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沖縄最大規模のリゾートショッピングモール「イオンモール沖縄ライカム」が4月25日オープン
那覇空港から美ら海水族館へ向かう途中の沖縄道 北中城IC近くに立地
(2015/4/22 11:33)
- 2015年4月25日 オープン
イオン、イオンモール、イオン琉球は、沖縄県北中城村に同県最大規模となるショッピングモール「イオンモール沖縄ライカム」を4月25日9時にオープンする。ライカムとは、琉球米軍司令部(RYukyu COMmand headquarters)が置かれた地域の呼称で、イオンモール沖縄ライカムも「ライカム交差点」の一角に建てられている。
立地場所は那覇空港から美ら海水族館へとクルマで向かった場合、必ず通るであろう沖縄自動車道の北中城IC(インターチェンジ)と沖縄南ICのほぼ中間にある。国道330号沿いにあるため、クルマでのアクセスは容易だろう。
イオンモール沖縄ライカムは、イオンモール株式会社として沖縄県に初めて建設したイオンモール店で、敷地面積は約17万5000m2、駐車場を含めた延床面積は約16万mm、総賃貸面積は約7万8000m2の地上5階建て。専門店数は約220店舗、駐車場の台数は4000台という規模になる。
館内は大きく4つのコンテンツを提供するとしている。1つ目は、九州/沖縄地区初出店46店舗、沖縄初出店70店舗を含む約220の専門店を展開し、約5500席のレストラン・フードコート・カフェや、オープンデッキからオーシャンビューを楽しめリゾート気分を味わえるメゾネットフードコートなどを備える「グルメ&ショッピング」。
2つ目が、沖縄近海に生息する約26種、1000尾が回遊する容量100t以上の大型水槽「ライカムアクアリウム」や、3階および5階のオープンエアスペースに設けられたイベントスペースで365日イベントを開催する「エンターテインメント&カルチャー」。
3つ目が、沖縄の自然と融合したリゾート感を演出する石原和幸デザイン研究所プロデュースの「ライカムヴィレッジ」や、5回吹き抜けスペースに設けられた約280席の休憩スペースなどの「スペース」。
そして、全館Wi-Fi対応やレンタカーステーション、外貨両替、海外発行クレジット対応ATMなど、国内外の顧客をサポートする「サービス」の4つとなる。
美ら海水族館のノウハウを活かしたライカムアクアリウム
4月21日に行なわれた報道関係者向けの内覧会では、吹き抜け空間の1階に設置された「ライカムアクアリウム」の除幕式が行なわれた。
このライカムアクアリウムは、自然な光や波のゆらぎの表現を再現するための調光システムなどを含む設置や維持のための管理運営において沖縄美ら海水族館を管理・運営する沖縄美ら島財団が協力を行なっており、その理事長であるである花城良廣氏が、除幕にあたって挨拶を行なった。
この中で同氏は「この水槽がさらに発展するよう、いろいろなことを盛り込んだ。1つは、水族館以外では初めてトラフザメを展示した。もう1つ、水族館ではなかなか見られない、ナポレオンフィッシュとも呼ばれて人気のあるメガネモチノゴを導入した。大きいものは、昨年1年間、美ら海大使として県外のイベントで活躍した個体。それからチンアナゴ。これはセンシティブな魚で、砂とのバランスが大事だが、私どものノウハウをしっかり盛り込んだ。そして、白い砂を長期間維持するには水の処理が大事だが、ここにも我々の財団のノウハウを活かしている」とポイントを紹介。
そして、「沖縄の珊瑚礁から外洋にかけて生息する約1000匹が入っているが、管理の中で少しずつ変えていきながら、海の多様性を皆さんに見ていただきたい」とアピールした。
繁栄祈願に18体のシーサーを設置
イオンモール沖縄ライカムには、地元・北中城村の文化協会陶芸部に所属する陶芸家で結成された「シーサーで景観をつくる会」により、敷地内に18体のシーサー群が設置され、その除幕式も執り行なわれた。
シーサーで景観をつくる会は、シーサーを地域に設置することで沖縄らしい景観を作りだせるとして、これまでに県道81号線沿いや県道146号線沿いにシーサーを設置してきた。そしてイオンモール沖縄ライカムのオープンにあたってシーサー群設置を提案。同村の新垣村長の力添えもあって、この提案が採択されたという。
挨拶した同会会長の花崎為継氏は、「来客の安全と、イオンモールの反映を願い、14名の会員が精魂込めて制作したもの」と紹介。ライカムヴィレッジ内に同会の陶芸家によって制作されたシーサー9体の集積群2個、計18体を設置。イオンモールのシンボルの1つとして存在感を放っていた。
旧字比嘉集落跡地の石碑
このイオンモール沖縄ライカムが建設された場所は、戦前は旧字比嘉という集落があった土地で、太平洋戦争の沖縄戦の結果、昭和20年に米軍がその区域の66%、面積およそ48haを接収。戦後は米軍の泡瀬ゴルフ場となっていた。その後、1996年にこの土地の返還で日米政府が合意。2010年7月31日に返還され、2013年3月29日に北中城村へ引き渡された。
ただし元の集落は復活せず、イオンモール、徳州会病院、住宅地などへ利活用が進められているという経緯がある。この地に比嘉集落があった記憶を留めるべく、イオンモール沖縄ライカムの入り口付近に「旧字比嘉集落跡地の石碑」を建立。21日に、その除幕式も実施された。
北中城村旧字比嘉郷友会の喜屋武和廣会長は「昭和20年(1945年)に接収され、ゴルフ場と化し、平成22(2010年)年7月に返還されるまで65年あまりに渡って使われた。返還後、郷友会では比嘉集落の復活も模索したが、これが叶わず、せめてこの地に比嘉集落があった証として、石碑を建立することにした。これによって、旧字比嘉集落民の心の拠り所を得られたと思っている」とコメント。
また、石碑の設置にはイオンモールが全面的な支援をしたそうで、除幕式の場で感謝状を贈ることを打診したが辞退されたとのエピソードも披露した。
地元青年会による太鼓の演舞が盛り上げた「街開き・ライカムアライバル通り開通式」
このように旧泡瀬ゴルフ場返還跡地の利活用の第1弾ともなるイオンモール沖縄ライカムでは、その正面入り口および周囲の道路も、新たに建設されている。いずれも“イオンモール”の名前が付けられており、正面入り口の「イオンモールアライバル通り」は長さ63m、幅34m。東側の村道「イオンモール東通り」は、最長930m、幅18m。南側の村道「イオンモール南通り」は長さ500m、幅16mとなる。
21日には、この正面入り口側のイオンモールアライバルゲートの「開通式」と返還跡地の「街開き」も実施された。同式典では、地元北中城村 島袋青年会 エイサー隊による太鼓の演舞が披露され、屋外にも関わらず響き渡る掛け声と太鼓の音色に参列者一同聞き入る様子が見られた。
式典の開会に際し主催者の北中城村アワセ土地区画整理組合 副理事長の仲本善通氏が行ない、「戦前は比嘉の集落があったが、戦争によって米軍に接収され、住民はふるさとに戻ることができなかった。私たちは67年ぶりに戻ってきたこの土地を、自らの意思で活用できることを喜び、跡地利用の早期実現に向けて、2013年6月に北中城村アワセ土地区画整理組合を設立し、街作りを進めてきた。(2013年3月の)土地をの引き渡しを受けてから、わずか2年あまりで街開きを迎え、土地活用と地域発展に向けた第1歩を踏み出すことになった」と挨拶。
また主催者挨拶として登壇した北中城村アワセ土地区画整理組合 理事長 吉村正夫氏は「街開きは、アワセ土地区画整理事業の第1段階として、組合が築造した区画道路を北中城村へ引き継ぎ、複合型商業交流施設の近くの活用、供用が始まるということ」と説明。
ここに至るまでの経緯として、「素人の集まりである軍用跡地の地権者が、このような大規模区画整備事業を行なうには困難があった。土地の引き渡しを受けてから、わずか25カ月というスピードで街開きの式典に至ったことは、まさに驚異的と言わざるを得ない」とコメント。組合としては「地権者の利益となる事業、地域に貢献できる事業、返還跡地利用のモデルになり得る事業」という目標を立てており、「それを実現する第1歩であると同時に、行政と民間が協力して街作りをしていく象徴となる出来事であると自負している」とした。
そのほか祝辞を行なった来賓各位は、土地の引き渡しから2年強で新たな土地活用がなされたことへの喜びや関係者に対する敬意、今回の例が返還跡地利活用のモデルケースとなること、沖縄中部県域の交流拠点として経済発展に寄与することへの期待を揃って口にした。