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かつては「駅前に集落・倉庫・日通」。宗谷本線 雄信内駅、なぜ消えゆく?

「希少な国鉄型木造駅舎」雄信内駅が廃止へ

 開業から100年を迎えたばかりの秘境駅「雄信内駅」(JR宗谷本線・北海道幌延町)が、3月15日のダイヤ改正をもって営業を終了する。

 この駅がある幌延町は6つの鉄道駅があり、なかでも雄信内駅は、1953年(昭和28年)に建てられた立派な木造駅舎を擁する。上下線の交換設備(列車のすれ違い設備)や長大なホーム、古めかしい琺瑯看板の駅名標や、官舎があったという駅横のスペースなど……待合室や長大なホームだけ見れば、この駅は「多くの人々が乗り降りする地域の拠点駅」に見えなくもない。

 しかし実際には、ここ10年以上も「1日の乗客1人以下」、地元の利用実態はゼロに等しい。かつ駅舎はいたるところでひび割れをパテで埋めた跡があり、1953年の落成から七十余年が経ったせいか、老朽化はもはや隠せない様子だ。

雄信内の駅前通り。すでに自然に還っている
駅構内には荷物取扱所、出札窓口が残る
雄信内駅ホームにて

 また、10年前くらい前までは駅前にあった農業倉庫も森林に還っており、「ここに数軒の商店や倉庫、30~40戸の集落、鉄道貨物を扱う日本通運の拠点まであった」と言われても信じがたい。実は1.5kmほど離れた川向こう(天塩町雄信内)に集落があるものの、日常生活で鉄道を利用することはないという。

 なぜ駅前のにぎわいは消え去り、雄信内駅は消えゆくのか。「雄信内」という街の歴史と、開拓、隆盛から衰退にいたるまで百数十年の歩みをたどってみよう。

天塩川の水運の要衝に「雄信内駅」誕生!

天塩川

 アイヌ語の「オ・ヌプ・ウン・ナイ」(川尻に原野のある川)に由来すると言われている「オヌプナイ」に、秋田県から小作人・泉波為治氏が入植(開拓)したのが1900年(明治33年)ごろのこと。この時期には「土地は無償貸付、開墾に成功すればそのまま土地取得」という「国有未開地処分法」の成立もあり、故郷にいても家業を継げない次男・三男は新天地を求め、手つかずの原野へ次々と入植したという。

 さらに、天塩川沿いには美深~天塩港間の定期航路(長門丸)が開設され、「天塩材」とも呼ばれるブランド木材は内陸部で伐り出され、河口の港から大型の船で小樽港に出荷されていった。泉波氏は開拓のかたわらで官設の駅逓を誘致したり、自ら渡船や郵便局を運営するなど、雄信内を「天塩川中流の交通の要衝」として発展させていく(天塩町史、新編天塩町史より)。

 1925年(大正14年)、天塩川を挟んだ対岸に鉄道が開通、いまの宗谷本線 雄信内駅が開設された。この時点で両岸の往来は「夏場は渡船、冬場は氷橋(凍った川を木材や氷で固定)であったが、5年後に橋が完成したあたりから、エリア全体が急激に発展していったという。

 天塩川を挟んで南岸の幹線道路(現在の国道40号)沿いが「天塩町雄信内(おのぶない)」「天塩町オヌプナイ」、北岸は貨物扱いのある雄信内(おのっぷない)駅を中心にした「幌延町雄興」。前者は「旧市街」、後者は「新市街」と呼ばれ、学校も「幌延町立雄信内小学校」「天塩町立啓徳小学校」と別々。川幅が200mもある天塩川を境に「ふたつの雄信内」があったと言っていいだろう。

 双方の市街地の関係性と、立派な駅舎の存在がのちに雄信内駅廃止の遠因になるとは、まだ誰も知る由がない。

天塩川を挟んだ「ふたつの雄信内」。秘境駅の存続に双方が出した答え

かつて住宅や商店があった通りも、自然に還っている
雄信内駅駅舎

 第二次世界大戦後には、鉄道が担ってきた木材・生活物資などの輸送がトラックに移り、雄信内駅は1982年(昭和57年)に貨物扱を廃止せざるを得なかった。また、河川交通の要衝であるがゆえに定住した船大工や、近隣の農機具修理を足掛かりに「福島式プラウ」(土を耕す農具)を全国に売り出した鉄工所など、雄信内で息づいてきた産業も途絶えていく。

 複数の旅館があったという交通の要衝・雄信内は通過点となり、かつて1日100人以上に利用されてきた雄信内駅の利用者も、平成初期には1日10人、平成末期には1日ゼロ人に。2019年にはほかの秘境駅とともに「自治体の維持管理・費用負担か駅廃止」の選択を迫られる事態となった。

 この時点で、雄信内駅をはじめとする幌延町側はほぼゴーストタウン化し、対岸の天塩町側には集落がある。幌延町は天塩町に費用分担を相談したものの、「誰も使用していないから雄信内駅は廃止してよい」との回答が返ってきたという(2019年・幌延町「まちづくり常任委員会」より)。自治体境を挟んだ「ふたつの雄信内」のうち、人が住む方の街は隣町、かつ協力が得られない……となると、存続はかなり難しい。

雄信内駅・南幌延駅を存続した場合にかかる修繕費用(幌延町Webサイトより)
南幌延駅も廃止となる

 それでも幌延町は町内の秘境駅を観光資源ととらえ、集客イベントを開催しながら下沼駅・南幌延駅・雄信内駅・糠南駅・問寒別駅の存続を図っていく。しかし町からの支出は合わせて年間500万円程度と重く、さらにJR北海道から「存続の場合は雄信内駅の駅舎修理費用に300万円、南幌延駅の板張ホーム損傷の修理に450万円」という追加負担を求められてしまい、この2駅の存続断念にいたった。

北の秘境駅・存続を阻む「大小ふたつのハードル」。今後も駅廃止は続く?

幌延町のふるさと納税(幌延町Webサイトより)

 幌延町はふるさと納税の用途に「あなたが守る秘境駅プロジェクト」を掲げ、2021年に町内の上幌延駅・安牛駅が廃止となった際にも、「国鉄型木造駅舎の希少性」を理由に雄信内駅を残してきた。しかし、立派な駅舎があるがゆえに修繕費用がかさみ、ほかの町より秘境駅存続に熱心だった幌延町ですら、存続断念の決断を余儀なくされたのだ。

 自治体や地元が秘境駅の存続に熱心でも、維持費という1年ごとのハードルや、不定期で来る駅舎修繕などの巨大なハードルを越えられずに、廃止にいたるケースが相次いでいる。これからも「大小ふたつのハードル」を乗り越えられなくなったJR北海道の秘境駅廃止は、今後も続くだろう。

 鉄道ファンにとってできることは「行けるうちに行っておく、グッズなどがあれば買っておく」「なるべく現地泊で食事、ほかの観光地も回る」「アンケート用紙の設置があったら秘境駅を見に来きたこと、宿泊することを書き入れる」など……。存続への特効薬はないものの、マナーを守りつつ心ゆくまで佇まいを楽しみ、楽しんだ対価を地道に落としていくのがよい。