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JAL、熊本県・益城町の人たちとの交流会を本社で開催

物産展には植木社長や藤田副社長も参加

2017年4月24日 開催

「益城町の皆さまとの交流会・熊本物産展」は、JAL本社ビルの25階にあるレセプションホールで行なわれた

 JAL(日本航空)は4月24日、東京・天王洲にある野村不動産天王洲ビルにおいて、「益城町の皆さまとの交流会・熊本物産展」を開催した。

 当日は熊本県上益城郡益城町から4名を招き、震災発生後から今日に至るまでの体験談を聞く「お話を聞く会」や 避難生活のなかで製作を始めた「手作りポーチの販売会」、熊本の名産品の販売を会場内で行なった。交流会・物産展にはJALの社員150名以上が集まり盛況となった。

 益城町は平成28年熊本地震において、最大震度7を記録した被災地。また、熊本空港があることからJALともつながりが深く、被災後は復興応援研修での訪問を通じて交流を重ねているとのことだ。当日は田崎眞一氏、三村一誠氏、森永映子氏、中村智子氏の4名が益城町から参加した。

地震発生直後の様子を語る森永映子氏

 まず最初に森永氏が震災直後の様子を語った。「地震が起きるまでは東日本大震災や阪神淡路大震災など、遠くの出来事だと思っていました。そのことを今ではとても恥ずかしく思っております。わが身に起こったことで、悲しみや苦しみ、どこにも持っていけない憤り、そのことを身をもって体験しました」と、本心を正直に吐露した。

 自身の体験については「地震で見慣れた風景が一変しました。私は夢と現実の区別がつかなくなったような気がしました。どこを見てもがれきと化した家ばっかりです。道路は倒壊した家屋で寸断され、あちこちで陥没したり隆起したり、大きなひび割れが走っていました。

 夜に起こった地震なので、朝になると町全体ががれきの山に見えました。震災の翌朝は抜けるような青空で素晴らしい天気でした。そのことがなお一層、心をむなしくさせました」と語り、現実に起きた大地震の凄まじさを参加者に伝えた。

会場には震災直後に撮影された倒壊した家屋の写真も展示されていた。自宅が倒壊し、車中泊を余儀なくされた森永氏は「余震のたびにラジオが緊急地震速報を流し、ブロック塀はドミノ倒しのごとく倒れ、スチール製の物置が宙を飛んだ」と当時の状況を語った
地震後の復興について語った田崎眞一氏

 次に田崎氏が登壇し、震災後の復興について語った。同氏は益城町の東無田地区において「東無田復興委員会」を立ち上げ、「災害スタディツアー」を行なっている。会場ではその一部を紹介した。

 熊本地震では住宅の全半壊が4万2192戸、死者が50名に上り、益城町では20名が亡くなった。東無田地区では約8割が全半壊となったが、死者は1名だった。東無田地区の人口は700人。益城町全体では3万3000人なので、およそ2%となる。

 震災直後は町の中心部を復旧させるのに行政も手一杯で、なかなか周辺部まで目を向けてもらえなかったそうだ。そのため、東無田復興委員会を組織して震災後の地区の状況を収録した映像を作成し、ボランティア団体や全国に向けて発信。復興に向けた活動を要請したとのことだ。

 ほかでは、震災直後では地区の消防団が救助活動から安否確認、防犯活動、避難所の確保などに奔走し、復興に向けて大きな役割を果たした。倒壊した家屋の撤去など、ボランティアが必要なことに対しては個人単位ではなく、地区全体のニーズとしてとりまとめて優先順位を決定して要請した。そういった努力もあり、4月17日現在では東無田地区の損壊家屋の解体進捗率は100%となっている。

 スピーチの最後に田崎氏は「大きな災害になると動ける人は若い人しかいません。ある程度の高齢者になると自分のことで手一杯になります。自分に何ができるか、何が得意かを平時から考えていただくことで、災害時において復興の歩みにつながると思いますので、ぜひそれだけはお願いしたいと思います」と、平時と災害時における心構えを来場者に語った。

被災状況を記録した映像の一部を紹介。東無田地区では家屋の約8割が全半壊した
東無田地区は震源地にも近く、甚大な被害が出た。益城町の中心部ではないため、行政の対応も遅れた
東無田地区の損壊家屋の解体進捗率は100%を達成。地区でニーズをまとめ、ボランティア団体と直接交渉し、専属ボランティアとして活動してもらったそうだ
地震についての備えを力説する三村一誠氏

 最後に地震についての心構えを三村氏が述べた。熊本地震の震源とされる「布田川断層帯」の30年以内の地震発生確率は0~0.9%だったそうで、三村氏自身も大丈夫だと思っていたそうだ。しかし現実には地震が起き、甚大な被害が出た。今回は会場が東京ということもあって、関東エリアの地震発生確率についても紹介。そして今、もっとも注目されている首都直下型地震と南海トラフ地震については「ほぼ起きるでしょう」と力説した。

 そうなった際に人口の多い都市では避難所がパンク状態になり、混乱やストレスから大変な心労にさらされることが予測される。そこで、「最近の耐震設計に基づいて建設された住宅であれば無事な可能性もあるため、在宅避難がお勧めです」と三村氏は話す。

 スライドでは在宅避難に必要な最小限の物品も紹介されたが、何はともあれ自身の経験からも「とにかくトイレの確保は普段から考えておくのが賢明です」と、おろそかにされがちな部分についても説明した。「詳細は東京都の『東京都防災ホームページ』や『地震本部』で詳しく解説されているので、一度はご覧になってください」と会場の参加者に語りかけた。

政府が開設しているWebサイト「地震本部」の資料から、今後起こりうる地震について紹介
避難所における生活を紹介。自宅が無事であるなら、在宅避難を推奨したいとしている。それといざという時のために必要なアイテムも備蓄しておきたいとのことだ

 益城町の3名によるスピーチのあとは、併設されたブースにおいて熊本物産展が行なわれた。募金を募る写真集の販売や、製作者の感謝の気持ちがメッセージとして添えられた手作りポーチの販売、益城町産のニラやメロン、約80品目に上る特産品が所狭しと並んだ。

 販売がスタートするなり大盛況となり、JALの社員に交じって代表取締役社長の植木義晴氏、代表取締役副社長の藤田直志氏、代表取締役専務執行役員の大川順子氏の姿も見られた。次々と商品が売れて行き、お宮の再建などの寄付に充てられる写真集や手作りポーチの売上は約13万4000円、物産展の売上は約40万円となった。

物産展の販売ブースでは、メロンや太平燕、高菜や甘口しょうゆなど熊本県の特産品が陳列されていた。もちろん、くまモングッズも売られていた
東無田集落の写真集も販売していた。売上は損壊した寺社を修復するための寄付金となる
地元のサークルが作った手作りポーチ。製作者のメッセージが添えられている。こちらの売上も写真集と同様に寺社修復のための寄付金に充てられる
社員に交じって手作りポーチを購入する社長の植木義晴氏
副社長の藤田直志氏は売り子に扮して「朝の便で来たニラだよ!」と新鮮さをアピール