旅レポ

タイの日本製SL撮影とブルートレインの旅

プミポン国王誕生記念SL列車で、日本車輌製造と川崎車輛のSLが重連

プミポン国王誕生記念SL列車:2015年12月5日 運行

プミポン国王の誕生日12月5日に運行された日本製SL(蒸気機関車)けん引による記念列車

 日本から飛行機で約7時間半、12月のタイ・バンコクに到着した。汗ばむ暑さを感じるものの、空気が乾いていて過ごしやすいこの時期、タイではヒマワリが開花する。内陸部に位置するロッブリー県では、一面に広がるヒマワリ畑を観光資源にしようと、観光客の呼び込みが盛んだ。例年この時期になると、バンコク駅から鉄道沿線のヒマワリ畑へ向けた観光列車が運行される。

 実は今回「ヒマワリ列車」を撮影するのが目的の1つだった。しかし、干ばつの影響でヒマワリの生育が遅れているそうで、今シーズンはヒマワリ列車の運行は予定されていないとのこと。日本で掴みにくい情報であり、期待外れでヘコんだままバンコク駅に到着すると、何やら駅構内が華やいでいた。

 ホームには美しく塗装された王室専用車両が横付けされ、スポットライトによりライトアップされている。日本で言えば皇室専用の「お召し列車」が展示されているようなものだ。駅にやって来たタイの人々も記念写真撮影に興じている。ドーム状の広いコンコースには仮設のステージが組まれている最中だ。タイに到着した翌日、12月5日が国王陛下の誕生日だったのだ。

美しくライトアップされたバンコク駅。ファランポーン駅と称されるが、正式には「クルンテープ」が正しい
カマボコ状のドーム屋根が特徴的なバンコク駅のホーム
ホームには王室専用車両(0343左)と、製造50年を祝して昔の塗装になったディーゼル機関車(0343右)が展示された
プミポン国王の88歳の誕生日を祝う装飾がホームにも設置されていた。プミポン国王は1946年に国王に即位。2016年には70年目を迎える。

 タイ鉄道(State Railway of Thailand=SRT)では、鉄道記念日(3月23日)、シリキット王妃誕生日(8月12日)、チュラロンコーン大王(ラーマ5世)誕生記念日(10月23日)、プミポン国王誕生日(12月5日)の年4回、SL(蒸気機関車)けん引による記念列車が運行される。偶然にも明日はSLけん引による記念列車が走る日なのだ。これは丁度よかった。ヒマワリ列車の撮影は叶わなかったが、「渡りに船」とばかりに撮影をSLに切り替えることにした。

国王誕生日の記念列車に活躍する日本製蒸気機関車

 翌朝7時にバンコク駅に着くと、ホームにはすでにSLの姿があった。バンコク駅はファランポーン駅と呼ばれることが多い。これはバンコクのファランポーンという地名の場所にあるためで、いわば“俗称”のようなもの。バンコクの長い正式名称「クルンテープ マハーナコーン……」の最初の部分をとって、「クルンテープ」というのが正しい。タイ語ではそのように表記されているが、今回は単に「バンコク駅」と表記することにした。

 バンコク駅を7時30分に出発する記念列車。先頭に立つ2両のSLは日本製。太平洋戦争直後に日本から輸出された機関車で、現役を引退した後も動態保存され、今も大切に使用されている。タイでは運行可能な日本製のSLを現在5両保有している。近年多くの鉄道車両が日本からインドネシアやミャンマーへ譲渡され、海を越えたアジア各国で活躍している。タイではそのはるか昔に日本から送られたSLが、鉄道マンたちの手によって整備され、今も記念列車の先頭に立つ姿は感慨深いものがある。

 本日列車の先頭に立つのは“パシフィック”と呼ばれるタイプ。この呼称は機関車の車輪配置をタイプ別に表したものだ。先輪2軸、動輪3軸、従輪1軸の配置をパシフィックと呼ぶ。日本の磐越西線「ばんえつ物語」や山口線「やまぐち号」で運行されるC57形もパシフィックである。機関車の番号は824と850の2両。824は1949年「日本車輌製造」、850は1950年「川崎車輛」でそれぞれ製造された。運行では2両を背中合わせで連結する。これは折り返し駅で機関車の方向を反転する手間を省くためである。

出発を待つ記念列車。煙ものぼり準備万端の様子だ
チャチューンサオ駅へ向かう列車は824号が先頭。1949年日本車輌製造の機関車
「デフレクター」と呼ばれる、機関車の先頭両側にあるパーツには車両メーカーのプレートが掲げられている。最初から海外向けに製造されたSLのためプレートもアルファベット表記。川崎車輛(現在の川崎重工業)製のもの
日本車輌製造のプレート。こちらも海外向けのアルファベット表記

将来的に変化が予想されるバンコク駅を背景に撮影

 例年であれば記念列車は、バンコクから北へ約76kmの古都アユタヤまで運行される場合が多いが、2015年はバンコクから東へ約61kmに東に位置するチャチューンサオまでの運行という。チャチューンサオは、バンコクの空の玄関であるスワンナプーム国際空港が近い。

 個人的なコダワリだが、SLを撮影する場合はなるべく煙をモクモクと吐き出した姿を撮るのがよい。SLを撮る人の一部は、峠へ向かう勾配の急な場所で列車を迎え撃つ。登り坂道を走るSLは盛大に煙を吐き出すからだ。しかしタイの場合は、ほとんどが勾配のない平坦な区間で運行され、しかも暑いので煙は期待できない。

 撮影場所を検討した結果、とりあえずバンコク駅を出発するシーンを撮影することに決めた。現在タイ鉄道はバンコク近郊の線路を高架にする工事を行なっている。バンコク駅から北へ7.4kmにバンスー駅があるが、地下鉄と接続するバンスー駅が、将来ではメインターミナルになるかも知れない。これを受けて、バンスー駅からバンコク駅の区間も何らかの変化が生じる可能性がある。メインターミナルとして機能するバンコク駅から、年4回のSLが出発するシーンを、今のうちに記録しておこうと思った。

 ちょうど、駅構内の北端にラーマ1世通りの跨線橋があり、安全に撮影できそうだった。発車の5分前に現地へ到着すると、跨線橋の上には数人のタイ人がカメラを構えていた。写真愛好家という感じで、いわゆる“撮り鉄”ではなさそうだが、同じことを考えているものだと思うと親近感が湧いてきた。挨拶すると笑顔で快く仲間に入れてくれた。

バンコク駅を出発する記念列車。2両のSLが客車10両を牽いて運行された
行き止まりのバンコク駅へ出入りする線路は容量がパンク寸前で、臨時の記念列車は合間を縫うように出発していった
撮影を終えて通りかかったタイ鉄道本社前もお祝いのムードで華やいでいた。
記念列車が出発した後、駅コンコースでは祝賀行事が開催された。カフェになっている2階部分から見物した。

折り返し駅でSLと一緒にまったり過ごす

 せっかくの記念運行列車、できれば乗車もしたかったが、切符は完売という。とりあえず、バンコク駅に戻り、次の列車でチャチューンサオへ向かった。バンコクから約1時間、お昼前にチャチューンサオ駅に到着。先に到着しているSL列車の前では、機関車を背に記念写真を撮る人の姿が途切れない。機関車の前部に登っても咎められることはなく、小さな子供たちが並んで、カメラに向かってポーズを決めているシーンが微笑ましい。機関車の運行席をのぞいていたら「入っていいよ」と許可をいただいた。ホームから機関車によじ登ると、運行席にはマリーゴールドやジャスミンなどの花々で編んだ飾りが下げられていた。タイの人々の精神の拠り所を垣間見たような気がした。

機関車の正面に取り付けられた花の飾りがいかにもタイらしい。
招かれてよじ登った運行室にも、花々で編んだ装飾が提げられていた。
折り返しまでの間にも、点検・整備が行われていた
機関車の動輪には日本式の刻印が見られる
運行には大量の水が必要なSL。ホームを挟んで横付けされたタンク車から給水されていた

 タイ鉄道には改札のシステムがなく、誰でも自由にホームに入ることができるのが嬉しい。駅に集まった人々が、機関車を囲むように腰掛けてのんびり時間を過ごしているのがいい雰囲気だ。あくせく撮影するのをやめて、16時半の折り返し時刻まで、まったりした時間を楽しむことにした。

チャチューンサオ駅構内の片隅に置かれた車両はもとキハ58形。やはりJRから譲渡されたが、活躍を終え工事列車として再利用される
折り返しのため、機関車を客車の前後に付け替える作業が行なわれる。絶好の撮影チャンスだ
ロケハンしておいたクローン・ケーン・クラン駅で下車し帰路の列車を撮影。通過時刻は17時少し前だったが、空が暗くなってきた。列車通過後、滝のようなスコールに見舞われた

日本から消えたブルートレインの旅情を求めて

バンコク発チェンマイ行き特急13列車。この日は後ろ4両が日本製の14系・24系客車を使用したいわゆる「JRトレイン」だった

 カマボコ状のドーム屋根が特徴的なバンコク駅で、1本の夜行列車が発車を待っている。バンコクから北へ751km離れた古都チェンマイへ向かう「特急第13列車」だ。10両編成のうち、後ろから4両は見覚えのある姿をしている。それもそのはず、日本のJRから譲渡された14系と24系寝台車、通称“ブルートレイン”なのだ。

 2015年8月23日、上野駅~札幌駅を結んだ寝台特急「北斗星」が運行を終了した。2016年3月には急行「はまなす」も運行を終了し、日本からはブルートレインの通称で親しまれ、国鉄時代から受け継がれてきた「青い塗装の夜行列車」の定期運用がいよいよ絶滅することになる。紫色の濃淡で塗り分けた出で立ちこそタイらしいが、日本で引退したブルートレインの客車たちが、今もタイで活躍している。夜行列車が醸し出す独特な旅情を、タイの地で味わうことにしよう。

出発前のひととき、窓から見える車内の様子は上野駅などで見た光景と変わらない
バンコク駅に住み着いているのか、人懐っこくすり寄ってきたネコ
乗車した11号車の行き先表示。英文字でBANGKOKと表記されるが、タイ文字ではクルンテープと書かれている
3番ホームで出発を待つ。先頭に立つディーゼル機関車も日本の日立製だ

切符購入のキーワードは“JR”

 日本のブルートレイン車輌が運用されているのは、バンコクとチェンマイを結ぶ特急13列車(下り)と14列車(上り)。乗車する列車はバンコク発の下り13列車と決めた。しかし、切符を買う段階になって少し迷った。13列車にブルートレインの車両が連結されているのには間違いないが、全部の車両ではない。10両ほどある編成の半分は韓国製なのだ。間違って韓国製の車両に乗ることになれば、乗る意味が半減する。これをどう説明すればよいのか……。迷いながらも、バンコク駅の外国人専用窓口に並び、日付と行き先、列車番号、エアコン付きの2等寝台という希望を告げた。問題はこの後で、ブルートレインをどう説明するかだ。

 そこで、とりあえず「私は日本から来たのですが」と話はじめたところ、窓口の女性職員が「JRトレインに乗りたいのね!」と言ってニコッと笑ってくれた。「なぁんだ、JRトレインと言うのか」と安堵の気持ちになったが、次に返ってきたのは「満席ですね」の残念な返事。何でもJRトレインは人気が高いそうで「ほかの寝台なら空いている」という。「ほか」ではしょうがないので固辞すると、「明日12時に来てみてください」とのこと。

 翌日、指定された時刻より少し早めの11時半に再び窓口へ行くと、昨日の女性はおらず、別の女性が応対してくれた。さっそく「JRトレイン」でリクエストするも「満席です」の一点張り。なんだか昨日と様子が違う。そういえば昨日の女性は「12時」を強調していたことを思い出した。今度は12時丁度に別の窓口で「JRトレイン」をリクエストした。すると、すんなりと「あります」の返事。やはり指定時刻の「12時」には意味があったようだ。こうしてブルートレインのチケットを無事にゲットできた。

ようやく入手したチケット「CLASS COACH TYPE」の覧にはJRの文字が見える。バンコク~チェンマイ間の751kmを寝台下段利用で881バーツ(約2940円)という値段

 14系・24系寝台車をリクエストする際には「JRトレイン」を、もし空席がない場合にはお昼「12時」に窓口へ並ぶことを試していただきたい。ただし、これで切符が取れるのは、キャンセルが発生した場合のみ。必ず入手できるとは限らないのでご注意いただきたい。

日本の時間も乗せたブルートレインは北を目指す

 ようやく入手した切符を確認し列車に乗り込むと、何ともいえない懐かしい雰囲気に包まれた。カーテンや座席のモケットなど一部改装しているが、車内はほとんど日本時代のままだ。車両番号を見るとA.N.S205という番号を確認。記号頭の「A.N.S」は冷房二等寝台車の意味で、JR時代は「スハネフ15 17」という番号だったようだ。1977年に富士重工業で製造され、晩年は京都駅~長崎駅を結んだ寝台特急「あかつき」で使用された。2008年2月に廃車され、タイへ譲渡されている。

 列車の最後尾車両はA.N.F101(一等冷房寝台車)で、これは寝台特急「あさかぜ」や「瀬戸」のA寝台個室で使用された「オロネ25 302」という番号だった。どちらのタイプも以前、日本のブルートレインでお世話になったので、懐かしさがこみ上げてくる。車内各所のパーツなどに“日本”を探していると、列車がゆっくりと出発。すぐに食堂車の従業員が夕食の注文をとりにきた。せっかくなので、お願いすると席まで届けてくれるとのこと。至れり尽くせりのサービスではないか。ただ、残念なことにタイ鉄道では飲酒が禁止されている。夜行列車での一献が叶わないのは寂しいところだ。また、車内はエアコンが効きすぎて寒く感じる。エアコンの機器をタイ製の強力な装置に換装しているという。乗車する場合は長袖の上着を1枚用意したほうがよさそうだ。

発車後すぐに、係員が寝台をセットしてくれた。日本と違い、シートの上にマットレスを敷いてくれる。
上段、下段の表記。
注文した夕食が席に届けられた。春雨のサラダ(ヤムウンセン)とライスを注文。
寝台のカーテンは厚手のものに取り替えられた。金色の布地がタイらしい。

 車内を見回すと、タイ人の家族や欧米人の旅行者など、思い思いに寛いでいる。日本を離れ第二の人生を歩む「ブルートレイン」が、こうして様々な国の旅行者に利用されていることが何だか嬉しい。夕食を終えて横になると、ベッドの下から車輪の響きが耳に届いてきた。程よいスピードで走る「ブルートレイン」改め「JRトレイン」の乗り心地はわるくない。夜行列車には高速列車にはない長距離列車の優雅さがある。目を閉じると幾度もの旅の記憶がよみがえってくる。時間と空間を超えてた旅は、深夜へと続いた。

乗務員が取り扱う配電盤の表示灯。下に飲酒禁止のステッカー
連結部分に残る、往年の「あかつき」などの列車名が入っていたテールマークの表示器は中身がなく無表示
ドアの取手に「ひく」の文字。
車両番号A.N.S205はもとスハネフ15 17
通路の折りたたみイスも健在
出入り口扉の「自動ドア」の文字もそのまま
シンクは交換してあるようだが、面影が残る
車体に取り付けられた銘板には昭和52年の文字

朝陽を浴びて輝く姿にブルートレインを見た

 翌朝目が覚めると時計は6時を過ぎていた。ベッドから抜け出して通路に出ると、タイ人のご家族が下車準備をしているところだった。ほどなくして列車はナコーンランパーン駅に到着。ここでご家族が下車していった。この時期、朝晩は冷え込むのか、それともオシャレのためか、マフラーやコートをしっかりと身につけているのが印象的だ。

 ナコーンランパーン駅を出ると、タイ鉄道で最も標高の高いクンターン駅へ向けて峠越えが始まる。走り始めて間もなく、食堂車から朝食の案内があり、食堂車へ移動。タイきっての山越えのシーンを食堂車の車窓から眺めようと思ったからだ。

 タイ鉄道の食堂車は非冷房車両が多い。この列車の食堂車も非冷房車両だった。非冷房ということは窓を開けることができる。窓側の席に座って車窓から外を見ると、後方に4両の“JRトレイン”が連なっていた。折しも山越えの区間に入り、列車は右に左に大きくカーブを繰り返す。やがて山間から顔を出した太陽が列車を照らした時、車体側面が黄金色に染まり、タイで塗られた紫色の塗装を打ち消していた。朝陽に輝く車体は、特徴的な窓枠と白帯のみが浮かび上がる……。それはかつて、山口県内を走る山陽本線の車内で見た、朝陽に輝く往年のブルートレインの姿そのものだった。

 定刻から5分ほど遅れた8時45分、特急第13列車はチェンマイ駅にゆっくりと滑り込み13時間あまりの旅を終えた。到着した列車はホームで待ち構えていた掃除スタッフの手により洗浄作業が行われる。水で洗われ、輝きを増した車体を見て、いつまでも大切に使われて欲しいと願いながら改札口へ向かった。

もとJRのA個室寝台車(オロネ25 302)の通路。往年のブルートレインを彷彿とさせる夜明けの光景に出会うことができた
ランパーン駅を出ると次第に夜が明けてきた
編成の中ほどに連結された食堂車に朝食を食べにいったところ、食堂車は非冷房で窓から列車の姿が撮影できた
朝陽に輝く寝台車の光景に、山陽本線で昔撮影した「さくら」や「富士」など往年のブルートレインの姿がダブって見えた
チェンマイに到着後、待ち受ける清掃スタッフの手により水洗いされた。大切に使われているようで、嬉しくなった

タイ最高地点クンターン駅付近で走行シーンを撮影

 翌朝、タイで最も標高が高いクンターン駅(標高578m)付近で、特急第13列車の走行シーンを撮影することにした。クンターン駅はタイ鉄道で最長のクンターントンネル(全長1352m)のチェンマイ側出口に位置している。バンコクからやって来る朝の長距離列車を撮影するためには、クンターン駅の周辺で宿泊することが望ましい。しかし、山深い場所ゆえ「泊まる場所があるだろうか?」と思い調べてみると、幸いにも駅から1.5kmほど山を登った場所にクンターン・ナショナルパークがあることが分かった。直接訪ねてみたところコテージが空いており、思いのほか安く宿泊することができた。

 特急第13列車のクンターン駅の出発時間は7時37分。冬至も近いこの時期、山あいの線路に陽が差すまでに至らなかったが、線路近くの斜面から列車の通過を撮影できた。車両編成は乗車した前日とは違い、食堂車を挟んで前方4両、後方2両の計6両が連結され、朝の清々しい空気のなかを、ブルートレインは颯爽と通過していった。

チェンマイに到着した翌朝、バンコクよりに戻ったクンターン駅の付近で走行写真を撮影した。クンターン駅はタイで最も標高が高い駅だ

【お詫びと訂正】記事初出時、A.N.Sの記述とバンコク駅の説明で誤りがありました。お詫びして訂正させていただきます。

米屋こうじ