旅レポ
屋久島旅行らしくないけど屋久島らしさを感じられる「里めぐり」体験
屋久島の生活、風習に触れられる体験ツアーを島内7カ所で実施中
(2016/4/7 00:01)
皆さんは○○と聞いてなにを思い浮かべるだろうか?……というのは、文章の導入としてわりとありがちなフレーズで、主題に触れる前になんらかのイメージを読み手の頭のなかに作ってもらうことを目的にしている。そして、多くの人が思い浮かべるであろうイメージどおりの話題へ持っていって書き手と読み手の共感を強めたり、あるいは誰もが想像しないような話を持ち出して意外性を強調したりするのである。避けるべきは中途半端に2~3割ほどの人が思い浮かべてしまいそうな話をする場合で、「あぁ、それを思い浮かべる人もいそうだよね」と冷静に判断されてしまうと、書き手がドヤ顔で主題を語ったところで読み手にはシラけムードが漂う羽目になる。ゆえに、このフレーズを使う前提には書き手と読み手とが一定の共通認識を持っていることが必要になる。自他ともに認める非常識人の記者にとって、このハードルはとても高い。そんなどうでもよいことを考えながら書き始めたこのレポート。そろそろ本題に入りたい。
皆さんは屋久島と聞いてなにを思い浮かべるだろうか?
次にこの一文が来ると予想した読者が多いであろうことも含めて、本稿で触れる旅先については多くの人と認識を共有できる気がする。おそらく多くの人は「屋久杉」「世界遺産」「もののけ姫」「海」「カメの産卵」あたりのイメージを思い浮かべるのではないだろうか。屋久島に行ったことがなかった記者個人としても、屋久島といえばやっぱり屋久杉やコケが生えた岩肌が並ぶ山中のビジュアルが真っ先に思い浮かぶし、それらを巡るのが屋久島らしい観光旅行だと思う。
だが、今回はそういうイメージとはちょっと違った屋久島旅行を体験できることになった。それが屋久島の「里めぐり」だ。
屋久島の里めぐりとは、屋久島町と屋久島環境文化財団が運営する屋久島里めぐり推進協議会が実施しているもので、屋久島にある集落の人々の暮らしや文化、歴史を、その集落の人のガイドで案内してもらえるというもの。
里めぐりのパンフレットを参考に話をまとめると、屋久島は周囲約130km、面積約500km2のほぼ円形の島で、全面積の約9割が山岳地帯。農地があまりなく、屋久島の人々は平地での農作業だけでなく、山での林業や海での漁業など、すべての自然を相手に生活。「岳参り(たけまいり)」という山岳信仰の一種もそうした表われで、自然と人とが共生する文化を育んできたのだという。また、屋久島は鹿児島県の山岳標高トップ10がすべて集まるほどの山岳島で、そのような地理的要因もあって集落間の往来が少なかったそうだ。
結果、それぞれの集落で独自の風習、文化を持っており、それを集落の「語り部」とともに見てまわれる2~3時間のツアーとして提供しているのが「里めぐり」である。
今回、屋久島環境文化財団の案内で、この里めぐりの一部を体験する機会を得たので、紹介していきたい。
7カ所の集落で実施されている「里めぐり」
今回、記者は羽田空港から鹿児島空港で乗り換え、JAC(日本エアコミューター)が運航する鹿児島空港~屋久島空港の路線を使って飛行機で屋久島を訪れた。屋久島の出入りは、この空路のほか、鹿児島本港などからの船便があり、輸送量としては船便の方が多い。船便はフェリーまたは高速船があり、島の北寄りにある宮之浦港に発着する便が多いが、高速船の一部が東海岸の安房港を利用する。空港は宮之浦港、安房港のちょうど中間あたりにある。つまり島の北東~東側が屋久島の玄関口ということになる。
大きめの規模の宿泊施設は定員が100名前後を超えるホテルが5軒、50~80名ほどのホテルが2軒(うち1軒はリゾートホテルで知られるサンカラホテル&スパ屋久島)といったところだが、定員が10~30名程度の旅館や民宿が多数あるので、選択肢は豊富な印象だ。やはり船の港がある宮之浦、安房の宿泊施設が充実している。
島内での移動については、レンタカーを借りるのが一般的で、そのほかにはバスやタクシーなどを利用する人もいるそうだ。記者は今回、屋久島環境文化財団の担当者のクルマで案内してもらった。
という屋久島訪問の第一歩を記したところで、今回の旅の目的である屋久島の「里めぐり」についてもう少し詳しく説明しておこう。
屋久杉をはじめとする国内でも最強レベルの観光資源がある屋久島だが、当然のようにそれらの有名な観光スポットへ観光客が集まってしまうのが同島としては悩みの種。という話を聞くと、なんと贅沢な! と思わなくもないのだが、多すぎる観光客は自然を守るという観点でも難しい存在であり、新たな観光資源の開発が求められた結果生まれたのが「里めぐり」なのである。
2014年度にスタートし、2016年度で3年目のシーズンを迎える。屋久島は同じ町に属する口永良部島と合わせて26の集落があり、このうち一湊集落、宮之浦集落、春牧集落、平内集落、中間集落、永田集落、吉田集落の7集落で実施している。スタート当初は永田、一湊を除く5集落でスタートし、2集落があとから加わったそうだ。
集落により内容が異なるが、所要時間はおおむね2~3時間。あくまで厚意での対応だが、大人数でなければ案内役の「語り部」と相談してコースのアレンジをすることもあるそうだ。午前と午後で2カ所の集落をまわることも可能という。
料金は1人1500円(小学生以上)。申し込みは電話(0997-42-2900)、FAX(0997-49-1018)、Webサイトから行なう。ちなみに料金収入の1割は保健などの諸費用で、残りの9割は集落のものとなり、地域の活性化に役立てている。現在、里めぐりをしている集落はいずれも屋久島にあり、平地がある海岸沿いに点在。島の外周を走る道路でアクセスする。現地集合&現地解散なので、先述のような“足”は、自分で確保する必要がある。
案内役の「語り部」は各集落にいて、その日に案内できる人が対応をしてくれる。地元で生まれ育った人だけでなく、移住者も語り部となって熱心に取り組む人が多いという。これはなんとなく分かる。地元にずっと暮らしている人には当たり前のことも、移住者はそれが実は当たり前ではないことを知っている。そんなところに興味を引かれ、伝えたいという気持ちが芽生えるのだろう。もちろん伝統的なことが体に染みついているのは地元で生まれ育った人なので、そうした人達が協力しあうことで観光資源としての「里めぐり」の魅力を高めているのだろう。
今回の屋久島訪問では2カ所の里めぐりを体験させてもらった。いずれも時間の関係で各集落の主要ポイントの散策に留まっていることをあらかじめご了承いただきたい。実際のコースでは各集落とも、もっといろいろなところをまわる。
迫力あるガジュマルや個性的な語り部さんが印象的な「中間集落」
最初に訪れたのが屋久島の南西部にある「中間集落」。隣の栗生集落から分かれてできた集落で、「いつまでも仲間でいよう」という気持ちから「中間」と名付けられた説があるそうだ。
そんな豆知識を教えてくれた語り部が川崎太一さん、喜久代さん夫妻。川崎さんは集落で生まれ育ったあと、東京で長く暮らしていたそう。集落の風習にも明るく、一方で集落独自のよさを理解できる語り部だ。
中間集落を訪れ公民館に入ると、まず目に飛び込んできたのがウェルカムスイーツ。ツワブキの葉の上に黒糖、タンカン、かからん団子。そしてツツジの花が添えられている……と、いきなり、タンカンってなに? かからん団子ってなに? と、はてなマークが頭に浮かぶ言葉が出てきた。
タンカンは柑橘類の一種で沖縄県では多く産出されているそうだが、屋久島でも栽培が盛んだという。普通のミカンよりも皮が固めなので、はっさくやグレープフルーツのように酸味が強いのかな、と思って食べてみると見事に裏切られてすごく甘い。屋久島ではタンカンのほか、ポンカンも栽培されているそうだ。
かからん団子というのは、「かから」という葉で包んだ団子で、中身はヨモギを使った草餅。これは喜久代さん手作りとのことで、たっぷり使われたヨモギの風味がとても濃厚で美味しかった。もう1個くださいと言えなかった自分がうらめしい。
黒糖はオーソドックスに思えるかもしれないが、この中間集落は黒糖作りが盛んで、2014年には、昔ながらの製法でさとうきびから黒糖作りを体験できるツアーも実施したそうだ。実際に食べてみると、黒糖の甘みとともに塩っぽさも強く感じられる。おそらくミネラルが豊富なのだ。これが本物の黒糖なのだろうか。黒糖に対するイメージが少し変わった瞬間だった。
ついでに(といってはかわいそうだが)、スイーツの下に敷かれたツワブキについても触れておくと、若い芽は柔らかく、天ぷらにして食べると美味しいらしい。中間集落だけでなく屋久島の各地で見かけ、わりと一般的な食材として使われているようだ。
さて、こんなスイーツをいただきながら、語り部である川崎太一さんによる中間集落の紹介が始まるのだが、これがすごい。中間の特徴や風習について、次から次へとエピソードが語られる。先述した中間の名前の由来や、地元の歴史、風習、お祭りの話など、すべてが本当に興味深い。川崎さんの舌も滑らかで、あれもこれもどんどん語られるのだが、話がうまくまとまっているので、よく知らない土地の話なのにスッと頭に入ってくる。もはや完成された芸というか、プレゼンのプロの域に達している。
そんな話のなかで、屋久島では毎年旧暦の8月15日に、各集落で綱引きが行なわれるのが伝統になっていることが語られた。中間集落でも綱引きが行なわれ、東が勝てば豊作の年、西が勝てば大漁の年といった具合に、その年を占う意味もあるという。この綱引きの最中に歌われるのが「十五夜歌」。この場で川崎さん自らが歌い聞かせてくれ、参加者は合いの手を打った。こういうときの歌はよいもの。人と人との距離を縮めてくれる。
プロのプレゼン(?)を聞いていただけのはずなのに、なぜかすっかり打ち解けたムードが漂い始めた頃、川崎さんを先頭に中間集落の散策へと出かけた。
まずは、中間集落のシンボルになっている「中間ガジュマル」へ向かった。ガジュマルはそういう名前の樹木。自生のガジュマルは屋久島や種子島付近が北限とのことで、日本の国土の多くが含まれる以北の地域の人には馴染みが薄い。地上の茎から根が生えるのが特徴の一つで、この根がほかの枝にくっついたり、地面に根付いたりする。ほかの木の枝に到達して、栄養を吸い取ってしまうこともあるそうだ。
中間ガジュマルもそのように成長したわけだが、樹齢はなんと300年。300年前になにがあったか調べてみたら、1716年は享保の改革が始まった年らしい。この枝や根の暴れっぷりは徳川吉宗と関係があるのだろうか(いや、ない)。枝なのか根なのかの判別はできないが、複雑に入り乱れつつ、道路のところだけがトンネルのように見事に空いており、「中間ガジュマルくぐり門」などと呼称されている印象的な木だ。
このような象徴的なスポットがある中間集落だが、集落の散策も風情があった。石垣、石畳もある、どことなく南国情緒があるのが面白い。ここは屋久島なのに、集落内のお店に沖縄限定パッケージのボンカレーが売っていたりして、いつの間にか本当に沖縄にいるんじゃないかと錯覚もするほど。
そんな集落内を川崎さんはどんどん歩いて行くのだが、「えっここを通るの?」というようなところもぐいぐい進んでいく。そこはどこからどう見ても民家の裏庭。間違いなく私有地。そんな場所だ。聞くと、集落ではこうした“道”は共用のスペースとしてみんなが自由に通れるのだそうだ。“一つの地域が家族”といった意味の言葉を耳にすることがあるが、そんな距離感が本当に根付いているようだ。
もっとも、仮に共用スペースのように使われていると知っていても、信頼関係のある人同士だからこそ許されることだし、このような地元の人ならではの振る舞いは、よそ者がふらっと訪れてもなかなか実行できるものではない。この空気に触れられるのは「里めぐり」ならではの楽しさだろう。
集落を見守る永田岳をはじめとする情景が美しい「永田集落」
次に訪れたのは、屋久島の北西部にある「永田集落」だ。先述のとおり、こちらの集落は2015年に里めぐりツアーを始めたばかり。屋久島(=鹿児島県)では、宮之浦岳に次いで2番目に高い永田岳を戴く集落だ。
今回、荒田純明さんを中心に、平切すな子さん、吉村保子さんの3名の語り部に案内してもらった。荒田さん、平切さんは地元出身、吉村さんは神奈川県から移住したのだそうだ。
スタート地である集落の公民館を訪れると、「牧新蔵翁顕彰碑」、なにかタービンのようなもの、緑色に澄んだきれいな川と、早速気になるものが目に飛び込んでくる。気になったら尋ねられるのが語り部とともに歩く里めぐりのよいところだ。
牧新蔵翁とは、永田集落一帯を国(官)有地化から守り抜いた人らしい。屋久島は明治維新後の地租改正で多くの山林が国有林とされたそうだが、牧新蔵翁は「永田岳から見える土地は永田のものだ」と主張し係争。最終的に1500町歩(約1488ヘクタール)の土地を永田のものとして認めさせた。中央集権体制が強かった明治の世において、このような戦いをした人がいたのかと思うとともに、いま現在でも薪を使っている家庭がある屋久島だけに山林が国有化されることは死活問題だったのだろうなどと、いろいろ空想できる出来事だ。
一方で、永田集落は屋久島で最初に「電気」を取り入れた集落で、1926年(大正15年)に水力発電機を導入したという。公民館にあるタービンがそれだった。屋久島全島に電気が通ったのは1952年(昭和27年)とのことなので、いかに先進的な取り組みだったかが分かる。
そして、目の前を流れるきれいな川。永田岳から流れる永田川だ。川の底が見えるほど澄んでいる。「きれいですね~」と荒田さんに話しかけたら「でも誰も水に入らないよ、きたないから」との返事。……えっと、これは“当たり前”の違い? “きれいの基準”の違い?……と頭がパニックを起こしかけたが、聞くと生活排水が流れ込んでいるとか。食器などを水路で洗ったりして、その流れがすべて永田川に流れてくるそうだ。
そんな話をしながら永田集落を散策。永田橋の悲しい歴史を聞いたり、田園風景に癒やされたり、農業の古道具に興奮したりと、永田集落は異なる色合いのトピックが次々に出てくる。そして、その先は永田集落の神社めぐりのために、きつい坂を上っていく。舗装された道ではあるが、ちょっとした山登りだ。
そういう場所の散策なので、路傍に生えている草木や虫などの説明も聞ける。島という土地の特性から固有種も少なくないだけに、こうしたものも注意深く見ていると面白さが増すだろう。
中間集落、永田集落と里めぐりを体験し、それぞれの集落とも個性もあって楽しかった。中間集落は海のイメージが残り、永田集落は山間のイメージが残るといった具合に、それぞれの個性が感じられて2カ所を巡れてよかったと思っている。その個性は、その土地の特性に、人が合わせて生きているからこそだろう。
また、どちらの集落も、語り部さんが本当に自分の集落を愛していることが伝わってくる。地域の話に限らないと思うが、そのこと、そのものを好きな人と話をしているのは心地よいし、聞いているこちらもそれを好きになれる。その地を見るだけなら1人でもできるが、その地の人と話をしながら一緒に歩けることは本当に幸せで楽しいことなのだと、つくづく感じさせられた「里めぐり」体験だった。
一応、普通の観光っぽいスポットにも行ってきた
さて、本題である里めぐり体験は以上の2カ所だが、そのほかの時間は屋久島のいろいろな場所を案内してもらった。そんなスポットを紹介しておこう。ちなみに以下に掲載する順番は時系列ではなく気分で決めたので、空の色が急激に変わったりしても気にしないでほしい。
日本の滝百選に入る「大川の滝」
「日本の滝百選」にも入っている落差88mの大きな滝。島の外周を走る道路からちょっと入ったところにあり、駐車場もあって行きやすい場所。駐車場から2~3分歩けば滝の麓に行ける。
この“滝の麓”は、滝壺のすぐそばまで行けるので、88mという落差の大きさもさることなら、滝壺に水が流れ落ちる迫力を間近で感じられるのが素晴らしい。地元の人に言わせると、雨量が少なかったせいで今日の迫力はいまいち、的な反応だったのだが、そう言われても残念に思うことなく素晴らしいと思えた。これも地元の人との“当たり前”の価値観の違いなんだろう、きっと。
名水といえば名酒! 屋久島二大酒元の一つ「本坊酒造」で試飲
水が美味しいところには美味しいお酒がある。名水で知られる屋久島には、2つの酒造所がある。手に入りにくいということでその名前を耳にしたことぐらいはあった焼酎「三岳」「愛子」を製造する「三岳酒造」。そして「本坊酒造」だ。本坊酒造では焼酎蔵「屋久島伝承蔵」の見学が可能で、今回は訪問も蔵見学が目的だ。
普段から見学を受け入れている蔵だけあって、製造工程に沿って説明書きも用意されており分かりやすい。もろみを醸造するための古い甕が多数埋められており、その光景は圧巻だ。
また、ちょうどサツマイモの季節を過ぎて製造を行なっていない時期でもあり、貴重な麹室も見学させてもらえた。大きなお風呂のような入れ物があり、ここで麹造りが行なわれる。気温、湿度を一定に保つことが大切で、昔ながらの施設であるため天井に換気を調整できる小さな窓が設けられている。これらの温度・湿度調節だけでなく、攪拌も人の手で行なう、本当に手作りの麹がここで作られる。
原酒まではおよそ2週間で製造。焼酎はそこから1年ほど熟成して商品化する。上記の4銘柄は原酒を薄めて25%のアルコール度数に調整されているが、太古屋久の島の原酒(37%)も販売している。水で薄めるという工程も入るため、余計に水の美味しさが重要になる。屋久島は「超軟水」というのも特徴だという。
ちなみに本坊酒造では屋久島産の「白豊(しろゆたか)」、南薩摩産の「黄金千貫(こがねせんがん)」という2種類のサツマイモと、白麹または黒麹を組み合わせて、複数の焼酎の銘柄を販売している。簡単にまとめると下記のような銘柄になる。
「屋久の島」=黄金千貫×黒麹
「太古屋久の島」=黄金千貫×白麹
「水の森」=白豊×黒麹
「大自然林」=白豊×白麹
上記4銘柄のうち、最近話題になっているのは「水の森」だという。というのも、この屋久島伝承蔵の女性杜氏である石井律氏が企画して作ったもので、かつ屋久島に移住した女性デザイナー高田裕子氏がラベルをデザイン。“女性の手で作られた焼酎”として注目されている。
蔵に隣接した「試飲場、売店」でこれらを味わわせてもらった。記者は下戸というほど受け付けないわけではないが、あまりお酒を飲まない身なので、「こんな自分が美味しい(らしい)焼酎をいただいちゃってスミマセン……」と思いながら、とりあえず主力商品っぽい名前の「屋久の島」を飲んでみたところ、想像以上に飲みやすい。これなら飲めると、4種類すべてを飲み比べてみた(原酒に手を出す勇気はなかった)。味の違いを語れるほどの余裕はないが、どれもまろやかで飲みやすい。特に白豊を使った2種類は、喉にくるお酒特有の衝撃が弱く、自然に体に入っていく感覚だった。
また、本坊酒造では屋久島のタンカンを使ったリキュール「たんかん酒」や、パッションフルーツの果汁を入れたワイン「屋久島パッション&赤ワイン」「屋久島パッション&白ワイン」なども販売。特にたんかん酒は、ちゃんとお酒でありながらタンカンの甘みが絶妙。屋久島の軟水が合ったのか、本坊酒造 屋久島伝承蔵との相性がよかったのかは不明だが、お酒の試飲でこんなに楽しいと思えたのは初めての経験で自分でもちょっと驚いた。お酒好きな人はもっと深い味わい方をするのだろうが、記者のようにお酒は嫌いじゃないけど付き合い程度、たしなむ程度という人も感動できるのではないかと思うので、ぜひ味わってみてほしいと思う。
名水といえばそば! 手打そば「松竹」
水が美味しいところには美味しいおそばがある。名水で知られる屋久島には……という前項と同じ流れで、続いてはそば屋さんへ行った話である。お店の名前は「松竹」。“しょうちく”ではなく“まつたけ”と読む。民家をそのままお店にしたところで、欄間や机に屋久杉が使われ、木に包まれた落ち着いた雰囲気を作り出している。念のため、お店の名前は松竹だ。
前半で紹介した中間集落の西側、栗生集落にある。お昼時(11時~15時、季節により変わる)の営業が基本で、夜も営業しているが予約をしてほしいとのことだった。
おそばは“かけ”もしくは“ざる”を選べ、セットに天丼やとろろめし、魚めしなどを選べるというスタイル。記者は魚めしとざるそばのセットを頼んだ。値段は1000円。そばは歯ごたえがあるというには柔らかく、コシがないというにはしっかりしたよい具合の食感。風味もよく味わい深い。それ以上に印象的だったのは魚めしで出汁がしっかり出ていて、とにかく美味しい。魚めしの大盛りとか、魚めしと魚めしのセットがほしいと思うほど。
今回はざるそばを頼んだが、かけそばも食べてみたかったし……というところで、よい意味で物足りなさを残したお店だったので、屋久島に再訪した折にはもう一度行きたいと思っている。
見た目と肌触りのギャップがすごい「JRホテル 屋久島」の「屋久島温泉」
屋久島にはいくつかの温泉もあり、登山客の利用も多い「尾之間温泉」や、海の干潮時にだけ顔を出す「平内海中温泉」などが知られている。ただ、「屋久島温泉」というそのものズバリの名前を付けた温泉は、尾之間集落の「JRホテル 屋久島」にある。
JR九州ホテルズの系列であるJRホテル 屋久島だが、説明するまでもなく屋久島には鉄道はない。鉄道の沿線ではない地域へ初めて進出したのが同ホテルだという。とはいってもJRグループの旅行商品に屋久島が組み込まれることはあり、2016年5月11日~15日催行の商品として、「ななつ星 in 九州」への1泊2日の乗車と、その乗車前に屋久島観光を組み入れたプレミアムツアーも発売している。
元々は国民宿舎があった場所で、その跡地で2005年にJRホテル 屋久島を開業。国民宿舎時代からJRホテル 屋久島開業当初にかけては「尾之間温泉」から引き湯で温泉を提供していたというが、現在は新たに見つかった別の源泉からの温泉になっている。
宿泊客以外の外来入浴が可能(18時まで)で、料金は大人(中学生以上)1400円(1名、タオル付き)、子供700円(同)。屋久島島民にはそれぞれ600円、300円(タオルなし)で提供している。
温泉は内湯と露天にそれぞれあり、これは男女とも同じだという。営業時間中だったので写真を掲載できないことはご了承いただきたいのだが、実際に入浴させてもらうととても不思議な温泉であることに驚かされる。
見た目は透明なただのお湯なのだが、実際に身を沈めてみるとヌルッとした感触がある。肌触りは“クリーミィ”という表現が適しているかなと思ったのだが、この言葉は白濁感も含んでいるように感じられるので、見た目が透明なこのお湯には適さないようにも思う。外来入浴が可能なことを利用して、ぜひ試してほしい感触だ。
一応、屋久島の自然に触れられるスポットにも行ってきた
そろそろ「里めぐり」の体験より普通の観光スポットの方をたくさんまわってるんじゃないか、というツッコミを覚悟しなければならない頃合いだろうか。だが、もうちょっとだけ続く。
次は屋久島の自然を感じられるスポットだ。
ウミガメが産卵に訪れる「いなか浜」
屋久島の北西、先に紹介した永田集落のエリア内やその付近には、西岸にいくつかの展望スポットがあった。訪れたのは午前中だったが、おそらく夕方には美しい夕焼けを見られるのだろう。
沖には口永良部島の姿も見える。口永良部島といえば、2015年5月の火山噴火が記憶に新しい。2016年3月時点においてもまだ白煙が上がっており不安を感じる光景ではある。ただ、すでに避難指示は解除されており、予断を許す状況ではないとはいえ一時ほどの緊迫した様子はないようだ。
ちなみに、口永良部島は“ひょうたんのような形”と形容されることもあるが、最近は“ムーミンのよう”という表現もあるそうだ。確かに屋久島から見て左側(南方)を頭にしてムーミンがうつぶせに寝そべっているようにも見える。うまいことをいう人がいるな、と感心する。
そんな永田集落付近のビーチでもっとも有名なのが「いなか浜」だ。屋久島にはウミガメが産卵のために上陸する浜がいくつかあるが、そのなかでももっとも知られている浜だ。有名な場所だけにウミガメ保護の観点での問題提起もされてきたが、観察のための体制も整えることで自然観察とウミガメ保護を両立させる取り組みを行なっている。近くには「うみがめ館」という施設があるほか、駐車場にはアカウミガメとアオウミガメの見分け方を紹介する看板も用意されており、まさにウミガメのためのビーチといった雰囲気になっている。
産卵期ではないので今回は浜に繰り出したが、産卵期にはどこに卵が埋まっているか分からないので、うかつに立ち入ることは避けた方がよいそうだ。“李下に冠を正さず”の故事の如く、特に地元の人ほど誤解を恐れて浜に入らなくなるという。ちなみに卵は安全な場所に埋めかえる作業が行なわれている。
黄色い砂浜と柔らかい水色のコントラストがとてもきれいな浜で、海の色も、砂も特徴的だった。砂は粒が大きく、ここまでくると小さな石が集まっていると表現した方がよいのではないかと思うほど。(関東から見ると)南方の島ではあるが、沖縄の海ともまったく違うビーチが印象に残る。
“もののけ姫の森”や“太鼓岩”につながる「白谷雲水峡」
本稿で最後に紹介するスポットは「白谷雲水峡」だ。屋久島にちょっと興味がある人なら耳にしたことがあるだろう。苔むした岩が連なる「もののけ姫の森」、眺めのよさで知られる「太鼓岩」、有名な屋久杉の一つ「弥生杉」など広く知られるポイントがあり、期待に胸が膨らむ場所だったのだが、
「今回は時間がないので、もののけ姫の森も太鼓岩も行きません」。
と、第一歩を踏み出す前から不完全燃焼に終わることを確約された。でも、やっぱり進めるだけ進んで楽しみたいと思った。そこに山があるからではなく、屋久島の自然を見たかったからだ。
ヤクサルの群れに癒やされたりしながら(クルマで)山を登っていくと、白谷雲水峡の入り口へ。本数は2社で1日5本(3月時点での現地案内板による)と少ないが宮之浦港との間で路線バスも走っている。なお繁忙期である夏期は本数が増える。
協力金ということで300円(高校生以上)を支払って入場。整備された道、されてない道が混じり、自然の維持と観察の利便性の両立を図ろうと苦労してるのだろうか、などと屋久島の山を踏みしめながら登っていく。
途中、岩をつたって川を渡る道があるのだが、屋久島では、川にいる神様を驚かせないようにコホンと咳払いをしてから通るのがマナーだとか。先の里めぐりではないが、こんなところでも自然と共生する屋久島の人達の風習を感じることができる。
さて、屋久島で杉といえば「縄文杉」「弥生杉」などが知られるが、この白谷雲水峡にもいろんな杉がある。屋久島の杉はその樹齢が語られることが多いが、そのような情報がなくとも生命力を感じさせる杉の木ばかりで見応えがある。名前はないが岩に張り付くように根を伸ばして生き延びている杉、写真のフレームからはみ出すほど高く伸びた「二代大杉」。1kmと満たない距離を歩いただけでも心に残る杉ばかりだ。
道中の様子など印象的な情景を写真で紹介しておきたい。
「里めぐり」は世界遺産・屋久島の一つの顔だった
このように屋久島の人、物、自然に触れてきた1泊2日の旅。いわゆる“屋久島旅行”とはちょっと違った一面を紹介できたのではないかと思う。「里めぐり」がスタートしたのは2年前とまだまだ新しい旅なので、初めて訪れる人はもちろん、リピーターの人にも興味を持ってほしいと思う。屋久島の人達の生活に触れられるだけでなく、その思想というか、気持ちに近づけるのが楽しく、好奇心をかき立てられた。
そうは言いつつもミーハーな記者は、「縄文杉」とか「もののけ姫の森」とかの屋久島らしい世界遺産の風景をもっと見たかったなと、島を去ったあとに未練がましくネットであれこれ見ていたことを告白しておきたいのだが、そんななかで環境省が運営している屋久島世界遺産センターのWebサイトに載っていた一文に目が留まり、頭に冷水をかけられたような気持ちになった。次の一文だ。
“屋久島の世界遺産登録に当たっては、 登録当時、ユネスコ世界遺産センターのドロステ所長は、「自然遺産としての屋久島の価値は、多くの 人たちが暮らしていながら、すぐれた自然が残されていることにある。」と語っています。 ”
なるほど。自分の考えを根本から改める必要がある。この旅で見たもの、出会った人、聞いた話、感じたこと、これらすべてが“世界遺産・屋久島”そのものだったようだ。「気付くのが遅いよ」。どこからともなく、そんな声が聞こえた気がした。