旅レポ
摩天楼発祥の地・シカゴを歩く(その3)
圧巻のシカゴ美術館と湖畔の歴史地区ゴールドコーストへ
2016年6月23日 00:00
シカゴの朝ごはんと近代建築についてご紹介してきましたが、最終回ではメトロポリタン、ボストンと並びアメリカ三大美術館の一つに数えられるシカゴ美術館と、あまり日本では紹介されていないミシガン湖ほとりの高級住宅街ゴールドコーストをご紹介します。
ディズニーさんが掃除していた階段も?
シカゴに来たらここを見ずには帰れない、それがシカゴ美術館です。収蔵品は30万点以上、古代ギリシャから印象派、現代美術、東洋美術など、約2000点を展示。丁寧に見ていたら3日はかかるのではないかと思われるほどでかいのです。
超定番の観光地ですが、駆け足で名作だけ見てさっさと帰る人も多いそう。しかし、世界的な名作も多く、さらには門外不出の作品もあり、せっかくシカゴまで来たら、丸一日、時間をとって、じっくり味わってほしい美術館なのです。
さっそく美術館の入り口へと向かいましょう。2匹の立派なライオンの銅像が出迎えてくれますが、有名な撮影スポットらしくたくさんの人でにぎわっています。入場すると目の前に階段がありますが、ただの階段ではありません。これはかの有名なウォルト・ディズニーさんが美大生時代、掃除をしていたこともある階段なのだとか。当時、学費免除された特待生たちは、免除のかわりに掃除や雑用をしなければならなかったそうです。
のちの「ファンタジア」というディズニー作品で、ホウキが勝手に掃除してくれるシーンが出てきますが、学生時代のディズニーさん、この広い階段の掃除がよっぽど大変で、ホウキが全部やってくれたらなあ……と、ぼやいていたのではないでしょうか。
無数の点の秘密に驚くスーラの名作
さあ、いよいよ作品を見ていきます。シカゴ美術館は敷地内にいくつかの建物がありますが、ミシガンアベニュービルの2階からスタート。16世紀、スペインで制作された傑作、エル・グレコの「聖母被昇天」や初期印象派の作品であるカイユボット「パリの通り、雨の日」を見ながら、ジョルジュ・スーラの代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のある240号室を目指します。
シカゴ美術館で一番、有名な作品とあって作品の前は人だかり。なぜかというと、この作品は門外不出のためシカゴ美術館まで来ないと見られないのです。この色彩の美しい作品は、何十色も使っているように見えて、実は8色(もしくは12色とも)しか使われていないと言われています。
絵の具は混ぜれば混ぜるほど色がわるくなるため、スーラは無数の点を重ね合わせて鮮やかな色に見えるよう、工夫をしたそう。実際に近づいてみると、気の遠くなるような点が細かく描かれています。女性の黒く見える服は赤と青の点で表現されているように見えます。
近づいたり離れてみたりして色彩を楽しんでいただきたい作品なのですが、近づきすぎると警報機が鳴ってしまうのでご注意を。
続いての作品は日本でも有名なロートレックの「ムーラン・ルージュにて」。画面右下にライトで照らされた女性の顔が不気味に青く光り、思わずギョッとしてしまいます。酒場の華やかさとは対照的に、人間の下心やあざとい部分を表現した作品ではないでしょうか。
少年時代に落馬が原因で膝から下が成長せず、女性関係が派手で最後は若くして梅毒で亡くなったロートレック。人の表と裏をじっくり見据えた一連のじわじわくる作品は、こうした波乱万丈な人生から生まれたのでしょう。作品は大好きなのですが、なんだかロートレックの短い生涯を思うと気の毒な気がします。
浮世絵を自分のものにしたゴーギャン
同じく女好きとして有名な画家、ゴーギャン。女性関係で三面記事をにぎわせてしまい、フランスの美術界からそっぽを向かれてしまった彼は、南の楽園タヒチへと向かいます。
そこで描かれたこの色鮮やかな「神の日」は、美しい女性たちのそばで横たわる人という、「明るい世界に潜む死」を暗示しているような印象を持ちました。浮世絵の画法もきっちり自分のものにしています。ゴーギャンはただの女好きではない……はずなのですが、生きている間にほとんど評価されることはありませんでした。
悲しいかな、一時、ゴーギャンと一緒に暮らしたこともあるゴッホも、死後にやっと評価された画家です。スーラの点描から影響を受けたゴッホの自画像、なにか不機嫌な顔をしています。認められない焦りや怒りをぶつけているかのような激しさに、見ているこちらもだんだん不安になってきます。
一方、ゴーギャンやゴッホとは違って生きている間に作品が評価されたモネやセザンヌは人生の勝ち組と言えるかもしれません。モネといえば「睡蓮」を思い浮かべますが、このシカゴ美術館には6点の「積み藁」の作品が展示されています。同じモチーフを季節や時間を変えて描くモネ。それを見比べられただけでも、はるばるシカゴ美術館まで来た甲斐があるというもの。
そしてこの時代に忘れてはならないのは、パブロ・ピカソ。ピカソの筆跡をまねて制作された贋作の数がギネスブックに載ってしまうほど、有名な画家です。
生前に絵が認められただけではなく、奥さん、愛人、彼女と、どの時代もモテまくった、うらやましいのか悩ましいのか分からない人生でしたが、この「老いたるギター弾き」を描いていたときのピカソは、入学したパリの美術大学からスペインに逃げ帰ったあとで、生活に困窮する芸術家の姿に共感を持って描いたとされています。
よくよく見ると老人の頭の後ろに、女性の顔が描かれた筆跡が見えますが、当時、ピカソは新しいキャンバスを買うお金がなく、描き重ねていたようです。
そのほか、たくさんのパロディ作品が作られるほどアメリカでは有名な作家ウッドの「アメリカン・ゴシック」や青いステンドグラスが美しいシャガールの「アメリカの窓」などの作品は、時間がなくとも、ぜひ見ていただきたいです。
昭和天皇も泊ったホテル「ザ・ドレイク」
美術鑑賞のあとは、“魅惑の一マイル”と呼ばれるシカゴの銀座通り「マグニフィセントマイル」をぶらぶらしながら食べ歩きや買い物を楽しみましょう。
ここでは美味しいチョコレートやポップコーンなどの店が並び、ついつい両手に抱えきれないほど買ってしまいます。このままでは観光もできないので、一度、荷物を置きにホテルに帰ることにしました。
今回、お世話になったホテルは、ミシガン湖湖畔のリンカーンパークエリアにある湖畔一望の「ザ・ドレイク」。1920年創業、昭和天皇やダイアナ妃も宿泊した格式のあるホテルです。私はたまたま、ダイアナ妃が滞在した真下の階に泊ったのですが、調度品も眺めも一級。しかし、奥行きのあるクローゼットや照明を使いこなせなくて、ネコに小判状態だったのですが。
ランチタイムはとっくに過ぎていたので、ロビー横にあるラウンジでアフタヌーンティーをいただきます。ハープの演奏が流れ、優雅な空間ですが、どのお菓子も宝石のように美しく、ついつい前のめりになって食べてしまいます。
1階のバーには、新婚旅行で宿泊したマリリン・モンローが夫のニューヨークヤンキースの大スター選手、ジョー・ディマジオとともに彫ったサインも残っています。彼とお酒を飲みながらナイフで机を削っているマリリンの姿を想像すると、なんだかほほえましいですね。
ハンサムなおじさんがやってきた
お腹がいっぱいになったら、ザ ドレイクの近所を散策してみましょう。ザ ドレイクの北、リンカーンパークエリアの公園のすぐ南側にゴールドコーストと呼ばれる地区があり、そこはシカゴっ子が憧れる高級住宅街なのだそうです。シカゴ大火のあとに建てられた歴史ある建物に今も住んでいる人がいる模様。せっかくなので、歩いてみることにしました。
案内をしてくれるのは、シカゴ市でボランティアガイドをしているトム・ノートンさん。清潔感のあるハンサムなおじさんです。もうこれだけで、これから向かうゴールドコーストは、まだ見てもないのに期待値が急上昇です。
トムさんは、仕事を辞めたあと、孫4人の面倒も見つつ、大学で学びながらガイドをしているそうで、「けっこう忙しいよ」と笑います。
アメリカでは、定年退職した人がボランティアをしていることが多いそうですが、 定年後はゴロゴロと“枯れススキ”と揶揄される日本のお父さんたち、オリンピックも近いことですし、ボランティアガイド、いかがでしょう?
墓場に建てられた高級住宅街
さて、トムさんによると、ゴールドコーストは、その昔、街の中心街からはずれており、とても寂しいところで、カトリックの大きな墓地があったそうです。
ところが、1871年、歴史的なシカゴ大火により南から燃え広がった火があっという間に北側のリンカーンパークエリアにも迫ります。しかし、湿地帯であったことから、3日間、町を焼き尽くした火はここで食い止められました。
そんな大災害の直後に(そんな時だからこそ?)、パッとお金儲けについて考える人がいるのですね。それが、ドイツ人の企業家、ポッター・ポールマンさんです。焼け出された人々の住居として、目をつけたのが広大な墓地。この墓地を所有していたのは当時のカトリック。リンカーンパークにあった小さな教会の司教さん、フィーファンさんに話を持ちかけ、墓地を買い取ります。
ええ? そんなに簡単に墓地って売ったり、買い取っちゃっていいのかしら? そもそも日本だと墓地の上に大胆に家を建てないだろうけど……と首をかしげてしまいますが、司教さんは、得たお金で自分の大きな家を建て、ポールマンさんは、儲けるために川沿いに豪華な住宅を次々と建てます。
「墓地にあった死体は掘り起こし、別の場所に移したとされているんですが、全部の死体を掘り起こしたかどうか? その後も死体が出てくることもあったそうですよ」とトムさん。今となっては企業家も司教さんにも聞くことはできませんが、本当に全部、掘り起こしたのでしょうか。なんだかミステリーです。
豪華絢爛な司教の家に驚く
とにもかくにも、かつての墓地はシカゴで一番の高級住宅街として生まれ変わります。さっそく歩いてみましょう。ザ ドレイクを西方面に歩くとベトナムフレンチの「ル・コロニアル」や地中海料理の「Fig and Olive」などの人気レストランが点在しています。
「4歳までこのあたりに住んでいたんですよ」とトムさん、もしやあなたお坊ちゃま? 道行く人たちはセレブ住人たちなのでしょうか、かわいい犬を連れて歩いていたり、カフェで優雅に午後のティータイムを楽しんでいます。
ノース・アスター通りを北上し、イースト・ゲーテ通りを越えると、かつて墓地があったあたりです。しかし、今では素敵な住宅が並ぶ明るい街で、第2回目でご紹介したフランク・ロイド・ライトが設計した家も残っています。
そして、火事を食い止めた“バーンライン”として知られているノース・アベニューの先は現在、広大な公園リンカーンパークとして市民の憩いの場になっています。
その手前にひときわ目立つ豪華な家がありますが、これはなんと例の司教さんの家。墓地を売って、よっぽど儲かったのでしょうか。次の司教さんは、「司教の家なのに豪華すぎる」と嫌って住まなかったそうです。現在は企業が利用しているとのことなので、中は見学ができません。
司教さんの家を一回りして南に引き返し、ノース・ディーン・ボーンストリートからイースト・ゲーテ通りの交差する手前にあるRH(Restoration Hardware)はトムさんおすすめの場所。5階建ての家具屋さんで、1階の中庭のカフェで頼んだ飲み物を持って店内を見て回れるそうです。なんてことのない入り口の奥はびっくりするほど、ゆったりとした空間が広がっています。
こうした店をのぞいて歩くのもシカゴの楽しみ。ゴールド・コーストエリアは治安もいいので、ぜひ訪れてみてください。
3回に渡り、シカゴの魅力をお伝えしてきましたが、これからの季節、音楽祭やイベントも増えるそう。コンパクトな街なので地下鉄やタクシーでまわることができます。今年の夏休みにシカゴ旅行、いかがでしょうか?