大城和歌子の沖縄グルメ&スポット

街の中のノスタルジーな沖縄そば「玉那覇ウシ」

 ウチナーンチュ(沖縄人)のソウルフード「沖縄そば」。……と一言で表わしても、麺の種類やだしの取り方など、店ごとに違いがある。食べる側の好みやこだわりもさまざまで、みんなそれぞれにお気に入りの店を持っていたりする。私も何軒かお気に入りの店があり、今回はそのうちの一軒をご紹介しよう。

 ……と、その前に沖縄そばについての説明を。

 沖縄「そば」と呼ばれているが、麺はそば粉を使わず小麦粉で作られている。食感や風味はうどんや中華麺に近い。そば粉を使っていないため、「そば」と表記してはいけないという指摘を受けた時代があった(そば粉を30%以上使っていないと“そば”と表示してはいけないと、公正競争取引規約で規定されている)。しかし沖縄ではずっと以前から「そば」として親しんできた。なんとか名称を変えずに使い続けられるようにとの働きにより、1978年10月17日に「沖縄そば」の名称が正式に認められた。そしてこの日は「沖縄そば」の日として、ウチナーンチュの大切な記念日の1つになっている。

 ちなみに「そば」の正しいウチナーぐち(沖縄方言)の発音は「すば」と言う。また、沖縄そば=ソーキそばと思っている人がいるようだが、ソーキ(骨付き肉)が乗っている沖縄そばが「ソーキそば」である。

たまに無性に食べたくなる沖縄そば。毎日でも食べたいという「そばじょーぐー」(沖縄そば好きな人のこと)も珍しくない

 さて、今回紹介するお店には3つのインパクトがある。

 まず店名。「玉那覇ウシ」(たまなはうし)とは、店主の佐喜真直美さんのお祖母さんのお名前。7人兄弟の大家族だった佐喜真さんは、お母さんから「おばあちゃんがいるからみんな育ってこられたのよ」と言われたことを今でも印象深く覚えている。そんな大好きなおばあちゃんの名前を店名に据え、2004年8月に兄弟3人で店をスタートさせた。

湯切りをする佐喜真さん。女性だけで切り盛りする厨房は温かくもどこか力強い

 2番目のインパクトは店構え。古い家屋を改装し、外壁は沖縄の箸をイメージした赤と黄色のツートンカラー。とてもかわいらしく目を引く。

 正確な築年数は不明だそうだが、近所の人に聞くとかなり昔からあったらしい。見たところ、50~60年は経っているのではないだろうか。素朴で温かみがあり、ほっとする空間だ。

 古い建物ながら台風がきてもガラスも割れず雨漏りもしないそうだ。「おばあちゃんが守ってくれているんだと思います」と佐喜真さん。店内にはウシばあちゃんの写真や愛用していた着物などが飾られ、ノスタルジー感を醸し出す。

手作り感あふれる店内には、ウシばあちゃんの写真や愛用品が飾られている

 3つ目のインパクトは自家製麺のコシの強さだ。

 沖縄そばの食感はうどんや中華麺に近いと前述したが、同店の麺は韓国の冷麺に近い。麺の固さの好みも人それぞれだが、固麺好きなら間違いなく気に入るはずだ。

 製麺機は、以前にこの店舗で沖縄そば屋を営んでいた方から引き継いだという。基本的な製麺の仕方は前経営者から習ったが、理想の麺を安定して作れるようになるまで試行錯誤が続いた。気温や湿度などによって出来が変わるので水加減などを調整しなければならない。

「3人で始めたからできたと思います。一人でやっていたらくじけていたかも知れません」と佐喜真さん。

3枚肉とかまぼこが乗った「沖縄そば(中)」(650円)。だしの香ばしさが食欲をそそる。お好みで「コーレーグース」や紅しょうがを添えて
夏季限定の「冷やしねぎ豚そば(中)」(850円)。ざるそば風で、つるっとした食感がたまらない

 兄弟で力を合わせて始めた店も、気がつけば11年。妹さん2人は店を卒業し、今は1人で切り盛りしている(繁忙時間帯はパートさんが勤務)。

 今後の目標を訪ねると、「大きな夢とか目標はないんですよ。ただ続けていければって思います」と控えめなお答え。いやいや、ファンにとってはそれが一番嬉しいのだ。これからも、佐喜真さん自身が「おばあ」と呼ばれる年になるまでおいしいそばを食べさせてほしい。

店舗情報
店名玉那覇ウシ商店
住所沖縄県那覇市久米1-7-17

大城和歌子

横浜生まれのウチナーンチュ二世。東京での出版社勤務を経て1998年11月に沖縄移住、フリーのライターとなり「和歌之介」のペンネームで活動。主に音楽系記事を得意とし、沖縄インディーズの隆盛を間近で体感した。自らも音楽活動をゆる~く展開。現在、那覇市内でレコードバー「リンドウ」を営んでいる。