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目黒線だけ特別扱いのワケは? 渋沢栄一の掲げた理想から100年。目黒蒲田電鉄から始まった東急の歩みが企画列車になって運行中!

2022年4月10日 実施

田園調布駅の駅前広場で、「東急グループ100周年トレイン」の出発式が行なわれた。

 東急グループは、9月2日に創立100周年を迎える。そこで東急電鉄では、企画列車「東急グループ100周年トレイン」を運行する運びとなった。4月10日に田園調布駅で、第1陣となる目黒線での運行が始まったところだ。なお、東急グループではWebサイトでも100周年記念企画「東急グループのあゆみ」を公開している。

出発式の模様

 本稿ではまず、田園調布駅の駅前広場で行なわれた出発式の模様からお届けする。

 最初に登壇した東急グループ代表の野本弘文氏は、「100周年に合わせて、さまざまなイベントを企画しているところです。今日の出発式が第1弾となります。これからも、東急グループは皆さまと一緒になって頑張ってまいりたい。皆さまに愛顧される企業として、この先の100年も続けてまいりたいと思います」と述べた。

 地元を代表して田園調布会の佐々木氏によるスピーチが予定されていたが、事情により代読となった。「渋沢栄一翁が手掛けたさまざまな事業のうち、自然環境の保全を意識した事業が、この田園調布の街作りです。渋沢栄一翁が1869年にフランスのパリの凱旋門を訪れました。そこには、美しい放射状の道と、緑豊かな街路樹がありました。そのすべてが、田園調布によみがえり、100年後の今も息づいています」

 渋沢栄一氏が、1916年に理想的な住宅地を構想、それを実現するために1918年に設立したのが「田園都市株式会社」だ。これが後の東急グループにつながる。

東急グループ代表 東急株式会社 代表取締役会長 野本弘文氏
田園調布会の佐々木氏のスピーチは代読に
野本会長から、「沿線の未来を担っていただく皆さんに」という趣旨のもと、地元の姉弟に記念切符を贈呈
続いて、「のるるん」も交えての記念撮影となった
締めくくりに、テープカットを行なった。左から、田園調布駅 駅長 木下哲氏、東急電鉄株式会社 取締役社長 渡邊功氏、東急株式会社 代表取締役社長 髙橋和夫社長、同 代表取締役会長 野本弘文氏、田園調布会 会長 奥野眞弘氏、田園調布商店街振興組合 理事長 橋本氏

 一連のセレモニーに続いて、「東急グループ100周年トレイン」が目黒線上りホームに横浜方から入線した。当該列車は臨時運行で、田園調布の地元を代表する約30名が乗車したうえで、田園調布駅長の合図で出発、目黒駅に向かった。

木下駅長の出発合図を受けて、発車。なお、行先表示は「臨時」(英語表記はEXTRA)であった
走り去る列車を見送る木下駅長

東急100周年トレインの概要

「東急グループ100周年トレイン」は、以下の各線で運行する。カッコ内の運行開始日の順に並べている。

目黒線: 3020系(4月10日)
池上線: 7000系(4月13日)
田園都市線: 2020系(4月17日)
世田谷線: 300系(4月20日)
東横線: 5050系(4月25日)
東急多摩川線: 7000系(4月27日)
大井町線: 9000系(4月29日)

 このうち、目黒線、田園都市線、東横線、大井町線では、車体外装のラッピングも実施する。車内については、窓上に東急グループの歴史に関するポスター掲示を実施するが、これには以下の3種類がある。

・TOKYU百年絵巻(事業の歴史を紹介するポスター)[全路線]
・TOKYU TRAIN HISTORY(車両の歴史を紹介するポスター)[全路線]
・田園調布の100年(事業の歴史を紹介するポスター)[目黒線のみ]

 つまり、外装ラッピングと3種類のポスター、すべての企画をフルセットで実施するのは目黒線だけだ。東横線、田園都市線、大井町線は、外装ラッピングと車内の「TOKYU百年絵巻」「TOKYU TRAIN HISTORY」、そのほかの各線は車内の「TOKYU百年絵巻」「TOKYU TRAIN HISTORY」のみとなる。

目黒線で運行する「東急グループ100周年記念トレイン」全景。目黒線では最新鋭の3020系で、そのうち第1編成が対象に選ばれた
先頭部には東急グループ100周年ロゴマークをあしらったヘッドマーク
報道公開時、運行番号表示は100周年に合わせて「100」となっていた
側扉の左右にも、100周年ロゴマークをあしらっている。ラッピングは、駅で見たときに可動式ホーム柵に隠れない上半分に施した
車内全景。吊り広告も100周年記念仕様である
側扉にも100周年記念のステッカーが掲出された
「TOKYU百年絵巻」は、左右の「肩」の部分にある広告枠のうち、日吉方に向かう列車の進行方向に向かって左側に掲出されている。扉間だけでなく、一部の側扉の上部にもあるので見逃さないように
「TOKYU TRAIN HISTORY」は、左右の「肩」の部分にある広告枠のうち、日吉方に向かう列車の進行方向に向かって右側に掲出されている。掲出する枠の数が先に決まっていたため、どの形式を選ぶかで、社内ではだいぶ議論があったという
「田園調布の100年」は、目黒線の100周年トレインにだけ掲出される特別企画。中身は乗ってみてのお楽しみだ

 さて、東急電鉄の主力路線というと、東横線と田園都市線がツートップ、というのが一般的な認識であろう。ではどうして、記念企画のフルセットを施す対象となったのが、東横線でも田園都市線でもなく、目黒線の車両なのか。

東急グループの始祖は目黒線にあり

 東急グループのWebサイトにある「東急グループのあゆみ」をご覧いただくとお分かりのように、東急グループの源流は、先にも名前が出てきた「田園都市株式会社」である。そこから、鉄道事業を営む子会社として1922年に分離・設立されたのが、「目黒蒲田電鉄株式会社」だ。

 今は大改良工事と路線網の再編成によって「目黒線」と「東急多摩川線」に分断されているが、その前は「目蒲線」として目黒~田園調布~蒲田を結んでいた。その「目蒲線」が、名前でお分かりのように、もとの目黒蒲田電鉄である。まず1923年3月11日に目黒~沼部間、続いて同11月1日に沼部~蒲田間が開業した。

「田園都市株式会社」の事業において興味深いのは、まず理想的な住宅地の開発があり、そこで鉄道事業を「都心と住宅地を結ぶ足」と位置付けたところではないだろうか。鉄道が先にあって、あとから利用増のために宅地開発を始めたのではない。そして、当初に開発の対象としたエリアが、多摩川台(現在の田園調布)と大岡山、そして洗足であったのだ。

 こうした歴史的経緯から、目黒線こそが東急電鉄の始祖となった路線といえる。そこで、目黒線の100周年記念トレインに限り、ポスター展示「田園調布の100年」が加わることになった。

地上時代の田園調布駅で使われていた駅舎。地下化工事の際に一旦解体されたが、工事完了後に復元された(ただし駅舎としては使われておらず、駅前広場に抜ける通路がこのなかを通っている)。地元から、旧駅舎の復元について強い要望があったことと、東急自身にとっても歴史的な意味があることから、復元が決まった経緯がある。なお、開業当初は「調布駅」で、1926年に「田園調布」に改称した

 詳しい歴史について解説するのは本稿の目的ではないので、これ以上の詳細は割愛する。しかし、東急グループが手掛けた主な事業に関する流れは、100周年記念トレインの「TOKYU百年絵巻」で見ることができる。もちろん、鉄道好きにとっては「TOKYU TRAIN HISTORY」の方も見逃せないはずだ。筆者ぐらいの年齢層にとって懐かしい車両が、いろいろ登場している。

現車の取材中に、横に西武6000系が入ってきた。東急と西武が地下鉄を介して相互乗り入れを行ない、両社の車両が並ぶようになったのも、1つの歴史的出来事。100年もあると、いろいろなことが起きるものだ