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津軽鉄道津軽中里駅で、本州最北の転車台が約30年ぶりに復活

クラウドファンディングで修理費用を調達

2017年5月21日 式典開催

転車台復活の式典に集まった多くのファンと津軽鉄道キャラクター「つてっちー」

 本州最北の鉄道会社である津軽鉄道(青森県五所川原市)の終着駅、津軽中里駅(青森県北津軽郡中泊町)にある転車台が約30年ぶりに復活した。

 津軽鉄道沿線の有志が発起人となって設立した「津軽鉄道サポーターズクラブ」が、クラウドファンディングを活用して1月から転車台の修理費用を募ったところ、当初の目標金額80万円を大きく上回る185万円が集まり、5月21日に完成を祝う式典を開催した。

復活した本州最北の転車台

 クラウドファンディングでは津軽鉄道のキャラクターである「つてっちー」からの礼状と缶バッチ、使用済み硬券セット(全駅セット)、本式典への参加券がもらえる3000円の支援から、それらにラッセル乗車と個人名1名掲載のヘッドマーク付き列車を1週間運行し、その後ヘッドマークをプレゼントされる10万円の支援まで、7コースが用意されていた。

 津軽鉄道鉄道とサポーターズクラブとしても初めての試みで、果たして支援金が集まるのか不安もあったというが、クラウドファンディング開始後わずか10日間で目標額を達成。その後も順調に支援金が集まり、最終的に41日間で全国の鉄道ファンら163人から約141万円を集めた。さらに、インターネットの利用が不慣れでクラウドファンディングでの支援方法が分からないと、地元の人たちを中心に33人から計44万円が寄付金として事務局に直接届けられたという。目標額を上回った支援金は、転車台のほかに転車台周りの路盤整備などにあてられた。

 5月21日に開催された式典では、クラウドファンディングのパトロンとなったファンなど多くの来場者に見守られ、転車台を構成する最後の部品となる転車台を押す棒が取り付けられ、はれて転車台の復活となった。高らかな汽笛吹鳴ののち、ゆっくりとラッセル車が転車台上に牽引され、ファンによる転車台手押し体験が行なわれた。

式典のオープニンは地元「木花咲耶会」による演舞で華やかにスタート
主催者となる津軽鉄道サポーターズクラブ会長の高瀬英人氏から挨拶
津軽鉄道株式会社 社長 澤田長二郎(ちょうにろう)氏が挨拶
支援者代表として10万円のパトロンにヘッドマークを授与
支援額によって大きさはまちまちであるが、支援者の名前が記載されたヘッドマーク付の車両が当面運行される
式典もいよいよフィナーレ。最後の部品の取り付け
転車台復活工事が完成し、汽笛吹鳴とともにバルーンが放たれた

 この転車台は1930年から1988年ごろまで使われていたもので、その後動かされることなく老朽化が進んでいた。しかし「歴史的価値の高い鉄道遺産である、津軽鉄道の転車台をこのままにしておくのはもったいない!」という声が沿線住民から上がるようになった。これをきっかけに2016年9月に津軽中里駅周辺のまち歩き、転車台見学、そして転車台の活用法を考える「ミニフォーラム&転車台見学・まち歩き」を開催したところ、津軽鉄道 社長の澤田長二郎(ちょうにろう)氏をはじめとした津軽鉄道社員、多くの沿線住民、遠くは関東在住の鉄道ファンまで集まり、地域活性化の舞台として転車台を活用できないかという話が進んだという。

 津軽鉄道の歴史は古く、津軽半島北部の開発と地域振興を目的に1930年に現在の津軽五所川原駅から津軽中里駅まで全20.7kmが開通し、今年で87年目を迎える。冬の風物詩として運行されている「ストーブ列車」は全国的にも知られるようになったが、人口減少や少子高齢化、自家用車の普及など経営状態は厳しく、乗客数は1974年の257万人をピークに、現在は年間30万人を切るまでに落ち込んでいる。そうしたなかで徹底したコスト削減を社員一丸となって取り組む様子や、澤田長二郎社長の人柄に多くのファンが共感し、定期運行が支えられている鉄道といえる。

 この日は式典会場となった津軽中里駅構内に用意されたステージで、踊りやカラオケなどの音楽イベントや朗読会といったイベントが開催され、普段は静かな終着駅が終日多くの来訪者で賑わっていた。

機関車に押されてラッセル車が転車台へ
機関車が切り離され転車台に乗せられたラッセル車
支援者やファンが交代で転車台を手押し体験