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毎日が特別――ワールドツアー中のブライトリング DC-3を機長が解説
積載している「ナビタイマー」500本の警備にも苦労が
2017年5月2日 22:26
- 2017年4月29日 実施
スイスの時計メーカーであるブライトリングが支援し、世界一周フライトに挑戦している「ブライトリング DC-3」。4月29日の熊本空港(阿蘇くまもと空港)到着については「世界一周チャレンジ中の『ブライトリング DC-3』が4月29日午後に熊本到着」、30日の熊本上空周回飛行については「ブライトリング DC-3が熊本を周回飛行。修復中の熊本城上空にも姿を見せる」の各記事で紹介しているが、4月29日の到着後には地元小学生が参加しての歓迎セレモニーや、機長や関係者による記者会見が開かれた。
29日の13時50分ごろに熊本空港に到着したブライトリング DC-3は、いったんターミナルビル付近に駐機後、崇城大学のハンガー前へ移動。エンジンを停止後に、益城町立広安西小学校吹奏楽部が、歓迎演奏として「Around the world」を演奏。
機内からフランシスコ・アグーロ(Francisco Agullo)機長と、ポール・バゼリー(Paul Bazeley)副操縦士、志太みちるフライトアテンダントが登場。吹奏楽部の代表3名から花束が手渡され、続いて「三百六十五歩のマーチ」を演奏。熊本到着を盛大に歓迎した。
機長挨拶では、「日本に1カ月ほど滞在してワールドツアーを続けるが、この崇城大学の学生のように将来のアビエータ(航空関係者)に目指している人や、航空ファンなど、多くの人に会えることを楽しみしている」と述べたほか、ワールドツアーや熊本訪問を実現した関係者への感謝の意を示した。
そして、吹奏楽部へブライトリング DC-3のパネルをプレゼント。これに応え、パネルを受け取った代表児童は、「ようこそ熊本へ。昨年4月に起きた熊本地震で一時部活は中断しましたが、たくさんの支援をいただき、吹奏楽コンクールをはじめ、いろいろな場所で演奏させていただきました。今日はブライトリング DC-3 in 熊本のセレモニーで演奏できて、とてもうれしいです。
先ほど、パイロットの方たちが降りてこられるときに演奏した曲は『Around the world』です。DC-3は航空の歴史を変えた1935年生まれの旅客機と聞いています。今回、ブライトリング社の70周年を機に世界を一周されているそうですね。私たちは世界一周という意味の曲を選曲しました。
また、(降機後に演奏した)先ほど曲は熊本出身の歌手、水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』です。“ようこそ熊本”へという想いを込めて演奏しました。今日はDC-3の二度とない貴重な機会に演奏できて、本当にありがとうございます。世界につながる大空を見上げることで、明日への希望や勇気が湧いてきました。今日は本当にありがとうございました」と話した。
このあとは場所を屋内に移し、イベントを主催するブライトリング・ジャパン、協力団体の日本航空協会、アグーロ機長による記者会見が開かれた。
まず主催者として挨拶したブライトリング・ジャパン マーケティング統括 取締役 柿崎滋氏は、「私どもは1884年、スイスで創業した時計の製造と販売を手がける時計ブランド。特に腕時計、機械式クロノグラフの開発で重要な役割を担い続け、そして、パイロットウォッチという分野の先駆者として、航空界とともに歩んでいる」と自社を紹介。
ブライトリング DC-3への取り組みは、「航空界への恩返しとして、航空遺産の保全と修復するプロジェクトをサポートしている。その一つが、先ほど熊本に到着したブライトリング DC-3」と説明。このほかにも、2017年は6月に開催されるレッドブル・エアレースへ参加するチームや選手へのサポート、とりわけ室屋義秀選手の個人スポンサーを務めることはよく知られているほか、翼の上で華麗な演技を披露する「ブライトリング・ウィングウォーカーズ」、民間唯一のジェット機によるアクロバットチーム「ブライトリング・ジェットチーム」のサポートなどを行なっている。
今回、熊本を皮切りに実施する「みんなで大空を見上げよう!」は、別記事「ブライトリング DC-3が熊本を周回飛行。修復中の熊本城上空にも姿を見せる」でも触れているとおり、このジェットチームのリーダーであるジャック・ボツラン氏による「人は悲しいことがあると下を向いてしまう。そんなとき、我々が大空で最高のショーを行なうことで、上を見上げ、驚きや感動、ワクワクして笑顔になったり、元気の源を届けたい」との言葉に由来している。柿崎氏は「DC-3が空を飛ぶ姿を、大空を見上げていただき、明日への活力にしていただければ」と話した。
続いて、日本航空協会 常務理事 岸周豊氏が挨拶。日本航空協会は1913年に設立された帝国飛行協会をルーツとし、航空業界の発展を目的に活動を続けている団体であることを紹介したうえで、30日に行なわれる模型教室を紹介。
DC-3については「ブライトリング DC-3という航空機は、安全性、信頼性、快適性、経済性を兼ね添えた航空機だったので、航空文化遺産、レガシーとして価値が高い」と認識している旨を話したほか、「DC-3の体験搭乗に応募して選ばれた益城町の児童は航空に興味がある方々だと思う。この崇城大学のキャンパスは近い将来の航空界を担う人材育成の場。そのような興味を持つ児童の方々をここで迎えることを喜ばしく思う」とコメント。模型教室をつうじて「実際に搭乗した際に感動を大きくし、理解が深まる一助になれば」と期待した。
次に、ブライトリング DC-3の操縦桿を握るフランシスコ・アグーロ(Francisco Agullo)機長が、ダグラス DC-3、ブライトリング DC-3について、航空の歴史を紐解きながら説明した。
話は1903年にライト兄弟が時間にして17秒、距離にして37mの有人飛行に成功したことで航空の歴史が始まったところからスタート。1910年ごろに人々の航空に対する興味が高まったが世界で一番安全な交通機関になる日が来るとは誰も予想していなかった時代、1920年代の郵便物を飛行機で運ぶようになるが主に安全面の理由で人を乗せることは稀だった時代を経て、1920年代後半に乗客輸送を行なう旅客機が現われるが、客室とエンジンとを隔てる壁がとても薄いうえに、例示したフォード トライモーターのように機首にセンターエンジンを積んだものでは煙が客室に入り込むなど決して気分のよいものではなかったことなど、ライト兄弟の有人飛行成功からの約30年間を紹介したアグーロ氏は、「変化はあったが安全性、快適性は現在ほど進歩していなかった。これを変えたのがDC-3だ」と紹介。
ダグラス DC-3は経済性が高い実用旅客機として鉄道を置き換える存在ともなり、米西海岸から東海岸へ横断するには、それまで鉄道を使って5日間かかっていたのが、同じ旅が1日で済むようになった例を挙げ、「航空会社に収益をもたらし、乗客の安全性と快適性を実現した初めての飛行機」とした。
そのダグラス DC-3は第二次世界大戦において民間からの徴用や軍用輸送機(C-47)として数多く製造。約1万6000機が製造され、そのうち米国で約1万500機、ロシアで約4500機が作られた。また、日本でも生産されており、零式輸送機として運用。487機が製造された。
こうして多数の機体が運用されたDC-3は、戦後に民間に払い下げられ、同時にDC-3を扱えるメカニックやパイロットが多く存在した。アグーロ氏は、「航空会社にとって買いやすい航空機」だったことを、幅広く商業利用されるようになった理由の一つとして挙げた。
数多く作られたDC-3だが、現在空を飛べる機体は150機ほどとのことで、そのうちの1機が「ブライトリング DC-3」となる。この機体は、1940年3月9日に初飛行し、3日後の3月12日にアメリカン航空に納入され、旅客機として活躍。第二次世界大戦時に陸軍に徴用され輸送機として運用されたあと、いくつかのエアラインやプライベートジェットの会社などを渡り歩き2008年にブライトリングが購入したという経緯を持つ。
アグーロ機長は、現在のブライトリング DC-3について、「1940年からほとんど変わっていない。客室のインテリアを現在の安全基準に合わせ、コックピットにはナビゲーションやコミュニケーション(通信)システムを追加して更新しているが、製造当時とほとんど変わらない状態を保って運航している」とし、計器飛行や乗客を乗せての運航についても当局の認証を受けている。「航空会社は20年ぐらいで飛行機を変えるが、ブライトリング DC-3は77年も安全に飛行を続けている」と誇った。
ワールドツアーでは28カ国/55都市を6カ月かけてまわる予定で、1nm(ノーティカルマイル、1nm=1852m)あたり2ドルをユニセフに寄付することになっている。
このうちの約1カ月を日本で過ごすことになるが、アグーロ機長は「日本に1カ月滞在できることをうれしく思う。ブライトリング・ジャパンのサポートがなければ、この飛行は実現しなかったし、日本に長く滞在し、数多くの皆さんに会うことは大きな意味を持っている。487機のDC-3が日本でも製造されたが、戦後は破棄され、見たことがない日本人は多い。日本を巡ることで多くの人に見てもらえれば」と期待。ただし、機長個人としては、ブライトリング DC-3のメンテナンスなどに長い時間を割くため、日本での観光などを楽しむ余裕はないそうだ。
ちなみに、日本から次の目的地であるアリューシャン列島のシェミア島まで11時間のフライトが予定されており、仕様上の航続時間8時間を大きく超えるフライトが必要となる。ブライトリング DC-3の客室は元々30席を用意できるが、現在は14席のみとなっている。その、空いたスペースに合成ゴムなどでできた追加燃料タンクを搭載することで11時間のフライトに挑戦するのだ。また、燃料の“アブガス”が入手困難な土地でも予備タンクを活用するという。アグーロ機長は、日本からシェミア島までの11時間のフライトは「日本のあとに北太平洋を渡るが、それはこのフライトにおける最大のチャレンジ」であるとする。
また、ユニークな取り組みとして、同機にはブライトリング DC-3 ワールドツアーを記念して、裏面に特別な刻印を施した500個限定生産のパイロットウォッチ「ナビタイマー」を搭載している。ワールドツアー終了後には、世界一周をした時計として証明書を付けて販売する計画だ。この500個のナビタイマーを積んでいることも心配の種とのことで、「もちろん日本はとても安全な国なので問題はないが、通過する国や都市には信用できないところもあるので入念に警備している」とのことだ。
このようにさまざまな工夫、改良、苦労を重ねて世界一周に挑むブライトリング DC-3。アグーロ機長はツアーでの思い出を問われると、「すべての1日がDC-3にとって重要な日。毎日がユニーク、毎日が夢、毎日が発見、毎日が特別」と語った。