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滞空時間は7分強。日本最短の航空路線、なぜ消えゆく? 実は「世界でたった5機」
2024年7月29日 15:00
日本で一番短い航空路線に乗ってみた。「えっ、もう着陸?」
日本国内の航空路線でもっとも長距離を踏破するのは、ピーチの新千歳(札幌)~那覇間の約2400kmだ。最短は……RAC(琉球エアーコミューター)が運航する、沖縄県・南大東島空港~北大東島空港を結ぶ、たった13kmの路線だ。
この「日本一短い航空路線」が、2024年7月末をもって休止となる。
大東諸島への飛行機の運用は、まず那覇空港を起点に南大東島に向かい、そこから北大東島までの「日本最短の航空路線」で北大東島に行き、そこから那覇空港に帰っていく。これが曜日によっては北大東島に先に寄る便もあり、三角形のようなルートを描いている。
南大東島・北大東島の両空港間の所要時間は、たったの20分。さらに離陸前にシートベルトを確認して、非常時の説明を受ける時間もあり……実際の滞空時間はきわめて短く、ストップウォッチで測ったところ、わずか7分10秒しかなかった。もちろんシートベルトを外すことは一度もなく、窓から島の全容を窓から眺めるころには着陸態勢に入るため、そこまで景色を楽しむ余裕もない。
両島の移動手段としては、飛行機と同様の三角ルートで行き来するフェリーがあるものの、週に2便しか寄港しないうえに、悪天候による欠航がかなり多い。一方で飛行機の就航率は9割程度をキープしており、両島を周遊する観光客や、工事などの出張客の移動手段として、よく利用されていたという。筆者が二度ほど飛行機を利用した際には、50席の座席はほぼ満席。前後の日程は満席で、よく利用されている様子が伺えた。
南大東空港・北大東空港の移転・拡張とあわせて「日本最短の航空路線」が開業したのは1997年と、比較的最近の話だ。それまで双方の島同士の空の移動は「年会費2万円、1回利用5000円」(昭和40年代当時)という、恐ろしく高額な会員制のセスナ機を利用するしかなかったという(南大東村史)。
当時の新聞によると、新航路の開設や、従来の倍の定員を持つ当時の新型機(DHC-8-Q100)の就航は一大イベントだったようで、島民総出で太鼓を打ち鳴らして1号機を迎えたそうだ。
そして就航から四半世紀、南大東島~北大東島間の航空路線は、一旦その歴史に幕を下ろす。なぜ一定の需要があるのに、休止となるのだろうか? その理由と今後の運航について、琉球エアーコミューターの担当者に話を聞いた。
また、「日本一短い航空路線」を担う機体は、実は「世界にたった5機」しかないことでも知られている。ほぼ「沖縄の離島仕様」の機体が誕生するまでの秘話も伺った。
日本一短い航空路線休止の理由は「地元の利用実態=那覇直行」優先
RACが「日本一短い航空路線」を休止する理由、それは「地元(大東諸島)の方々の利用実態に合わせた利便性の向上」にあるという。
この航空路線が行き交う大東諸島の2島(南大東島・北大東島)は、総合病院や高校がある「親島」を近隣に持たない、まさに絶海の孤島だ。両島の間は水深2000mほどの海溝があり、地元の方々の往来や交流は、もとよりかなり限られているのだとか。一方で、県の中心都市である那覇への直行便の運航は、曜日限定で本数も限られてしまう。またRACは保有する5機で11路線を回しているため、増便も難しい。
南大東島~北大東島間の航路の休止で機材繰りの効率も向上し、これまでの「三角ルート」は那覇~北大東島(毎日1便)、那覇~南大東島(毎日2便)に集約する。便数が多く毎日運航となる分、提供されるシート数も増加するという。
両島間の移動にも一定の需要はあったものの、地元・大東諸島の人々が求めていた「那覇への移動」を優先したうえで、「日本一短い航空路線」は休止にいたったのだ。この航路休止は、RACにとっては、ある意味で苦渋の決断だったのではないか。
世界でたった5機! ローンチカスタマーになってまで手に入れた特別仕様
こうして消えゆくRACの「日本一短い航空路線」だが、同社には実は、もう1つめずらしいモノがある。先に述べたとおり、同社の機体は、世界にたった5機しか存在しないのだ。航空機メーカーのカナダ・ボンバルディアは、なぜRACのために「沖縄の離島向け・特別仕様」機体を開発したのだろうか?
RACの機体のベースとなるターボプロップ機(プロペラ機)のボンバルディア「DHC-8-Qシリーズ」は通称“ボンQ”とも呼ばれ、世界でこれまで800機以上が生産されている。しかしRACの機体は、末尾にCCの付く「DHC-8-Q400CC」(DHC-8-400カーゴコンビ)。機体の後部には通常の2.5倍、約23.4m2の貨物スペースを持つ、独自の仕様だ。
機体のカスタマイズが必要とされた理由は、やはり「航空輸送の強化」にある。沖縄の離島には「カジキマグロ」(与那国島)、「カキ・車海老」(久米島)、「アワビ」(大東諸島)など高単価の特産品がたくさんあるものの、それまで就航していたDHC-8-Q300の貨物スペースは限られ、かつ乗客の荷物が優先される。島からの海産物の出荷はフェリーや貨物船頼みで、寄港便が少ない与那国島や大東諸島は「船の出航に合わせて少し前に漁に出る」という、天候や運頼みの状態での出荷を余儀なくされていたという。
美味しく高単価な海産物を、新鮮なうちに消費地(那覇など)に、安定して届けたい。そのために必要な「広い貨物スペースを持つ航空機」は、RACのみならず、沖縄の離島地域の悲願であったといえるだろう。
しかし、ボンQの開発元であるボンバルディアも、貨物スペースを広くするノウハウはあまり持っていなかったようだ。かつてカナダの航空会社(Wasaya Airlines)がQ100をフレイター機(貨物機)に改造したようなケースはあったものの、重量のバランスを保ったまま旅客・貨物のスペースを併設する機体の開発はそう聞かない話でもあり、改造は一筋縄ではいかなかっただろう。
ボンバルディアはRAC向けの機体を開発するために、同社を「ローンチカスタマー」に指名した。
「ローンチカスタマー」になると、開発した新型機をまとめて購入するかわりに、ある程度の要望を出せる。ただ、このポジションを担うのはANA/JALなど資本力を持つ大手航空会社がほとんどで、RACのような小規模な会社がローンチカスタマーとなるのは、かなりめずらしいことだ。カナダに飛んだRACの担当者は英語が飛び交うミーティングに必死で食らいつき、ボンバルディアの担当者も沖縄の離島空港を訪れたうえで、要望を徹底的にくみ取っていったという。
こうして「従来より広い貨物室と、Q300並みのシート数(50席)を確保」「カジキマグロなら5本は積載可能、かつ客室に匂いが移らない」「バランス確保のため最後尾に1000ポンドのバラストを常時積載」など、“RAC仕様”を盛り込んだ「DHC-8-Q400CC」が完成。2016年から2年がかりで5機が順次就航し、現在にいたる。
貨物の年間利用は86トン! 「Q400CC」が大東諸島にもたらしたメリット
「CC」仕様の機体が就航してから8年が経った今、大東諸島の2島からの貨物は、ゆうパック・一般貨物を中心に、年間約86トンも利用されているという。今や那覇の居酒屋でも、「きょうは南大東島からナワキリ(深海の高級魚。大東諸島のものは脂の乗りが全然違う!)入ってますよ、航空便で送ってもらってます」と即答で返ってくるほど、大東諸島~那覇間で、さまざまな貨物のやり取りが行なわれているようだ。
また仕事で大東諸島~那覇間を往復する人々にとって、Q400CCの座席のグレードが上がったことが、何より喜ばれているようだ。確かに「JALスカイネクスト」仕様の革張りシートの座り心地は、以前のQ100、Q300とはまったく違う!と、島の飲み屋のお客さんが口を揃えて仰っておられた。
大東諸島の南大東島、北大東島を結ぶ「日本最短の航空路線」は、まもなく消えゆく。しかし、那覇直通便のデイリー(毎日)運航によって、人や貨物の往来もさらに活発になるだろう。
座席数も増えて、南大東島・北大東島に気軽に……と言えるほど気軽ではないかもしれないが、「世界で5機だけ」のQ400CCに乗って、ぜひとも大東諸島を訪れてみてほしい。両島は高齢化がそこまで進んでいないこともあり(両島とも高齢化20~25%、首都圏だと多摩地区並み)、南大東島ではスーパーも22時まで営業。なかなか活気があって、長めに滞在するワーケーションや半移住などにも、ちょうどいい。