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JAL、MPL訓練導入後の第一期生が副操縦士としてファーストフライト
操縦士訓練生として採用も経営再建で訓練中止、入社から9年で念願のフライト
2017年3月2日 15:01
- 2017年2月27日実施
JAL(日本航空)は、2013年からパイロットの養成に日本初となるMPL訓練を導入しているが、その養成を終了した第一期生が2月27日、副操縦士としてデビューした。その初フライトまでの様子とフライト後のインタビューをレポートする。
MPL訓練の導入でマルチクルー運航を前提とした即戦力を短期間で育成
MPL(Multi-crew Pilot License、准定期運送用操縦士)とは、航空機の副操縦士に求められるライセンスのこと。2006年にICAO(国際民間航空機関)で規定され、2012年に日本でも法制化された新制度。JALでは2013年に導入を決定し、2014年4月から順次訓練が開始された。
MPLによる副操縦士の養成訓練は、訓練の初期段階から機長と副操縦士ふたりでの「マルチクルー」運航を前提として行なわれることが特徴で、従来の訓練方式に比べ訓練期間が約6カ月以上短縮される。現在ほとんどの旅客機はマルチクルーによる運航が行なわれているが、従来のパイロット養成ではまず小型機を単独で操縦するための訓練期間が長く取られている。MPLではより安全な運航を行なえる、優れた副操縦士の養成を目指してカリキュラムが組み立てられ、より効果的な養成が行なわれるという。
JALの場合、副操縦士の養成訓練は従来、約36カ月間かけてすべて自社訓練で行なってきたが、MPLでは一部訓練を米国アリゾナ州フェニックスにある世界最大級のパイロット訓練機関COAA社に委託。JALからも現地に機長7名と副操縦士1名を教官として派遣し、現在70名ほどが現地で訓練を受けている。
訓練は1チーム8名ずつ進められ、国内で座学を行なったあと、フェニックスで小型単発プロペラ機による訓練の「Coreフェーズ」と、小型双発ジェット機によるマルチクルー運航の基礎と計器飛行を学ぶ「Basicフェーズ」を実施。
その後自社訓練に引き継がれ、JALが運航するジェット機の運航に関する訓練「Intermediateフェーズ」を実施。最後にJALが運航するジェット機の型式限定ライセンス取得訓練である「Advancedフェーズ」を経てMPLの訓練課程を終了する。国内での座学からここまでを約22~25カ月で行ない、さらに4~5カ月間の路線訓練が行なわれたあと実際の運航に従事する。
経営破綻で職種変更後もJALに残ったパイロット候補生を、1日でも早く訓練に戻してやりたい
MPL訓練の導入では養成期間の短縮に注目が集まりがちだが、本質的な狙いは、実際の航空機の運航に必須のチームプレーを早い段階から学ぶことにあるという。JALのなかでも長く基礎教育に関わる星野氏によると、「テニスで言えば、これまではシングルスをマスターしてからダブルスの訓練を行なっていたイメージ。これを早い段階からダブルスの教育を行なう。高性能シミュレータも積極的に導入し、現在の進んだ航空機を安全に運航できる、より優れた操縦士の育成を目指して見直しを行なった結果です」(星野氏)。
「MPLは国から認可を得た指定養成施設(Approved Training Organization)でのみ訓練ができます。JALもそれを取得し、2014年から第一期生が訓練を開始し、2017年2月にチェックアウト。副操縦士として乗務することになりました。従来方式に比べて養成期間は短くなりましたが、副操縦士に必要な能力は以前となに一つ変わりはありません」(鮫島氏)。
期間の短縮にはFSTD(Flight Simulation Training Device、模擬飛行訓練装置)と呼ばれる高性能シミュレータ導入による効果も高いという。技術の進歩によりFSTDがビジュアル化され、実機とほぼ差がないような操縦訓練が可能になった。気象条件の設定も自由にできるため、悪天候のなかで離着陸するための仮想訓練もしやすい。現代の操縦士に求められる、先を読みながら操縦し、問題解決する力を基礎教育の段階からつけやすいという効果もあるそうだ。
JALの場合、MPLは基本的にボーイング 737型機の操縦を想定して訓練を行ない、乗務を開始する。2年以上は737型機のみ乗務し、将来的に副操縦士から機長になるまでは十年以上の経験を積むとのこと。今回、第一期生が卒業したが、国内で座学中の20名、フェニックスで訓練中の70名、国内で訓練中の20名を合わせて110名を養成中で、今後、2カ月おきに8~10名のMPLを取得した副操縦士が乗務を開始していくという。
「我々は2010年に経営破綻した際すべての訓練を中止し、パイロットの候補生として採用した100人を超える社員も職種変更しました。経営再建を進めるなかで、職種変更後もJALに残ったこの元訓練生たちに、一日も早く訓練を提供したかった。そのなかで以前から計画があったものの経営破綻で計画が止まっていたMPLの導入を、ギリギリまでコストを調整して実現しました」(星野氏)。
従来JALなど日本の航空会社がパイロット養成にかけるコストは他国に比べて突出して高額だったが、今回のMPLの導入で従来に比べて約半分に抑えられ、世界基準に合わせることができたという。「従来、米国・ナパで行なっていた養成方法に比べて、MPLの導入で約半分のコストにスリム化されました。実は経営破綻3カ月前にMPLの導入は決まって動き始めていたのですが、経営破綻ですべてストップ。ただ、このストップしていた期間も有志が情報収集してシラバスをアップデートし続けていました。そのおかげで訓練の再開が決定した際、1年半程度しか時間がないなかでも自信をもって進められました」(佐藤氏)。
MPLはまだ始まったばかりであり、チェックアウトした乗務員たちの今後を見ながら、プログラムの内容は改善を続けていくという。
MPL第一期生、ファーストフライトに出発
この日、第一期生の一人としてデビューした副操縦士の先崎辰彦氏の初フライトの様子も公開された。
搭乗したのは羽田発(11時40分)~徳島着(13時00分)のJAL457便。10時20分ごろからディスパッチルームで天候やフライトプランを機長の大地真吾氏と確認するブリーフィングが行なわれた。そのあと、11時には12番スポットから搭乗。出発前の機内でのブリーフィング後、乗客の搭乗が開始された。
この日、JAL457便は乗客の預け入れ手荷物の再検査が発生してやや出発が遅れたものの、11時45分に12番スポットから離れ、滑走路へ誘導。関係者らに見送られ、徳島へと飛び立った。
2008年入社も経営破綻で訓練中止に。「やっとここまで、という気持ち」
同機は徳島発(13時40分)~羽田着(14時50分)のJAL458便として羽田空港へ戻り、機長の大地氏と副操縦士の先崎氏へ報道陣からのインタビューが行なわれた。
この日、MPL導入後の第一期生として乗務を開始した先崎氏はパイロット訓練生として2008年4月に入社。通常どおり一般業務を経験したあと操縦士訓練生となったが、2010年にJALの経営破綻の影響で訓練がストップ。2010年10月に訓練生として職を解かれ、業務企画職に職種変更。JALスカイでパイロットの後方支援を行なう運航管理者を担当した。
先崎氏は運航管理者として4年勤務したあと、MPLの導入でJALがパイロットの養成を再開するに伴って2014年4月に運航訓練部操縦士訓練生として再度職種変更。MPLの第一期生として訓練を積み、2017年2月に737運航乗員部副操縦士として念願の搭乗となった。
一度は絶たれたパイロットになる夢だったが、4年間機会を待った先崎氏。入社から9年という長い期間をかけての乗務に、「やっとここまでという気持ち」だという。「今日のフライトは自分ではいつもと同じ、平常心で迎えたつもりですが、やはり緊張していたと思います」とコメント。徳島への到着後のP.A.(機内アナウンス)も先崎氏が行なったとのことだった。
機長の大地氏は「新人のファーストオフィサーと乗務を行なったことは何度もありますし、先崎さんの場合もまったく同じです。初日からレギュラーのパフォーマンスを出してくれました。ただ、先崎さんの世代はJALに2000人以上いる運航乗務員の誰も経験したことがなかったような苦難の時間を過ごしたわけで、いまこうして搭乗したことに、僕も感慨深いものがあります。よくここまで頑張ってきてくれたなという気持ちです」とコメント。先崎氏が4年間を運航管理者として経験したこともあり、巡航高度に対するアドバイスも的確だったとのことだ。
先輩からの言葉で訓練再開を待ち続けられた
父親もパイロットだったという先崎氏は、家族旅行で見せてもらった操縦席に憧れ、自身も自然にパイロットを目指すようになったという。大学在学時から4年間受け続け、今年で最後と決めていた年にJALにパイロット訓練生として合格。しかし間もなく経営破綻の影響で訓練が中止された。中止期間中、モチベーションの維持は厳しいものがあったそうだが、先輩らからの言葉で待つことができたという。
「同期の当人同士が悲観するなかで、先輩方からは“どう考えてもパイロットは足りなくなるから辛抱して待っていれば絶対に再開する”と言ってもらった。頑張って認めてもらおうとみんなで必死でした。それでも待つなかで自分もどんどん年をとるし、訓練再開が正式に発表されるまでは正直不安でした」(先崎氏)。
訓練の中断中も、再開した際に航空身体検査に適合できるように健康には気をつけていたとのこと。特に運航管理者は目を使う仕事のため視力が落ちないようにケア。長年待ち、訓練再開を告げられたときの喜びはひとしおだったそう。
苦労して実現した初フライトには、奥さんと2人のお子さんも羽田から乗客として搭乗。徳島では空港で離陸を見守ったという。「今回副操縦士としてフライトしてみて、あらためて機長のすごさを実感した。いずれ大地機長のように、マルチクルーでのチーム力を高められる機長を目指していきたい」と将来について語った。