しています。2020年に向けて、JALスポーツアンバサダーが牽引役となって、盛り上げていきたいと思っています。障がい者に対する支援、取り組み、スポーツ自体を楽しんでいくということも含め、取り組んでいきます。アームレストの話のように、まだ気づいていないことがたくさんあると思うのです。多忙ではと思いますが、直接対話させていただくことで、得られることも多いと思います。今後ともこういった機会を設けていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします」と締めくくった。
終盤には、上地選手が試合で使っている競技用車いすを組み立てるところから見せ、JALスポーツアンバサダーが試乗してみるという機会も設けられた。
競技用車いすは、タイヤがハの字に広がり、ブレーキがない。後ろ側に転倒防止用の補助輪が付いている。上地選手用のオリジナルカスタムモデルは、身体に、よりフィットさせるように座面がかなりコンパクトになっている。車いすは日々進化中で、ロンドン大会の頃から、一体感を強めるために、足の周囲にイスと一体化したカバーがあり上から乗り込むタイプが出てきているそうだ。
競技中の操作には、握力でパワーを使うよりも、タイミングや柔軟性のほうが重要とのこと。車いすは想像しているより軽く操作できる。
上地選手は、2020年の東京パラリンピック向け、スタートを切ることになる。これからも、JALスポーツアンバサダーの活動も含め見守っていきたい。