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震災から4か月。道路や漁港の復旧はまだまだ、でも立ち上がる人々も。能登半島地震・復旧状況現地レポ

自動車道「のと里山海道」

 2024年1月1日に発生した「能登半島地震」から、早くも4か月が経過した。各地で復旧が進んではいるものの、地域がもとの生活基盤を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうな状況だ。

 この記事では、3月から4月初頭時点での能登半島(主に奥能登の2市2町)の道路状況・インフラなどの状況を、写真とともにそのまま伝える。また、奥能登でも一部の観光施設が再開しており、「どこに行けるのか、どこが到達困難か」といった部分も含めてお伝えしていきたい。

 なお、筆者はもともと建設関係の会社に勤めており、今回も東日本大震災や熊本地震などと同様に社員として数度現地入り。かつ、ライターとして能登半島の各地に伺ったご縁で、関係者の方々にもお話を聞いている。

【アクセス】いつも以上に到達困難。原因は「自動車道の崩落」

3月15日時点での復旧関係者向け道路マップ(画像:北陸地方整備局)
のと里山海道の復旧状況。片側が大きく削れ、1車線での走行を余儀なくされている
のと里山海道の復旧状況。筆者は荷物を積み込んだ軽トラで走行している

 石川県の県都・金沢市から奥能登への距離は100km~150kmほどあり、クルマだと平時でも2時間~2時間30分ほどの移動時間を要していた。震災後の現在、所要時間はさらに大幅に伸びている。

 その原因となっているのは、半島を貫く自動車道「のと里山海道」「能越自動車道」だ。多くの区間で築堤や山の中を走る自動車道は、かなりの箇所で道路片側が崩れ落ち、片側1車線分の道幅を確保するのが精いっぱい。2024年4月現在で、徳田大津IC(七尾市)からのと里山空港・輪島方面が、北側(輪島方面)の一方通行となっている。

 しかも、道路が左右にランダムに崩れているため、本来なら一直線であるはずのルートはカーブが多い。かつ、全体が崩壊している場所はいったん急坂を降りて、また登るといったU字状のルート設定になっている場所もある。

 軽トラックに建築資材を満載した状態だと、荷物の揺れが怖くて30km以上を出せない。この状態では、工事車両やボラバス(ボランティアバス)の到達も通常時以上に時間がかかってしまうのは仕方がない。

 いつもは貴重な休憩場所であるはずの別所岳SAが閉鎖中で、なかなか休めないことも、ドライバーのプレッシャーに拍車をかけている。ただ、道路はどう見ても容易に復旧できない状況でもあり、当面の間は安全運転を心がけるしかなさそうだ。

※この執筆中に、7月末の上下線開通(一部区間は対面通行)の報道が出た

【漁業】魚はいるけど船を出せない? 急がれる各港湾の浚渫

輪島朝市に並ぶ新鮮な魚。筆者が2018年に取材した際に撮影

 奥能登の各漁港では漁業の復興の困難さが浮き彫りとなっている。目の前の日本海には魚影が戻ってきたものの、なかなか漁船を出せない状態にあるのだ。

輪島港では浚渫工事の船が絶え間なく動いていた

 輪島朝市にほど近い輪島港では、地震によって港湾の入り口が1~2mも隆起。船だまりに係留されていた約200隻の漁船が出航できない状態が続いている。3月末の時点では浚渫船が急ピッチで海底を削っており、4月末の時点で仮の航路を確保できたところ。これから漁船を手前側の仮設桟橋に集め、漁に出るための体制を整えよう、といった段階にあるそうだ。

門前町・鹿磯漁港は4m隆起。かつて海底だった場所の多くが陸地となっている。

 しかし、同じ輪島市内の門前地区(旧:門前町エリア)にある鹿磯漁港では、最大4mの隆起によって、数百mの範囲で新たな陸地が出現。すでに消波堤まで歩いて行けるほどに海底が隆起しており、この状態で浚渫を行なう作業は想像がつかない。

 なお、東日本大震災でも5年間で30cmほどの港湾の隆起は見られたものの、今回のような広範囲・大規模な隆起は前例がないという。

 2024年3月現在、石川県内の漁港は、69港中60港が損傷、使用不可が18港、一部のみ使用可能は19港。石川県で獲れる魚の3割は能登で獲れると言われ、魚種の豊富さもあって、単価が高い高級魚の漁獲も多い。これからアマダイやシマエビが美味しくなってくるシーズンでもあり、少しでも漁を再開できることを願いたい。

2018年時点での輪島朝市の風景
2024年4月時点での「朝市通り」の風景
おなじ風景を逆方向(東側)から眺める。朝市の河原田川寄りのエリアで火災が発生し、多くの建物が消失した

 また、目の前の港で獲れる新鮮な魚介類の販売で知られていた「輪島朝市」も、現地での再開のめどが立っていない。商品が入荷しないだけでなく、「朝市通り」の東側は建物が倒壊し、西側は火災で焼け落ちて建物が原型をとどめておらず、まず撤去・整理から始めないといけない状態だ。

輪島朝市の名物「えがらまんじゅう」。写真は、俳優・土屋太鳳さんもお気に入りの「つかもと」のもの

 そのなかでも、朝市の人々は炊き出しに協力したり、輪島の知られざる名物「えがらまんじゅう」などで、小規模な朝市の現地開催に向けた準備を進めているという。(一部店舗は金沢市金石に一時移転)輪島朝市は魚の販売のイメージが強いが、木工品や漆塗りの工芸品、和・洋のスイーツなど、実際に朝市で扱う商品は多種多彩。朝市での買い物を楽しみに、また現地にお伺いしたい。

【生活インフラ】一般道も復旧途上、スーパーも休業。一方で意外なインフラが大奮闘?

液状化による地盤沈下で、段差ができた場所もある
マンホールが上部3分の1ほど隆起。実際には、周囲の土砂が液状化を起こして沈下している。珠洲市内にて

 能登では、上水道・下水道の被害が大きい。特に珠洲市では、土地の液状化(揺れによって地盤が液体状となる)によって道路に段差が生じたり、マンホールが道路中央で浮き上がっている。すでにマンホールの下の直管部分(半分から下)が地上に浮き上がっている状態では、上水道・下水道の復旧には相当な時間がかかるだろう。

 一般道でもこのような状況ということもあり、こまやかな配送を必要とするスーパー・量販店はなかなか営業を再開できない。スーパー「どんたく」(♪ドレミファソラシどんたくのフレーズでおなじみ)のように、能登町宇出津では営業、穴水町・志賀町では長期休業と、対応が分かれている場合も。ほか、輪島市のスーパー「ワイプラザ」も営業を再開したばかりだ。

「やはたのすしべん」穴水店。全国各地の作業者やパトカーで、駐車場は一杯だ
「すしべん」のカツ丼セット。被災地での暖かい食事のありがたさに、思わず泣いてしまった

 そのなかで、穴水町此木にあるコンビニ「八幡のすしべん穴水店」が、思わぬ形でインフラとして力を発揮している。

 能登半島で約20店舗を展開している「すしべん」は、コンビニと併設して店内調理の弁当や食事を提供、店舗によってはイートインもある。奥能登の玄関口にある穴水店は2月9日に再開後、全国各地から集結したトラックや作業車、パトカーなどで、駐車場が常時埋まっているという。現状では奥能登で暖かい食事をとれる場所が極度に少なく、すしべんが思わぬ形でドライバーのオアシスとなっているのだ。

 もっとも、定番商品であったおでん(出汁の染みた車麩が美味しい!)や鳥皮煮込み、牛筋煮込みがないなど、まだいつものすしべんではない。復興が落ち着いてから訪れる際の楽しみに取っておきたい。

【観光】人気施設は徐々に再開も、アクセス面が……

珠洲市見附島。手前側の観光施設が崩壊しているうえに、島が崩れて景観が変わっている
能都町の「イカの駅つくモール」。名物の「イカキング」は30cmほど浸水したものの、流されず無事だという
輪島市の白米千枚田。この先の国道で道路の崩落があり、実質行き止まり状態となっている

 約1800万人にもおよぶ石川県の観光客のうち、おおよそ3割が能登半島を目的地としている。北陸新幹線の営業で金沢エリアが首都圏からの日帰り観光地と化しており、2泊、3泊と滞在してもらうには、能登での滞在時間増加がキーとなってくる。

 奥能登の観光施設のうち、高さ4m・全長13mの巨大なイカ像「イカキング」がある「イカの駅つくモール」が、4月8日に営業を再開した。当面は営業時間や内容を縮小するものの、レストランやカフェなども復旧工事待ちとのことだ。このほか、4月初頭には珠洲市の「道の駅狼煙」が営業を再開している。道路事情を考えると通常時よりアクセスは困難となっているが、できるだけお金を落として滞留していきたいものだ。

 ただ、名勝として知られた珠洲市見附島のように、地震の影響で島そのものが大きく崩れ、駐車場作業車の滞留スペースとなっているような場所も。映えスポットとして人気を取り戻すのには相当な時間がかかりそうだ。

和倉温泉総湯は3月26日に営業を再開

 宿泊施設に関しては、能登町では8割程度が営業を再開したものの、復旧作業員の宿泊場所が必要な輪島市や、水道・下水道の閉栓(使用中止)扱いが続く珠洲市(通水している地区は、手続きを済ませれば使用できる)などは、本格的な営業再開にいたっていない。

 そのなかで、七尾市・和倉温泉では総湯(日帰りタイプの共同浴場)が3月26日に営業を再開。復旧作業に携わる方や、まだ自宅の風呂が復旧していない方々でごった返していた。

 なお、筆者が訪れた日は短縮営業(16時まで。通常時は21時まで営業)であったものの、ちょうどその日は高校野球で石川県・星稜高校の試合があり、大広間のテレビで観戦している人々がなかなか帰らない……というハプニングも。なかには「元監督の知り合い」(星稜高校・山下智将元監督は門前町の出身)という方がうれしそうに観戦するなど、スポーツに元気をもらう人々の多さに驚いた。

能登半島のボランティア・観光で貢献できることは?

2011年に発生した東日本大震災で、内陸部に乗り上げた船

 筆者が各地で作業員として現地入りした経験を思い返すと、能登半島地震は「飛び抜けてアクセスが困難」というイメージが強い。

 東日本大震災の場合は、内陸から三陸まではクルマで1時間~1時間30分程度。かつ遠野市(岩手県)、登米市(宮城県)など、中継拠点としての役割を果たせる内陸部の都市もあった。今回は命綱であるのと里山海道も被害を受け、かつ海岸線の隆起で港が使えない……あまりにも条件が違い過ぎる。

 この条件のなかで、混み合ううえにつながっているかも分からない道路を数時間かけて走り、能登の道路を啓開(主な道路を優先的に修復して緊急車両が通行できるようにする)した建設業者の方々や、災害派遣の方々には頭が下がる。

 道路の復旧とともに、金沢方面からのボランティアバスに加えて、穴水町・志賀町などでは現地参加型の募集も増えている。今後は、現地参加型も増えてくるだろう。

 まだまだ道路状況はよくないが、ボランティアに携わる機会があれば、作業終了後は差し支えない範囲で能登を巡ってもよいだろう。この記事に登場した観光施設に限らず、現地のスーパーなどを巡るのもよい。例えば、珠洲市の「フードはまおか」や「どんたく」など地物の魚が充実している店で買い物をするのもよい。

 いずれにせよ、能登への地域貢献をしつつ、自分も楽しむのが一番だ。