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東急・相鉄の新駅ができる「新横浜」ってどんなとこ? 「白鷺が舞う田園」が一大ビジネス街になったわけ

2023年3月18日 開業

新横浜駅の駅ビル「キュービックプラザ新横浜」

知っていますか? 新横浜駅じゃなくて「新横浜の街」

 3月18日、東急・相鉄新横浜線が開業。「新横浜」に6社1局・14路線の直通列車が乗り入れます。そう聞いて思い浮かべるのは、新しい駅でしょうか、それとも新横浜という“街”でしょうか?

 新横浜駅と言えば、東海道新幹線・JR横浜線・横浜市営地下鉄ブルーラインが乗り入れ、1日十数万人が行き交う一大ターミナルです。しかし駅を出ると人が働き暮らす街があり、駅を北側(JR北口)、南側(篠原口)どちらに出るかによって、街の印象は劇的に変わってきます。

 筆者はかつて単身赴任のサラリーマンとして、8年間をこの街で過ごしました。新しい鉄道で街が変わろうとしている今、改めて街を巡り、その歴史を地元の方に伺いつつ、「新横浜って、どんなとこ?」という問いの答えを探してみたいと思います。

ランチのお弁当が入手困難! 駅の北側は6万人が集う「ビジネス街」

開業を控えた「新横浜駅」。東急・相鉄の境界駅となる

 JR新横浜駅の北側(新幹線北口)エリアは、一言で表わすと「典型的なビジネス街」。おおよそ1~2kmの狭いエリアに通勤する人々は6万人弱、定住人口は新横浜1~3丁目の合計で1.2万人ほど。ここは圧倒的に「他所から仕事で来る街」なのです。

 新横浜は賃貸・分譲ともにお手頃な物件が少なく、これまで「新横浜通いを前提とした家探し」はJR横浜線・地下鉄(ブルーライン)沿いか、新幹線通勤を想定せざるを得ませんでした(なお筆者の場合は、地下鉄で2駅先の港北区新羽にアパートを借りていました)。今回の新しい鉄道開通で、住むエリアの選択肢は、お値段もお手頃な相鉄エリアに一気に広がったと言えるでしょう。

 そしてこのエリアは、土地のほとんどがオフィスビル・雑居ビルで埋め尽くされています。本社を置く企業も「マクニカホールディングス」(半導体・AI)、「ユニプレス」(自動車)といった一般になじみの少ない大手企業から、「ココカラファイン」「クラシアン」まで、各業界のオールスターが勢揃い。

 また筆者の勤め先のように、都内に進出できない企業が妥協?で拠点を置く場合もあり、平成初期に大阪から進出を果たした際には、記念式典で創業者が「ついに関東進出……ここは東京まで新幹線で10分ちょっと……つまり、我が社は東京進出を果たしたのです!」と涙ながらに絶叫し、来賓の大手商社役員がお茶を噴き出して中座、という事件も起きたと伝えられています。

平日昼間にはパラソルや簡易テーブルを使った弁当屋台が多く出る

 ただビジネス街としての悩みは「食事の確保」。駅を離れるほど飲食店は少ないためか、コンビニより弁当の品揃えが豊富な「まいばすけっと」「リコス」などの小型スーパーが2km圏内に10店ほど集中。かつ平日昼間には、屋外で営業するお弁当屋さんのパラソルが「アリーナ通り」に何本も立ち、争奪戦が日々熾烈に繰り広げられるのです。

 そして新横浜駅の北側は、「日産スタジアム」「横浜アリーナ」に向かう数万人のファンの人波で歩きづらくなることも。特に2017年8月、日産がMr.children、アリーナが星野源さん(しかも「恋」大ヒット直後)のライブが同日開催、約8万人が一挙に押し寄せたときの人出たるやもう……。

 またサッカーの試合開催時にはサポーターが街中にあふれ、スタジアムに行かなくてもサッカーの試合の空気感を味わうことが可能。コロナ前は街中で「♪アレ・アレ・ヒロシマ~」「♪ア・イ・シ・テ・ル・ニイガッタ!」「♪は~せがわアーリアジャスール~」などと、チャント(応援歌)を歌いながら歩く人々を見かけたものです。

鶴見川のほとりは親水公園になっている

 それではその反対側、南側の「篠原口」の様子を見てみましょう。

数年前までは「駅前キャベツ畑」があった! 新横浜駅の南側(篠原口)

新横浜駅篠原口。後ろに見えるのが北口側の駅ビル「キュービックプラザ新横浜」
篠原八幡神社。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」最終回のロケが行なわれた場所

 6万人のビジネスマンが集う駅北側に対して、南側の「篠原口」にあまり人影は見当たらず、背後の小高い山に広がる住宅街から歩いてくる人を見かけるくらい。駅の出口も大変にコンパクトです。

 しかしこの一帯はかつてはキャベツ畑が広がり、2002年のサッカー・ワールドカップ開催までは、路上で子供がキャッチボールできるほどのどかだったと言います。

 またこのエリアは建物の高さ制限もあり、駅前には5階建てのビルとコンビニがあるくらい。鉄道用地に張り付いた裏路地には一杯飲み屋街「新横濱あじわい横丁」(旧・オゾン横丁)があり、お洒落な飲み屋ばかりの駅北側から、わざわざ訪れるサラリーマンの溜まり場になっています。

 なおこのご近所には俳優・大和田伸也さん、五大路子さんご夫妻の劇団の拠点があり、大和田さんを横丁でお見かけしたことも。この近くには、お2人の近況を知らせる掲示板(数年前までは「大和田伸也・五大路子掲示板」と書かれていた)も立っています。

 しかし近年は、山の中腹にあるにある「篠原八幡神社」がドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のロケ地となり、パワースポットとして若い参拝客が激増しているそうです。地元の方によると、星野源さんのライブが横浜アリーナや近郊で行なわれるたびに、ファンの方の参拝が目立つようになるのだとか。

 東海道新幹線・横浜線の「新横浜駅」が開業したのは1964(昭和39)年のこと。開業後も長らく荒地ばかりだった駅北側(新横浜駅JR北口)は、なぜここまでのビジネス街に発展できたのでしょうか。

新横浜、発展のきっかけは「クルマ社会の到来」?

環状2号線。新駅はこの地下にある

 横浜市の資料によると、いまの新横浜駅が開業する前、駅北口の一帯は「白鷺が舞い、蛍が飛び交う田園だった」そうです。

 1964年(昭和39年)に新横浜駅が開業してから、横浜市はその後の10年間で人口160万から250万へと急成長を果たします。しかし駅前は区画整備すら進まず、新幹線の停車は各駅停車の「こだま」のみ、接続する横浜線も日中1時間2・3本。横浜市の玄関口と言うにはほど遠い状態が、十数年も続いたといいます。

 その一方で環状2号線は、新幹線の開業と同時期に一部区間が開通。この街は新幹線とは関係なく、クルマ社会とともに発展をはじめます。

 まずは川崎市に多くあったモーテルが、風俗産業の規制で移転を余儀なくされ、20軒以上も新横浜駅近くに移転。そして農業をやめた地主も、税金を払うために自らの土地を整地し、倉庫や資材置き場に転用していきました。「新幹線から降りる乗客はまばらだったのに、トラックやクルマばかりが目立っていた」とは、当時を知る方のお話です。

 区画整理によって、いまの新横浜1~3丁目が誕生したのも、新幹線開業から十数年が経過した1975年のこと。その当時は不動産業者も「(東海道新幹線の駅のなかで)新横浜と岐阜羽島は煮ても焼いても食えない」と答えるなど、さまざまな問題で手を出しづらかったことが伺えます。

バブル期突入、新横浜の地価は「10倍×10倍ゲーム」!

 1985年(昭和60年)には新幹線「ひかり」の停車本数が51本に増加し、市営地下鉄が新横浜に到達。新横浜駅は開業20年にして、ようやく「横浜市の玄関口」としての体裁が整い、地価は十数年で10倍、坪平均200万まで上がってきました。そしてこのタイミングで、日本は「バブル経済」に突入していったのです。

 東京都内の土地は「狂乱地価」とも呼ばれる暴騰ののちにあっけなく奪い尽くされ、新幹線なら十数分で東京に行ける新横浜は、一転して土地争奪戦の対象に。坪平均200万だった土地は2000万近くまで暴騰し、もはや「倍倍ゲーム」ならぬ「10倍×10倍ゲーム」状態に。新横浜には真新しいオフィスビルが次々と建ち、1989年に開業した横浜アリーナではユーミン・サザンなどのライブが立て続けに開催され、ここで初めて、新横浜が初めて“街”として盛り上がりを見せたと言えるでしょう。

 ほどなくバブル崩壊で開発の波は止まったものの、1995年(平成7年)に土地利用規制が緩和され、残っていた新横浜2・3丁目(JR横浜線の西)の宅地化で、それまで数百人だった定住人口が、十数年で1万人以上に急増します。

 そして横浜市はもともと「副都心」として新横浜エリアを位置付けていたこともあり、その後も進出企業の固定資産税免除などの施策を続けました。2008年(平成20年)に新幹線全列車が停車するようになったあたりから、東京や横浜市中心部より物件がお手頃な新横浜への移転が目立つようになり、街は再び上昇気流に入ります。

 しかし最も「新横浜」という街にアイデンティティを与えたのは、やはり2002年(平成14年)のサッカー・ワールドカップ開催でしょう。

 日産スタジアム(横浜国際総合競技場)はグループHの日本vs.ロシア、決勝でドイツvs.ブラジルなど4試合の会場となり、それまでサッカーに興味がなかった人も「スタジアムの決勝、ロナウドの2ゴールすごかったねーー!」と興奮気味に話すように。

 オフィス街にはその当時作られたサッカー関連のモニュメントが至る所に残り、ある意味サッカーは「共通言語」状態。いまもサッカーの街として、サポーターを迎え入れ続けているのです。

日産スタジアム(横浜国際総合競技場)

篠原口のこれから。再開発でついにスーパーができる?

新横浜駅篠原口のまちづくり計画(画像:横浜市)

 そして最後に、東急・相鉄新横浜線の開業前に飛び込んできた篠原口の再開発(新横浜駅篠原口のまちづくり計画)について触れておきましょう。

 計画そのものは1985年から取り沙汰されていたものの、諸種問題で頓挫したままでした。しかし狭隘な周辺道路は拡張の必要があり、防災の観点から調整池が必要とされたことから、エリアを絞り込んでの再開発が実現しそうです。

 再開発の実務は東急・日鉄興和不動産が請け負い、オフィスビルやスーパー、保育園、駐輪場などか建設される予定。もちろん地下には調整池も整備され、篠原の山手に向かう道路も整備・拡張されます。

 篠原口はもともとの土地が狭く、この再開発で、篠原口に駅北側のような賑わいがもたらされることはさすがにありません。しかし実は“買い物難民”状態(前述のとおり小型スーパーしかない)の新横浜にスーパーができるとしたら……かなり暮らしやすくなるはず、と、篠原にお住まいの方の期待も大きい様子。

 新しい鉄道で変わりゆく駅の北側とともに、南側の「篠原口」のこれからにも期待したいと思います。