ニュース
航空の歴史を紐解く公文書を公開。「翔べ 日本の翼―航空発達史―」が国立公文書館でスタート
貴重な文書とともにダグラス DC-6B「City of Tokyo」号のモデルプレーンを初公開
2017年6月1日 18:07
- 2017年5月27日~7月8日 開催
東京・竹橋の国立公文書館 本館で5月27日から7月8日まで、企画展「翔べ 日本の翼―航空発達史―」を開催している。国立公文書館は、歴史的に重要な公文書を選別し保存、一般公開しており、日本のさまざまな歴史を学ぶことができる施設だ。
同企画展では、明治時代の飛行機に関する実験から大正時代、昭和にかけての航空事業発展に向けた制度の制定。そして航空機の機体の進歩や飛行場の整備などを紹介。JAL(日本航空)の協力で創業当時の資料や東京オリンピックにまつわる展示なども加わり、日本における航空発達の歴史をじっくりと学び、知ることができる。
公文書専門員の鈴木隆春氏に本企画のきっかけや見どころについて聞いてみたところ、「国立公文書館は鉄道関連の資料が多く、鉄道研究者にはよく知られている場所です。今回、航空の歴史に注目したのは、HondaJet(ホンダジェット)やMRJをはじめ、航空に着目するトピックスが多くなっているため、このタイミングで公文書からどこまで航空の歴史を紐解けるのかに挑戦をしたく企画しました。見どころとしては、ご存知の方には当たり前の話にはなってしまいますが、明治40年代に代々木練兵場で飛行機が飛ぶ以前に、実は日本人がものを作って飛ばしていた前史があることが見ていただけること。また、さまざまな民間団体が関わり航空業界が戦前に形作られるため、帝国飛行協会に関する資料でも意外な一面が知ることができます」と理由を話した。
また、公文書だからこその面白さは? との問いには、「公文書というとお堅いイメージがあるかもしれませんが、請願書などを読みますとすごい熱量が感じられるんです。一つ一つ読むことで、飛行機に関することとともに幅広く時代というものが見えてきます。ページをめくって読めば読むほど、その後の歴史との関係性や細かい事情などが分かり、奥行きがあります。ぜひたくさんの人々が日本の航空史に関わっていることを肌で感じていただけたらうれしいです」と語った。
明治から現代まで、その時代に生きる人々の航空に対する熱量を感じる公文書
「翔べ 日本の翼―航空発達史―」は主に3つのカテゴリに分類され展開されている。エントランスを抜けると第一部の「飛行機の導入」エリアが広がり、最初に目に飛び込んでくるのは、明治10年(1877年)の5月に気球を飛ばしたという資料。西南戦争時の連絡手段の1つとして考えられており、実は明治初頭から日本の航空の歴史が始まっていたことが分かる。
日本で初めて“飛行器”を考案した二宮忠八が叙勲を受けた際の文書「二宮忠八叙勲の件」も並んでいる。日本の航空史では非常に重要な役割を果たした二宮忠八は、鳥が空を飛ぶことから着想を得て、カラス型の模型で当初は実験していたとのことだ。
続いては、飛行機開発が世界で進みヨーロッパ諸国を中心に競技会が開催されたことを報告する文書「英国陸軍飛行競技に関する件」。モノクロの写真が添付されており、大正元年(1912年)に開催された競技会に関して日本海軍のイギリス駐在武官が海軍省宛に製作した報告書だ。
ヨーロッパの航空において重要人物であるモーリス・ファルマンによる飛行機や20世紀初頭のファンボローの様子が確認できる。また、当時日本でも開催されていた飛行競技会の様子などを垣間見られる記録もあり、日本での飛行機の受け入れ体制が整いつつあることが示されている。
第二部は「飛行機の発達」として、帝国飛行協会が国際航空連盟に加盟した際の資料を展示。民間団体が国際的に飛行機の研究に参加することになっていく過程が分かる。また、大正10年(1921年)に公布された「航空法」における基準や規制について議会提出用に作成された文書を見ることができる。
そして、“飛行機の研究と技術者たち”では、国産旅客機「YS-11」の基本設計に携わった木村秀政と堀越二郎が戦後に叙勲を受けた際の資料を公開。資料は戦後のものだが、「零戦」「雷電」や「烈風」の名も書かれており、軍用機も含め航空機体設計の技術者としてしっかりと認識されていたことが分かる。
初風号や純国産機「ニッポン」号を始め、グラーフ・ツェッペリン号の記録写真やチャールズ・リンドバーグの来日と叙勲に関する文書も。当時の熱狂が伝わってくるような内容であるのも興味深い。なお、日本からはもちろん、海外からの記録飛行の報道で、飛行機の認知度が上がると戦時体制に絡めて学校教育にも影響を与える。代表的なものとして飛行機の仕組みを学びながら紙飛行機を作る教材などが提供されていたことが分かるパネルも掲げられている。
航空事業の拡大に合わせて戦争が始まる直前のインフラ整備についての資料「東京都市計画飛行場」も展示。実際には完成せず現在の夢の島となっているが、東京湾を埋め立てるというもの。さらに、「大阪第二飛行場滑走路工事青図」(現在の大阪国際空港)の図面も見ることができる。
会場には、昭和13年(1938年)に創立した大日本航空株式会社にまつわるパンフレットやステッカー、ポスターなども用意。より航空が身近になってきていることもうかがえる。パンフレットには各種機内サービスの告知はもちろん、“万年筆のインキ漏れにご注意”などの当時の生活に合わせた注意事項を記載。ポスターは、東京~バンコク(タイ)線のもの。当時フランス領であったベトナム上空を迂回するルートとなっている。
第三部は「占領と戦後復興」について。占領下に入る直前の文書「戦後航空緊急施策要領案」では、軍事航空が廃止されることを見通して、民間航空だけは縮小されてもなんとか残したい、そして技術者たちもなるべく残していきたいと真剣に議論されていたことが分かる。
そして部分的に規制が解除され日本の航空が復活していく様子も、その後の文書から伝わってくる。「民間航空運送事業の再開に関する件」では、国内航空路の再建とともに、財政事情が厳しいので既存の施設を使おうなどと書かれてあり、航空再開で盛り上がる世相と実際の懐事情が反映された文書となっているのが面白い。
なお、戦後占領されていた東京国際空港(羽田飛行場)の返還と在日米軍の使用領域に関する確認図や、講和、独立を経て運航が再開された際の写真も見ることができる。
さらに昭和26年(1951年)にJALが創業した際に作られた「日本航空設立目論見書」と新株式発行に関する「日本航空株式公開目論見書」も展示。設立時の従業員数をはじめ、当時どのような規模でスタートしたのかが分かる。なお、国際線の最初の路線が運航された際のパンフレットでは、経由地に沖縄が入っており、東京、沖縄、ホノルルを経てサンフランシスコへと向かう当時の様子が克明に示されている。
国産旅客機「YS-11」に関する貴重な文書も披露。「YS-11」の海外向け販促用パンフレットや写真が並べられている。
特別展示として日本航空の協力によりモデルプレーンもお披露目。東京オリンピックで聖火を輸送したダグラス DC-6B「City of Tokyo」号など、2度目のオリンピックが開かれる2020年に向けて士気が上がる内容となっている。同時にJALを創業当時から支えたダグラス DC-4「阿蘇」号や、ジェット機の一番機であるダグラス DC-8-32「富士」号も見ることができる。
また、パネルでは再開されたばかりの羽田空港の事務所とJAL創業当時の写真も楽しむことができる。定期便第一便就航前夜、尾翼に国旗を描いている姿、1300名から選ばれた15名のCA(客室乗務員)の制服姿なども。
さらに、広報用に製作された国際線太平洋路線就航時のポスターでは、鶴丸デザインが生まれる以前から象徴的なモチーフとして鶴が描かれおり、当時から鶴が大事にされていたことを見て取れる。
日本航空の広報担当者に本企画展への参加について聞いたところ、「大切に保管してきた我々のアーカイブの品々を展示できて本当にうれしく思っています。日本航空としては航空機就航の歴史とともにデザインの歴史、両方を出せればと考えていましたので、それを具現化できたのはとてもよかったです。創業期に活躍した機材をはじめ、DC-8のモデルプレーンや就航告知のポスターなども見どころ。戦後間もないGHQによる航空活動の中止から解禁となってのドタバタのなか、死に物狂いででフロンティア・スピリットを持って皆が取り組んだ姿が資料に表われていると思います。ぜひ会場でその思いを感じていただけると幸いです」とコメントした。
なお、入場は無料となっており開館時間は月~土曜の9時15分~17時。6月28日の14時から30分間ギャラリートークも予定されており、解説を聞くことができる。今回紹介した公文書のほかにもたっぷり航空の歴史資料や人物にフィーチャーしたブースが目白押しの本企画展。ぜひ足を運び、その歴史を実感してみてはいかがだろうか。